内外には毒が足りない。
マット界の事情通を自称し、情報収集のために夕刊紙を愛読するサスケ。本紙も愛読していたが、かねてから物足りなさを感じていた。その大きな要因は“毒っ気”だとサスケは分析する。
「内外さんを拝見してて思うのは、案外普通だなと。もっと過激でいいんじゃないかなと思いますよ。プロレスなんかでも普通に報じるだけじゃなく、バッサリ切り捨てる、裏ネタを載っけるなどね。夕刊って仕事を終えたサラリーマンとかが買うわけじゃないですか。疲れが吹っ飛ぶような、面白いネタが必要だと。それは毒であり、ある種の鋭さですよね。批判精神を持って報じていただきたいと」
サスケの提言は、ある意味では夕刊紙の正しい姿勢なのかもしれない。特に本紙は、猪木に“死”を迫られるほど落ちるところまで落ちた新聞。もはやなりふり構っていられる状態ではない。後を顧みない姿勢で積極的に取材し、同時にそれを過激に報じる必要がある。サスケはそこをズバリと指摘したわけだ。
「ただ、5月下旬ぐらいかな。猪木さんの謎かけのような見出しをつけたじゃないですか。あれは一体なんだ? と目を引きました。いま思えば内外さんの変わろうとする姿勢だったんでしょうけど、単純に興味をひきました。ああいうゲリラ的な手法はおおいにアリ。そして、聞いたら永島さんが編集プロデューサーに就任したというじゃない。あぁなるほどなと」。
一連の「猪木の買収→新聞葬→電撃復活」の流れからは毒が感じられたというサスケだが、完全復活にはまだまだ足りないとキッパリ。そして、その毒を注入できる人物こそ本紙・永島Pだというのだ。
サスケと永島Pには浅からぬ因縁がある。1990年代、平成の仕掛け人として新日本を舞台に大きなイベントを手がけてきた永島P。サスケにとって、大きな思い出となっているのは96年8月5日、両国国技館におけるジュニア八冠戦。スーパーJカップなどにおける活躍により全国区となりつつあったサスケにウルティモ・ドラゴンとの八冠戦に勝利し、名実ともに日本ジュニアの頂点に立った。
「永島さんっていうと北朝鮮とかUインターとの対抗戦とかがイメージとしてありますけど、ジュニアにもかなり力を入れてやってくれて。この頃、ジュニアが大きく話題になったのも、永島さんの切り口がいままでと違ったというのがあったと思うんですよ。ジュニアというジャンルを大胆に料理したというか。
その大胆さっていうのは新聞でも活用できると思うんですよ。永島さんが手がけるなら再生できると思うし、再生するためにも思い切って毒の部分を全面に押し出してほしいですね」
新日本黄金期を築き上げた手腕をフル活用して、内外再生を実現させてほしいと願うサスケ。新聞というジャンルでのノウハウに関しては当然、永島Pに敵うはずもない。それでも、恩人のひとりでもある永島Pへの餞として、独自の内外再生案を披露した。
「女性向けのエロを取り入れると。これまでの購買層を見ていたら、パイの拡大は見込めない。家庭の財布の紐を握っている女性の興味をひくネタを載せる。エロだけじゃなくて、イケメンアイドルを載せたり。体裁なんか気にせずに新しいことを取り入れていくことが必要ですよね」
大胆きわまりない意見だが、これもサスケが本紙再生を願うからこその毒のあるアドバイス。この毒を飲み込む勇気があるか、否か。本紙復活ロードはまだまだ始まったばかりなのだ。
再生の象徴としてスタートした新たな新聞名公募企画にサスケがさっそく応募した。
みちのくプロレスに代表されるように「ネーミングはわかりやすく、シンプルに」がモットーのサスケは「国内タイムス。もしくは首都圏夕刊」と提案。新聞に毒を、というエールを送ったにも関わらず、本当にシンプルな名前となったが、「まずはわかりやすい名前で、これまでの内外さんを知らない読者の方でも手にとってしまうようにする。それで中身を読んだら、ものすごい毒が溢れていると。ギャップですよね」と命名の理由を説明。果たして、サスケ提案の新聞名は採用されるのか。