早大大学院生になり、「勉強の方を優先したい」と宣言した桑田氏。まずは球界復帰よりもスポーツビジネスの勉強だというのだ。4月25日に行われたJリーグの千葉VS浦和戦を観戦したのもその一環だという。桑田氏は大学院で、かつて日本サッカー協会専務理事だった平田竹男教授の研究所に所属。スポーツビジネスの現場を学ぶ授業として、研究所の仲間と共に観戦したという。野球なら中止になるような大雨の中での試合を桑田氏はこう語っている。「感動しました。改めてスポーツの素晴らしさを感じました」と。
スポーツビジネスを学ぶことを決意したときに、「現場の監督よりもプロ野球全体の改革などの方に興味がある。たとえば、コミッショナーの仕事のような」と発言したこともある。当然のように「桑田氏、監督よりもコミッショナー就任に興味」とスポーツ紙を賑わした。
が、桑田氏の言葉は額面通りには受け取れない。「早大に進学します。プロ野球には行きません」とプロ入り拒否を宣言しながら、ドラフトで巨人が単独1位指名すると前言撤回、巨人入りしているからだ。
名門PL学園のKKコンビはこの一瞬から一時期、決別している。相思相愛の巨人入りを固く信じていた清原氏は悔し涙を流しながら、西武で打倒・巨人を誓い、実現した日本シリーズでは今度は歓喜の涙を見せた。
「あのときのドラフトで、巨人は桑田ではなく、清原を取るべきだった。桑田は10年に1度の選手だが、清原の方は20年、30年に1人の選手だ。清原を取っていれば、巨人の4番は向こう20年間以上は安泰だった。落合をFAで取る必要もなかった」
こう語ったのは、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督だった。4番・落合博満をライバル・中日からFA獲得、さらにその後継者として、西武からFAで清原を獲得したのは巨人に復帰した長嶋監督だった。清原氏は巨人フロントと桑田氏の密約疑惑のドラフトのために巨人入りへ回り道したのだ。
桑田の電撃巨人入りは、PL学園から早大という進学コースをも消滅させた。内定を一方的にキャンセルされた早大側が激怒、PL学園からの受け入れを拒否したからだ。その後、PL学園からは青山学院というルートが新設されたが。それだけに、「早大も甘いよ。あれだけ迷惑をかけられた桑田を大学院に入れるなんて何を考えているのか。桑田のイメージアップに利用されているだけじゃないのか」という声があがっている。その一方で「大学も少子化で生き残りが大変だ。背に腹代えられない早大側も桑田を学校のPRに使ったのだから、どっちもどっちだろう」と一刀両断する球界OBもいる。
「野球よりも学業一本」という宣言通りに、もっかのところ早大大学院生として勉学にいそしむ桑田氏に対し、身内から疑問の声が出ている。「去年、桑田を専属評論家として取り、あれだけ紙面を割いた。今年は桑田から押し出される形でベテラン評論家が辞めさせられている。それなのに、野球よりも学業というのはどういうことだ」。桑田氏が契約しているスポーツ紙関係者の怒りの声だ。