※ ※ ※
日本の代表的マスクマンといったときは、歴代タイガーマスクを筆頭に獣神サンダー・ライガー、ザ・グレート・サスケなど、すらすら名前が挙げられよう。
では米国は? となるとこれが一転して難しくなる。パッと思いつくのはミル・マスカラスや近年のレイ・ミステリオだろうが、どちらも“米国で活躍するメキシカン”の印象が強い(ミステリオは米国生まれのメキシコ系アメリカ人)。
純粋な米国産としてはザ・デストロイヤーがいるものの、実はその活躍は北米地区に限られているし、全日本プロレス旗揚げ後の主戦場は日本であった。
「米国では州ごとにスポーツ興行のルールが定められていて、かつては“覆面着用禁止”とされるところもあった。スポーツベットの対象になった際、マスクマンだと正体が分からず八百長が生じやすいというのが、禁止の理由だったようです」(プロレスライター)
覆面レスラーとして名前を売っても、多くの地区を渡り歩けないのでは、むしろ損をしてしまう。
「マスカラスが大人気を博したことで覆面を許可する州も増えましたが、現在は顔面ペイントが主流ですから、マスクマンは思ったほど多くない」(同)
長期にわたって米国内で活躍したマスクマンとなると、ミスター・レスリングやザ・スポイラー(スーパー・デストロイヤー)に、マスクド・スーパースター、あるいはフルフェイスではないがマスクっぽいものを着用していたビッグバン・ベイダーぐらいのもので、このいずれかが米国を代表する覆面レスラーということになるのだろう。
「スーパースターは日本だと脇役キャラのイメージが強く、1979年にアントニオ猪木との賞金3万ドル&マスク剥ぎマッチに敗れていったんは素顔になりながら、その後、また覆面をかぶって復活しています。主役級の外国人であれば“約束破り”と非難を受けるところですが、特に文句がついたという話は聞きません。つまり、そのくらいの注目度の選手だったわけです」(スポーツ紙記者)
主役扱いを受けたのは、初来日のワールドリーグ戦準優勝のときぐらいで、以降は外国勢の2番手、3番手格として参戦を続けた。
しかし、相手が上位選手でも中堅でもソツなく試合をこなす上に、覆面の物珍しさから年少ファンのウケがいい。組み慣れたディック・マードックだけでなくアブドーラ・ザ・ブッチャーらとのタッグパートナーも無難に務める。団体からすれば実に使い勝手のいい選手だった。
★マスクを脱いで顔面にペイント
「極め技のランニング・ネックブリーカー・ドロップはジャイアント馬場の得意技でもあり、この技を使うのは新日側からの挑発とも言われましたが、もちろん当人にそういう意図はなかった。タッグとはいえ、それで猪木をフォールしたこともあり、仮に馬場を意識していたなら意地でも返していたところでしょう。スーパースターはファンとの交流イベントで英語教室を開くなど、性格も非常に温厚でした」(同)
名脇役であったのは米国でも同様だが日本よりはやや格上の扱いで、主戦場としていたジョージア州ではトミー・リッチやミスターレスリング2号らと抗争を繰り広げるとともに、トップヒールとして各所で活躍。NWAやWWF王座にも挑戦している。
「一時はスーパースターの2号を名乗る選手もいたぐらいですから(正体はジン・キニスキーの息子であるケリー・キニスキー)、それなりに人気は高かったのでしょう」(同)
’85年にはスーパー・マシンとしてマシン軍団に加入。これが米国WWFでそのまま採用された際には、“日本から来た正義のマスクマン軍団”の1人として同名での参戦を果たしている。
マシン軍団のストーリーがひと段落すると、今度はマスクを脱いで顔面にペイントを施し、デモリッション・アックスにキャラクターを変更。タッグユニット「デモリッション」の一員となる。
これは当時、大人気だったロード・ウォーリアーズの向こうを張って結成されたもので、もちろん扱いは主役級。WWF世界タッグを3度獲得し、’90年に東京ドームで開催された日米レスリングサミットでは、馬場&アンドレ・ザ・ジャイアントの大巨人コンビの相手を務めている。
かくして素顔レスラーの正体がマスクマンという世にもまれな“ねじれ現象”は大成功となり、これまで脇に回ることの多かったスーパースターの晴れ舞台は、日本のファンからも温かく迎えられたのであった。
マスクド・スーパースター
***************************************
PROFILE●1947年12月27日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身。身長193㎝、体重135㎏。
得意技/ランニング・ネックブリーカー・ドロップ、スイング式ネックブリーカー。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)