舞台となったのは、1995年九州場所(福岡・福岡国際センター)。両者は「12勝2敗」と共に優勝争いの先頭で千秋楽を迎えたが、虎上氏は武双山(元大関/当時関脇)に、光司氏は武蔵丸(元横綱/当時大関)にそれぞれ敗戦。この結果、どちらも「12勝3敗」と本割では決着がつかず、現在に至るまで史上唯一の例となる兄弟同士の優勝決定戦が実現することとなった(同時に決定戦へ進出した1993年名古屋場所は巴戦で曙の連勝により対戦なし)。
当時の心境について、虎上氏は「うわぁ〜最悪だ」と回顧。また、「あの時は一番大好きな弟が(相手になって)もう嫌ですよ。いつもだったら憎しみ込めて行くのに、この時はもう無理ですよね。プロとして情けないなって」と兄弟同士の対戦に複雑な思いを抱いていたことを明かした。
また、この一番に下手投げで勝利した虎上氏は、優勝パレードのオープンカーに乗り込む前に「優勝賞金1000万円あるから半分こしよう」と光司氏に提案し、「いいよ、いらないよ」と断られていたことも告白。その理由については、「決定戦ってことは優勝だから、お互いが」と説明した。
世紀の一戦の内幕が明かされた今回の放送を受け、ネット上には「やっぱり身内を相手にするのは辛かったのか」、「あの一番は本当にどっちを応援したらいいか分からなかった」、「兄も弟もめちゃくちゃやりにくそうだったよな」といったコメントが寄せられている。虎上氏の言葉に、当時の状況を思い返した人も多かったようだ。
なお、番組内では最近になって光司氏が和解の意向を示唆したことについても質問がされたが、これに対し、虎上氏は「そうですね、徐々に…こう…なんというか…」と苦笑い。また、現在までに光司氏からの連絡は入っていないことも明かしていた。
文 / 柴田雅人