茶々にとって秀吉は親の仇であり、その側室になることには大きな葛藤が存在する。これまでの時代劇でも秀吉が茶々から恨まれていることは描かれてきた。しかし、秀吉が憧れていた市の長女の茶々を側室にすることは、天下人秀吉の成り上がり物語の一要素として簡単にまとめられる傾向があった。
これに対して『江』では、両者の恋模様に長時間を割くことで、茶々の心情の変化を丁寧に描いた。茶々は天下人の権力に屈服した訳ではない。秀吉の真心に触れていくにつれ、知らず知らずのうちに秀吉に惹かれていく。これまでコミカルなバカ殿であった秀吉も、今回は不器用だが真面目な男性になっている。
今回は茶々と秀吉のラブストーリーである。猛烈にアタックしていた男性が意外にもあっさりと引き下がることで、女性は逆に男性への思いが強くなる。これは現代の恋愛ドラマでもお馴染みの展開である。女性の言葉がきっかけとなって、二人の気持ちが結ばれる展開も現代女性的である。
今回は大河ドラマから別の恋愛ドラマに移ったような感覚になる。その中で時代劇の枠組みを維持する存在は江(上野樹里)である。茶々が仇の秀吉に惹かれていることが不安な江は、京極龍子(鈴木砂羽)や千利休(石坂浩二)に相談する。江が様々な人物を訪れて情報収集する展開は、過去の『江』で繰り返されてきた。
茶々の秀吉への想いを言及する龍子には「何でもかんでも男と女の話にしないでください」と不機嫌になる。『江』自体が何でもかんでも男と女の話に持っていく傾向があった中で、この台詞は時代劇の主人公として強烈な主張である。
これまで江は少女の身で戦国武将に反論するなど、むしろ時代劇の枠組みの破壊者であった。今回も相変わらず秀吉をサルと呼び捨てにしている。しかし、秀吉の真心に心を動かされる茶々よりも、親の仇を許せないとの価値観で固定する江の方が戦国時代の女性的である。時代劇の存在らしくなった上野樹里の江に注目である。(林田力)