幕末期、幕府はフランスの支援を受けていたため、当時既に幕府の重臣であった勝ならば手に入れていてもおかしくない。なお、幕末の人物で拳銃を所持していた有名な人物と言えば龍馬だが、彼が所持していたものは、アメリカのスミス&ウェッソン製モデル2アーミー32口径の6連発と7連発の二挺であった。
以蔵が勝の元にいた時、勝の紹介でジョン万次郎を警護したというエピソードがある。以蔵が見事に刺客を撃退し、お礼に万次郎が銃を贈ろうとしたら辞退したというものがある。剣客だけに、銃の贈呈を辞退したと思われていたが、勝から既にもらっていたから辞退したのであろうか? とはいえ、万次郎と以蔵の両者が江戸にいた時期に矛盾が発生するため、このエピソードは後年の作り話である説が高い。
さて、「人斬り」の二つ名を頂くほど刺客として鳴らした以蔵だが、彼が発砲したという記録はない。命を受けて様々な人物と相対してきた以蔵だが、中には絞め殺した事例なども存在している。純然たる刺客であった彼が、殺傷能力を十分に備えている武器を持ちながら使用しなかった理由は何だろうか。
一つは、銃はあれども弾がなかったという説。舶来品の銃は貴重品であり、弾数に限りがある。使用したとして、弾切れになってしまった場合、彼の立場や身分では弾を入手するのは至難の業であっただろう。
もう一つは、やはり手に馴染まなかった可能性だ。銃器、特に拳銃の場合は銃身が短いため狙いが付けにくい。至近距離でもない限り、相当練習を重ねないと、遠くにいる対象に当てるのは至難の業なのである。ちなみに、龍馬も寺田屋襲撃の際に捕り手に向かって発砲しているが、6発撃って命中したのは1発だけ、それも流れ弾のような形だったという。また、暗殺を行っていた以蔵の場合、大きな発砲音で居場所がばれたり、騒ぎになってしまうのは避けたいだろう。
そして、もう一つがお礼にもらった上等な品だったため、記念にずっと使わなかったという説だ。以蔵は足軽の長男という、当時でも低い身分の家に生まれている。そんな自分が幕府の重臣の護衛役を仰せつかり、お礼に貴重な品をもらったと言う事で、宝物のように大事に保管していたのではないかというものだ。 いずれの説も仮説でしかないが、幕末期の拳銃は非常に貴重な資料である事は間違いないだろう。
(山口敏太郎)