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明治まで生きた新撰組伝説 死亡したはずの美男隊士が日清戦争で活躍していた?

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 幕末の動乱期を駆け抜けた新撰組。血塗られた激しい青春を送った彼らは昭和初期までは賊軍という扱いを受けてきたが、昨今ではその一徹な生き方に評価が高まっている。多くの隊士が命を散らす中で、生き残った者たちは明治以降、どのように生き抜いたのであろうか。

 噂によると、一部の隊士は引き続き日本のために戦っていたと言われている。新撰組で沖田総司と並び、凄腕の遣い手と言われた斎藤一は会津藩士となり、幕末を生き抜いた斎藤は明治10年(1877年)2月には、警視局の警部補に任ぜられ、2月15日に勃発した西南戦争において、抜刀隊として参加し、薩摩の西郷軍に大ダメージを与える活躍をして、戊辰戦争の恨みを返したという。かつて、官軍として新撰組を追った薩摩兵が官軍になってしまった斎藤により、討たれてしまうとは皮肉な話である。

 原田左之介は、史実では上野の彰義隊の戦いに参加し、その時に負った傷がもとで死亡したことになっているが、異説では上野、新潟、下関、釜山を経て大陸へと渡り、馬賊の頭目になったとも言われている。馬賊の頭目とは、変わり者の原田らしいが、不思議なエピソードも幾つか残されている。

 日清戦争(或いは日露戦争)の時に、大陸で日本軍の活動を援護する馬賊がおり、不思議に思った若い兵士が尋ねてみたところ、馬賊の頭目は「私は新撰組の原田左之助である」と名乗ったというのだ。また、一度だけ日本に帰国し、実弟や甥に昔話をして再び大陸に帰っていったという話もある。

 また、大の甘党で無類の怪力が売り物だった島田魁は、最後まで土方歳三に付き従い、箱館戦争まで戦い抜いた歴戦の隊士である。明治以降は、レモネード屋、剣術道場など様々な商売をやるが悉く失敗、西本願寺の夜間警備員となるが、仕事中に倒れ亡くなってしまう。最後まで、土方歳三の戒名を持ち歩いていたというエピソードが泣かせる。
(山口敏太郎)

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