−−“R-1”を終えて、生活は変わりましたか?
「まず、本番が終わって楽屋に戻った時点で、メールの件数が200件。驚いたのは、オンエア前のツイッターのフォロワー数が600だったんですけど、オンエアが終わって楽屋に戻った時点で、3000人になってて。そっから伸びて、今は7000人ぐらいですね。あと、事務所の近所に“カレーの王様”があるんですけど、そこでカレー食ってたら、ぜんぜん知らない人から、“僕は優勝だと思いました”って言われました(笑)。それぐらいですかね、変化といえば」
−−芸人さんになるまでの経緯を聞かせてください。
「高校を卒業して、東放学園放送専門学校に行って、テレビとか放送作家の、裏方の仕事をしたかったんですね。でも、実習でいろんなところに行ってるうちに、カメラを回す側じゃなくて、出る側になりたいなぁと、ヤラしい気持ちが出てきまして(笑)、『劇団シェイクスピア・シアター』に所属したんです。21歳のとき」
−−バイトをしながら役者を目指すという、よくあるパターンで?
「そうです。新宿にあるドイツ風の、ちょっと高めでちょっとおしゃれぶった風の居酒屋さんで。劇団のころから、今もやってます。昔は週5〜6で入ってましたけど、最近は週1で、出れるかどうか。“R-1”の2日後にも行ったんですけど、誰にも何も言われませんでした(笑)」
−−劇団員からなぜ、芸人さんに転身したんですか?
「劇団では年に2回の本公演と、あと、都内の高校を周って、高校生にシェイクスピアを観せる鑑賞会をやってたんですけど、金銭面でヤバクなってきまして…。借金が増えて、まずは返さなきゃいけないということで、劇団を辞めました。派遣社員としてフルで働いて、夜はさっきのバイトに行ってっていう生活を1年ぐらいやってたんです。けど、iPhoneが出て、それで自分の声を録って、芝居と合わせた映像をネットにあげたら、劇団時代の友だちが観て、「ソニーという事務所がある」と言ってくれて。で、ここに来たら、すぐに入れて(笑)、1週間後にライブに出て、そのネタをやりました。2011年の11月ぐらい」
−−たった1台のiPhoneから、“R-1”決勝戦で通用するネタが誕生したんですね。
「当時は単純にエネルギーが余ってて、iPhoneという、今まで持ってなかった物を手に入れて。それも、パチンコで17万ぐらい勝って手に入れたんですけど(笑)、ボイスメモがあり、カメラがあり。いじってるうちに、遊びの延長線上でネタができたんですね。ネタも、普通にみなさんが感じる“あるある”からスタートしたいというのがありまして。“R-1”で1本目にやったストリートミュージシャンも、実際に、新宿の駅前で歌ってる人の、「そんな近くに立つ?」って位置で聴いてる人を見たりするんで(笑)。ネタの入り口は、日常風景から入ったほうがいいと思ってるんです。そのほうが、ウケますし」
−−今後の夢は?
「まずは、バイトを辞めることですね。あとは、専門学校で学んだので、映像は撮ってみたいです。芸人さんが映画を撮ってるのも、憧れてますし」
【プロフィール】本名:松本洋平 '76年6月生まれ、東京都出身。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。2011年デビュー。
(次回は15年3月最終週に更新)