そして2010年5月某日の取材−−。
田んぼは、つぶれたままだった。入り口の戸は締め切られ、チェーンで立ち入り禁止のようになっていた。
「本格的な営業はありません。立ちんぼの女性は毎日見廻っています」(警官)という言葉通り、深夜に近くなった時間にパトカーがゆっくりとK橋のたもとに来た。
女性自体は、明らかにそれらしき中国人女性が、コンビニ前にいた。こうやって場所を移動して摘発を逃れているのだろう。
こちらもかつて援助交際のメッカといわれた? ボーリング場前だが、その向かいのホテルの外壁には、児童に見える方はお断りしています、という内容の大きなポスターが貼ってある。
周辺住民の防犯の意識にほうが勝っているのか、あのかっての賑わいはなく、よどんだ不気味な空気の暗闇に、筆者のように散歩する男たちがほかに数名徘徊しているだけだった。貸しルームも、現在はソファー、テーブル、エアコン…といった家財道具が投げ出され、ビル全体が廃墟となっていた。
「それでも一日も見回りを欠かすことはできません」(捜査員談)
かつての負の遺産の復活は遠い?(了)