弟妹と違ってなぜ、自分だけがこんな仕打ちをされるのだろうと、疑問に思っていたのだ。
盲目の井上せいの意味ありげな言葉や幼いころの夢のような美しい婦人の記憶。そんなものを頼りに長い年月、実の父母の存在を信じ、捜し求めていた。また、実際、長じるに従って自分が出野家の実子ではなく、生家が早川という姓であることを何となく伝え聞いていたのだ。
そんなわけで、途中まで日記に目を通すうちに、この日記を書いたのが自分の実の母親に違いないと、すっかり決め込んでいた。特に日記の中にそのことを証明する記述があったわけではなかったが、勘と希望で、そう決めてしまった。
“やっぱり本当のおっかさんがいる!”。うれしさのあまり、腹の痛みはとっくに忘れていた。顔が火照(ほて)り、体が震えてきた。日記の中に書かれている鉄砲町浅田洋次郎という名前を、その辺にあった紙に書きつけた。実家を探す手がかりになると思ったからだ。
徳次は日記から、自分の生家は早川家、実母の名は花で非常に達筆、姉がいて鉄砲町の浅田洋次郎に嫁いでいる…そのような情報を得た。
長屋を飛び出した後、どうやって中ノ郷竹町に帰ったのか、よく覚えていない。今までに味わったことのない幸福感が体の中に溢(あふ)れ、力強さを覚えた。けれども、すぐに浅田家を訪ね、早川家を、実の父母を捜しはしなかった。まだ駆け出しの職人で、人の家に厄介(やっかい)になっているということに引け目を感じた。
初めて肉親と会うには自分があまりにみすぼらしいと思ったのだ。“一人前の職人になったら…”と会いたい気持ちを堪(こら)えた。