デビューから見ていた4つ上の姉が世良公則&ツイストのファンだったことで、家には世良公則のポスターが貼られたりしていたこともあり、私も少しずつ姉の影響で世良公則&ツイストに興味を持つようになった。78年に2枚目のシングル『宿無し』を発売した頃に『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組に頻繁に出演するようになり、テレビに釘付けになる日々が続いた。3枚目のシングル『銃爪』(ひきがね)が大ヒットして、何と『ザ・ベストテン』で10週連続で1位を獲得。瞬く間に人気になった。
その頃に初めて芸能人のいる現場に出向いた私だが、目当てはピンクレディーだった。TBSに向かいピンクレディーの出待ちをして、遠目ながらピンクレディーを生で見れて満足していた。その時に世良公則&ツイストも番組に出演していたのだが、どうやらバンド系の出演者は正面玄関からは出てこないで、違う出入り口から出て行っている様子だった。そこで世良公則&ツイストを生で見たいという気持ちが芽生えてくるのだが、どうしたら会えるのかわからないまま時が過ぎていった。
ある時に姉がヤマハの事務所に行って来て、そこで世良公則&ツイストに会って来たと嬉しそうに私に話してくれた。どうやら毎週月曜日に事務所でミーティングがあるという情報を得たみたいで、私も小学校が終ってすぐに目黒にある事務所に行くことにした。到着すると数人のファンらしき人がいたので、どんな現状か聞いてみると、今まさにミーティングの真っ最中だとのことだ。30分くらい経った頃に、メンバーが外に出てきた。私はキーボードでカーリーヘアーの神本宗幸の側へ近寄ってみた。神本を選んだ理由は一番優しそうに見えたからなのだが、実際に笑顔でニコニコしながら接してくれて本当に優しかったので、これがキッカケで神本のファンになってしまった。それから頻繁に事務所に行くようになり、メンバーと会えるのが楽しみだった。ここ以外で出待ちをしても会えないことが多いので、次第に世良公則&ツイストの出待ちはしなくなってしまった。
デビューから1年くらい経った頃に名前は世良公則&ツイストからツイストに改名された。改名後もさらに拍車をかけるような勢いで人気となったが、81年11月に発売された11thシングル『SET ME FREE』がツイストとしての最後の曲となり、12月に解散してしまった。約4年弱の活動期間だったが、間違いなく日本の音楽史に大きな爪あとを残したことだろう。
解散後は各自バラバラになってしまったが、ベースの鮫島秀樹がHOUND DOGに加入することになった。それから数年が経ち、私は88年3月28日にオープンしたばかりの東京ドームで行われたHOUND DOGのコンサートに行くことにした。もちろん大友康平がメインだが、横でベースを弾いている鮫島が私の中ではメインだった。弾いている楽曲はツイストではないが、鮫島がベースを弾いている姿を見るだけで、ツイストを思い出させてくれていた。
ツイスト人気は根強くて、93年に渋谷公会堂で再結成ライブが行われた。そのコンサートに運良く観に行けることになった。席は前から10列目くらいだったので、そこそこ近い距離ということもあり幕が開くのが本当に楽しみだった。その記念すべき1曲目は、デビュー曲の『あんたのバラード』だった。もうイントロが流れた瞬間に涙が出てきて止まらなかった。それからあの曲この曲と懐かしい曲を一気に聞かせてくれて、本当に幸せイッパイな時間を過ごさせてもらった。時間にして2時間は無かったと思うが、ツイストと同じ空間にいられただけで、本当に幸せを感じることができた。
解散してから36年、その再結成コンサートから24年の月日が経ってしまったが、今でもツイストの曲は色あせることもなく生き続けている。たまに音源を引っ張り出して聴くこともあるのだが、何度聴いても素晴らしい楽曲たちである。いつの日かまた再結成をして、素敵なライブをやってもらいたい。
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。