そんな注目の年にデビューしたアイドルは他にも多くいる。今回は82年7月に『き・い・てMY LOVE』でデビューを果たした坂上とし恵に注目したいと思う。当時のアイドルをしっかり見てきた私だが、アイドル歌手としての坂上はノーマークだった。そんなノーマークだった坂上だが、いきなりアイドル現場ではないところで出会いがあった。当時『三波伸介の凸凹大学校』(テレビ東京系)という番組が放送していて、その番組の公開収録が代々木の山野ホールで行われていた。この番組はアイドルを観るということは抜きにして、小学生の頃から純粋に好きだったこともあり、頻繁に観覧をしに行っていた。そこに新しいアシスタントとして坂上が出演することになった。歌っている時の印象はあまり無かったが、アイドルとは別の空間で見た坂上はものすごく輝いて見えた。収録後は、いつもずうとるびの出待ちをしていたのだが、ずうとるびが出る前に坂上が出て来たので、とりあえず話しかけてみると、気さくに話しもできて、サインも快く書いてくれた。個人的にアイドル現場での印象は薄かったが、この出待ちで坂上に対する印象はかなり良くなった。
その後アイドル番組『レッツゴーヤング』(NHK)のサンデーズ(若手アイドルを中心にしたレギュラー)に所属していたこともあり、この公開収録も頻繁に観に行っていたので、坂上との遭遇も多くあった。会える機会は多かったのだが、個人的に『クイズ・ドレミファドン』(フジテレビ系)で司会の高島忠夫のアシスタントで出演していた時の赤いジャケットを着ている坂上が大好きだった。いつか生でその赤いジャケットを着ている坂上に会いたいと思っていたけど、いつに間にか坂上はレギュラーではなくなっていた。残念。
アイドル歌手としても82年にデビューをして4曲のレコードを発売したのだが、大きなヒットに恵まれることなく、83年9月に発売された『電話はスバヤク』を最後にレコードの発売は無くなってしまった。その後はバラエティ番組や情報番組を中心に活動することになった。いわゆる今でいうバラドルのような活動が主になっていた。
おそらくバラエティ番組で野々村真と知り合い、そこから交際に発展して、95年には10年の付き合いを経て結婚することになった。結婚後は恐妻家というイメージが強くなり、完全に強い奥さんというイメージが定着していった。私もずっと坂上と会う機会も無かったので、テレビで見る「怖い」というイメージを強く持ってしまった。
そんなイメージを覆してくれる出来事が起きたのだ。忘れもしない2013年2月9日に有楽町の駅前で香音という11歳の少女が、音楽配信する楽曲『花粉デビルをやっつけろ!』で歌手デビューすることになった。この香音が、野々村真と坂上とし恵の娘である。その配信記念イベントを観に行ったのだが、そこの付き添いとして坂上が来ていたのだ。ステージでは、なぜか父親の野々村真も登場して香音と一緒に楽しんでいるのだが、もちろんそのステージも楽しかったが、私はステージ袖で娘を見つめる坂上に釘付けになってしまった。イベント終了後は香音との握手会があったのだが、私は握手会は後回しにして、真っ先に坂上のところへと向かった。そこで「坂上さん」と声をかけると笑顔で返事をしてくれて、昔話しを交えながら談笑することができた。最後には2ショット写真まで撮らせてもらった。その時には恐妻家という怖いイメージなど一切無く、アイドル当時の可愛くて優しい坂上がそこにいた。これからも恐妻家のイメージのままではあると思うが、私の中ではいつまでもアイドル・坂上とし恵である。
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。