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【帰ってきたアイドル親衛隊】カッコ良さが頭から離れない沖田浩之

 かつて原宿では歩行者天国が行われていて、そこで多くのパフォーマーが集まって賑わっていた。1970年代後半から80年代前半頃には、奇抜なメイクに奇抜な服装で踊る竹の子族が現れて、一気に社会現象にまでなった。竹の子族には多くのチームがあり、各チームが独自のスタイルで踊り、それを見たマスコミが取り上げることも多かったこともあり、踊るチームを見るために全国から多くの人が集まるようになり、竹の子族は一般人でありながら芸能人のようになっていた。その中でも人気が高かったチームは乱奈阿珠(ランナーズ)。このチームには、沖田浩之が所属していて、当時の沖田の存在感は抜群で、常に女の子に囲まれていたくらいの人気だった。

 当時まだ小学生だった私は何度も竹の子族を見に行こうかと思っていたが、その一歩を踏み出すことができなかった。代わりという訳ではないが、自分より4つ上の姉が、毎週のように竹の子族を見に行っていたので、現場の状況はしっかり聞いていたので、竹の子族の情報はかなり持っていた方だったかもしれない。

 そんなブームになっている竹の子族を芸能界もほっておく訳が無い。抜群の人気を誇っていた沖田浩之がスカウトされ、いきなり『3年B組金八先生』第2シリーズ(TBS系)の生徒役に抜擢された。生徒の中では一番目立った存在の不良の役だったこともあり、これをキッカケに全国区の人気となった。

 竹の子族時代に会いに行けなかったことが今となっては後悔だが、ある時にTBSに別のアイドルの出待ちをしていると『3年B組金八先生』の収録をしているという情報が入り、このまま待っていれば沖田に会えるのではと思い暫く待つことにした。2時間近く待っても出てくる気配が無い。しかし沖田では無いが、校長先生役の赤木春恵が出てきたので、とりあえず赤木に近寄りサインをもらう事にした。赤木は気さくで優しい人だったので、自分の中では赤木に対する好感度が一気に上昇した。沖田に会うことはできなかったが、赤木に会えたことが私にとって大きな収穫となった。

 ここまで沖田に会うのは難しかったが、後に歌手デビューをして『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組に頻繁に出演するようになったので、TBSの出待ちをホームにしていた私にとって、これまでの高かった壁が一気に崩れ落ちてくれて『ザ・ベストテン』に出演している時は、ほぼ100%に近い確率で会えるようになった。

 しかし沖田は84年にいきなり歌手活動終了を宣言し、俳優として本格的に活動をすることになった。それは本人が決めたことなので良いとも悪いとも外野がとやかく言う問題ではないが、個人的に思うことは、俳優の出待ちは難しく会える機会が低くなってしまうので、できることなら歌手を辞めないで俳優も並行してやって欲しかったのが本音である。

 それから多くのドラマや映画に出演していたのだが、Vシネマ『THEレイプマン』に出演した時は驚いた。レイプを題材にした作品にレイプ魔役で沖田が主演をしたのだが、実はこれはシリーズ化して、9作もの作品が作られた。世間的に後ろめたい役を演じた沖田だが、この役が見事にハマり再び注目を浴びるようになった。

 しかしこの頃から俳優としての仕事も激減してきたようで、うつ病になったとか色々なウワサが出ていた。そんな矢先に「沖田浩之自殺」という報が流れてきた。1999年3月27日に36歳という若さで、この世を去ってしまった。原因は未だにわからないが、うつ病に加え多くの借金を抱えたことが原因なのではとかウワサは飛び交っていたが、真相は薮の中である。

 沖田とは数回しか会ったことは無かったが、今に思えばあの時に何であれを言わなかったのかとか色々な後悔はしてしまっている。今でも沖田のカッコ良さは私の脳裏に焼き付いているので、いつまでもそのカッコ良さは忘れないと思う。

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

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