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お笑い芸人 豪快伝説 其の四十四『くりぃむしちゅー』

 お笑い芸人。コメディアン。エンターテイナー。そんな彼たちがかつて刻んだ偉大なる伝説、爆笑列伝を紹介していく連載の44回目。フォーティーフォースバウトは、くりぃむしちゅーだ。

 「猪木と前田、どっちが強いと思う?」。これが、上田晋也と有田哲平が初めてかわした会話である。鹿児島県内の高校に通っていたころ、ふたりのプロレス好きを知った友人が紹介してくれた。有田の答えは、「前田」。上田は、「猪木」だった。

 日本テレビ系列『お笑いスター誕生!!』(1980年〜86年)とプロレス。このふたつが架け橋となって、上田が有田の家を訪れるほどの友人となった。家の前には、熊本市内でまだあまり見ることがなかったベンツ。横には、大きなドーベルマン。有田は、金持ちのボンボンだった。

 このころからお笑い芸人を志していた上田は、「いざとなれば江頭2:50のように、ケツ出しゃオッケー」と、自信にみちあふれていた。高速道路の料金所でのこと。後部座席に座っていた上田は、パンツを脱いで、尻の穴に紙幣をはさんで、差し出した。所員の対応は、冷静だった。「どこにお釣りを返せばいいんでしょうか?」。こんなことを、今では“インテリ芸人”と呼ばれる男が、25歳まで続けていた。

 芸人になるために、大学進学という口実を作って、上京。それで早稲田大学に合格してしまうのだから、上田は大成する星のもとに生まれていたのかもしれない。のちに、テレビ朝日系の深夜バラエティ『虎の門』(01年〜08年)で、“うんちく王”の名をほしいままにしてブレイク。ちなみに、有田は立教大学出身。ふたりが、クイズ番組に多く起用されるのは、そろって輝かしい学歴があるからだ。

 あの明石家さんまに、「芸人界の次代を担うのは上田」と言わしめた。そのさんまと異なる部類の“お笑いモンスター”ザキヤマ(アンタッチャブル・山崎弘也)を育てあげたのは、有田。時代を創ってきたくりぃむしちゅーはもう、次世代芸人を創る立場に立っている。それは、マツコデラックスを輩出した功績が、物語っている。(伊藤由華)

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