4分漫才や1分ネタ。そんなテレビサイズではなく、15分以上たっぷり見せる。それが、中川家の漫才だ。
漫才日本一決定戦を決める『M-1グランプリ 2001』で優勝。'10年には、1960年代から関西で続く上方漫才大賞の頂点に君臨。結成から19年目にしてようやく、横山やすし(故人)・西川きよし、ザ・ぼんち、オール阪神・巨人らと肩を並べ、真の話芸の達人になれた。
兄の中川剛と弟の礼二。兄弟がそろっておもろくなれたのは、おもちゃを買ってもらえなかった家庭環境と、対話に飢えた父にある。4人家族が住んでいたのは、父の会社が与えてくれた文化住宅。6畳と4畳半。風呂なし。銭湯の定休日には、玄関の土間にお湯をためて入った。プレゼントもケーキもないクリスマスには、焼き魚の目にローソクを立てた。
貧乏なわけではない。父がセコかっただけだ。ミニカーさえ買ってもらえず、反抗するとゲンコツで殴られた。仕方がなく、みずからの手をミニカーに見立てて遊んだ。大阪の街を行き交うオッサンやオバハンを観察して、ものまねをした。笑ってもらえた。「ウケる」という快感を知った小学生のころ、父がなんばグランド花月のタダ券をもらってきて、観劇した。日本一おもろい兄弟漫才師が、産声をあげた瞬間だ。
芸人になったあと、引っこみ思案な剛はパニック障害になった。元営業マンで、根から明るい礼二は、剛の回復をひたすら待った。解散なんて、考えなかった。礼二は結婚を経験したが、長くは続かなかった。そんな紆余曲折の末につかんだのが、M-1初代王者のタイトルだった。
そして、今年。M-1の進化版といえる『THE MANZAI 2012』に初挑戦して、ワイルドカード(敗者復活枠)にすべり込み。9組中でトップになれれば、決勝大会に進出できる。上方漫才の本質を見せられるか。運命のゴングは、12月16日に鳴る。(伊藤由華)