漏斗状に成形された爆薬を爆発させると、凹部の中心にエネルギーが集中して高温度のジェット噴流が発生する。この現象は1880年代にアメリカのモンローが発見し、その後、1898年にはドイツのノイマンが特許をとった事からモンロー、あるいはノイマン効果と呼ばれている。この砲弾の特徴は、目標に命中した後で発生するジェット噴流によって装甲を貫徹することから、射程距離や弾速による貫徹力の変動がないということで、低初速の火砲から発射しても大きな貫徹力が期待できるというものだった。
対戦車兵器の威力不足に悩んでいた日本陸海軍はこの特殊砲弾の国産化を図り、「タ弾」と名付けて研究を開始した。まず、小銃に取り付けた榴弾投擲器や、火砲から発射する方式で実用化を図りつつ、さらに携行型ロケットランチャーからタ弾を発射する兵器を開発した。これが試製四式七糎噴進砲であり、ロケット発射式のタ弾という意味から「ロタ弾」とも呼ばれる事もあった。日本陸軍の兵器行政本部は、遅くとも1942末から翌年初頭までにドイツから対戦車ロケットや無反動砲などの図面を入手しており、試製四式七糎噴進砲の開発に際してはそれらを参考にしたものと考えられる。
また、試製四式七糎噴進砲と並行して、より口径を大きくした試製九糎空挺隊用噴進砲も開発されていた。試製九糎空挺隊用噴進砲は、名称そのままに空挺部隊の主力対戦車火器として1944年には試作砲の試験を実施している。恐らく、前後して試製四式七糎噴進砲の試験も行われているだろうが、比較的簡単な構造の兵器にも関わらず実用化に手間取り、小倉造兵廠などで3500基程度が生産されたものの、実戦には参加しないまま敗戦を迎えた。
日本軍の四式噴進砲が口径70ミリで貫徹力100ミリに対し、米軍のロケットランチャーは口径2.36インチ(60ミリ)で150ミリの貫徹力を誇っており、火砲としての能力で見劣りしていた。これは、命中精度を高めるために一般的な砲弾と同様に回転飛翔するロケット弾を開発していたためで、砲弾の回転は装甲を貫徹する中心要素である高温度のジェット噴流の形成を阻害する(厳密には阻害要因を誘発する)のである。
そのうえ、日本軍は高温燃焼火薬の合成や、漏斗状成形部の精度を高い水準に維持することにも失敗していたのではないかと推測される。しかし、貫徹力は米軍の戦車に対して十分といえ、開発に手間取った原因は「技術的な要因よりも組織的な要因」にあると推測できる。
日本陸軍は高初速火砲の製造に必要不可欠な大腔圧(砲腔内部で発射薬が燃焼する際に発生する圧力)に耐える砲身の量産が不得意で、対戦車砲をはじめとして戦車主砲、高射砲の生産も遅々として進まなかった。しかし、ロケットを発射する場合は腔圧が事実上発生し無いに等しく、照準や撃発という部分を度外視すれば簡単なパイプやラックから発射することも可能だったのである。
そのため、携行型ロケットランチャーは極めて日本陸軍の情況に合致した兵器だったのだが、なぜか参謀本部も実戦部隊も全く関心を向けなかった。結局、日本陸軍はタ弾をあくまでも低初速火砲用の特殊砲弾と考え、歩兵が使用する携帯ロケットランチャーや無反動砲の開発にはあまり大きな力を向けることはなかった。
もちろん、連合軍の戦車を阻止するためには最低でも千門単位のロケットランチャーに加えて、それに見合うだけのタ弾が必要であり、日本軍にそれだけの兵器を用意することは全く不可能である。しかし、日本陸軍は1930年代の初めよりロケット兵器の研究を熱心に進めてたことなどから考えると、その気になれば1943年中に携行型ロケットランチャーを開発することも不可能ではなかったろうし、試験から直ちに量産を開始していれば硫黄島戦か、あるいは沖縄戦には実戦部隊への配備も可能だったかもしれない。
にもかかわらず、陸軍兵器行政本部では低初速で大きな装甲貫徹能力を発揮すると言うタ弾(成形炸薬弾)の利点を認める一方で、命中しても戦車の車体内部をあまり破壊できないという点や、戦車が金網やうすい鉄板を車体外側に設置するなどの対策をとると容易に阻止されてしまう、さらに初速が低いために命中させにくいなど様々な問題点を指摘している。また、タ弾に関心を示さなかったのは現場の将兵も同様で、そもそも成形炸薬弾の特性さえ把握していないような状態であった。
有効な対戦車兵器を開発する能力がありながらも、あえてそれを開発しなかった日本とは対照的に、アメリカ陸軍は1942年に制式化したM1ロケットランチャー(バズーカ)を直ちに量産し、連合軍の勝利に大きく貢献している。携行型ロケットランチャーの開発をめぐる日本とアメリカの違いは、生産能力の差以上に対戦車戦闘に対する認識の相違を感じさせられる。いささか斜視的にすぎるかもしれないが、このように必要な兵器を必要とされる瞬間に供給できなかったという事実は、日本の戦争指導方針そのものが長期計画を持たない場当たり的なものであったことを示唆していると言えないだろうか。
(隔週日曜日に掲載)