内容としては、企業ドラマモノの映画で、リストラの名の下に行われる会社の理不尽な仕打ちに対し、自らの意地と誇りをかけ立ち向かっていく、サラリーマンたちの姿を描くというもの。大量の不良物件と余剰人員を抱える太陽建設は、「特販部」という大層な名前の左遷部署を創設して、無茶な営業利益を命令し、柴田恭兵演じる滝川晃司や、中村敦夫演じる篠田洋など、以前に上司と問題があったり、無気力社員と断定された者達を退職に追い込もうとする。しかし、そこで問題社員たちが自分の働き方見つめなおし再起をはかる。この逆転劇が本作の見どころとなっている。
ストーリー前半は、滝川などの他企業からのヘッドハンティング組と、生え抜き社員組との衝突や、和解してからの奮闘を描く。とても単純な構成で、まるで団体競技の弱小校を強豪校にするような、スポ魂展開で進んでいく。後半は、度重なる妨害にもくじけない、左遷社員たちの戦いを描く。この後半の展開は、左遷社員たちが、困難に断つ向かうヒロイックな存在となっており、これまた、単純で非常にわかりやすい。最終的には決算報告会での逆転劇に向かっていくのだが、この脇道にそれず一本道に目標に進んでいく展開が本作の娯楽性の高さとなっている。
悪く言えば規定路線から外れない、「お約束」の詰まった作品ではあるが、だからこそ、こういった作品は価値があるのだ。最近ではドラマ『半沢直樹』などで、虐げられた企業戦士の逆襲というのが評価を得ている。なぜこういった作品が評価をウケるかと言えば、おそらく、これまで苦渋を舐めさせられてきた人々が、公然と立ち向かい、嫌な上司を痛快に倒すからだろう。普段言えないことを、架空の人物であっても代弁してもらえれば心はスカッとするものだ。今回の作品もそのジャンルと同じだと言って間違いない。
しかし、この作品の公開は94年と、『半沢直樹』の20年以上も前に、この結論に到達していることに注目して欲しい。同時期の企業モノといえば織田裕二主演で94年放送のテレビドラマ『お金がない!』などもあったが、こちらは、企業での痛快なサクセスストーリーがメインとなっている。そう考えると、まだ世間では、今ほど不況の閉塞感もなかったと言えよう。その時点で、これほど過酷な状況での逆転劇を題材としたのが、この作品を価値あるものとしている。
このジャンルで重要なのが、軟派な恋愛劇など入れている暇はないと言わんばかりの、徹底的なお上との対決姿勢と、困難に、知恵と体力を振り絞って向かっていく汗臭さだが、若干知恵の部分は足りないかもしれないが、概ねこの作品でもよく表現できている。
また、こういった企業を題材とした作品を作る際は、会議などで、多数の役職や、専門用語などが入り混じり、混乱する場合が多いので、わかりやすい役どころというのが必要となってくる。それは単純に「こいつが悪いヤツだ!」と感じられるような、テンプレートな悪役の存在だ。
この作品では、津川雅彦演じる横山輝生副社長がその役割を担っている。それはもうやり過ぎだという位に、本来副社長には取るに足らない存在であるはずの特販部の左遷社員に、ムキになって妨害工作を入れてくる。裏工作で、特販部の取ってきた契約を反故にするなどもちろん、時にはヤクザを雇っての物件破壊。さらには、弱みを握った特販部社員を利用しての物件への放火行為など、もうやりたい放題だ。次期社長のイスがかかっているとはいえ、自社の物件を破壊するなど、これはもはや異常な領域だ。津川もこの狂気の副社長になりきっており、滝川や篠田に、強烈な憎悪をぶつけてくる。この効果は絶大で、現代劇でありながら、時代劇のような勧善懲悪劇パターンに近い印象を受け、建設業界の事情をわからずとも、すんなりと話の展開についていけてしまう。
あと、この作品はバブル崩壊の影響が出始めの頃に制作された映画なので、今では別の部分も見どころになっている。リストラされる側の社員の退職金が数千万単位で「おお、すげえ、まだ金あったんだな」などと感じることもあるかも。他にも「自分たちで仕事をしたい。仕事に対して誇りを取り戻したいんです!」という滝川の言葉なども、派遣社員が多い現在の状況や、ブラック企業問題が顕著の現在ではそう簡単に言えない言葉だろう。あと、バブル崩壊後、余剰の土地となった場所にヘリコプターを飛ばして見に行くシーンなども、今となっては浮世離れした描写に映るはずだ。
他にも、伊東四朗演じる電気量販店社長の現金即金払い主義で札束を持ち歩いている設定などが、当時度々テレビに出演していた、城南電機の宮路年雄社長のようで、当時を知っている人は、思わずニヤリとしてしまうだろう。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)