Hが大学3年の夏休みの時、某県の廃村で一人、野営した夜のこと。奇妙な野獣のような声がテントの外から聞こえたため、彼はその声のした方向に探索に行くことにした。
(おかしいな、ちょうど昼間にうろついていた村の家屋群のあたりから声が聞こえている。あそこに何か獣が入りこんだのか)
Hは懐中電灯を持ち、その場所までたどり着いた。
その時。ふと目の前を見ると、人影のようなものが動いているのだ。
(なんだ、廃村と思っていたけど、人間がいるじゃないか。あの人も声を聞いて駆けつけたんだな)
そう思うとH君は急に強気になった。そして前方の人影に駆け寄り、声をかけた。
「こんばんわ、あのー」
Hの声に反応し、その人が振り返った。
するとその人の顔は、どろどろに溶けている。半ば腐っているようだ。
さらに、その化け物は
「ああーっ ああーっ」
と何やら、うめきながらHにつかみかかろうとした。
「やっやめろ、放せ〜」
その右手がH君の腕をつかんだ瞬間、いやな臭いが鼻をついた。物が腐敗した匂いである。Hは強引にその男の手を振りほどいた。すると、その腕は「ばさっ」ともげてしまったのだ。
(こいつら、死人なのか。亡霊なのか)
もげた腕は地面に落ちて、ぴくぴくと動いている。
(ヤバい、早く逃げないと)
いつの間にか周囲には数人の化け物が集まってきていた。
この死人は一体だけではなかったのだ。いや、それどころか数十匹の化け物が廃村のあちこちから姿を現した。
Hは、恐怖のあまりパニック状態となり、発狂しそうになった。
Hは脱兎(だっと)のごとく走り出した。化け物達は、臭い息を吐きながら、よたよたと追っかけてくる。
(捕まったら、殺される)
Hは、ラグビーで鍛えた脚力で、村中を走り抜けた。しかし、逃げる途中の物陰や廃屋から新手の化け物が飛び出てくる。Hは、果敢なタックルとフットワークで死人をかわしながら、無我夢中で走り山中まで逃げ込んだ。
そして、物陰に潜み、ようやく恐怖の一晩を過ごし、朝を迎えた。
翌朝、Hは考えた。
(村中に死人、亡霊があふれていた。しかも、奴らは全て肉体のようなものを持っていた。あれは自分の夢でなかったのだろうか。あんなことは現実にはありえないし、全ては寂しい山中で出てきた幻覚だ)
Hは勇気を持って、もう一度あの廃村に行ってみることにした。
村には特に変わりはなかった。昨日の昼間に見た状況と一緒であった。
自分のテントもそのままであった。
(やはりあれは、悪い夢だったのだ)
Hは荷物をまとめ、この場所を去ることにした。
そして村はずれに来た時、昨夜、化け物の「つーん」とした臭いが鼻をついた。
「んんっ!!」
Hが振り返ると、そこは墓地であった。
かつて、この地方で土葬が行われていたその村の墓地であったのだ。
Hが、墓石の隙間や地中の穴からじっと見つめる無数の視線を感じたのは言うまでもない。
(山口敏太郎事務所)