その西川が物心ついて最初に見たオリンピックは「体操クラブに通っていたころ(小学校2年生)のロス五輪。ラジオ体操が休みになった時、オリンピックも休みだと言われ本気でそう思っていた」その時からオリンピックを意識するようになっていた。
西川は1970年6月2日生まれの元オリンピック体操選手。88年、大阪・清風高校時代に同級生の池谷幸雄とともにソウル五輪男子体操の代表選手に選ばれ出場。団体で銅メダルを獲得する原動力となり“清風コンビ”と呼ばれた。当時、あのハンカチ王子こと斎藤佑樹投手並みのアイドルだった。
主な実績は、88年NHK杯選手権男子個人総合優勝、同年ソウル五輪団体総合3位銅メダル、90年北京アジア競技大会個人総合4位、92年バルセロナ五輪団体総合3位銅メダルなど。輝かしい戦績で数々の表彰台に立っている。
ソウル五輪後、西川は日本大学に進学、体操部に所属して次なるバルセロナ五輪へ向けて体操にのめり込み、再び団体で銅メダルを獲得して卒業。その後は、指導者になるべく大学院へ進学、95年に修了後も大学に残った。
そして現在、西川は日大の芸術学部の准教授を務めている。もちろん日大体操部の指導のほか、学生に体育の実技と講義を続けている。もともと日大の体育の教授や准教授には、かつての一流選手がその指導に当たっており、この傾向は今でも同じである。
現役時代はケガの少ない選手だったが、「鎖骨の亜脱臼や足首のじん帯損傷、そして腰痛には悩まされた」と語っていた。
◎あくまで地味 体操一本の道
88年のソウル五輪では、西川と池谷が高校生ながら大活躍して“清風コンビ”と呼ばれ、体操ファンや女性の注目を集めた。
ソウル五輪後、タレントになった池谷はいろいろなスキャンダルの渦中にいた。女性タレントとのできちゃった婚、女子アナとの不倫、そして離婚。さらには女性実業家との再婚、離婚と、派手なプライベートでしか話題にならなかった。だが、現在は都内で「池谷幸雄体操倶楽部」を設立して後進の指導に当たっている。
一方の西川は大学に残り、大学院に進学して体操一本で地道に後進の指導に当たり、日本のスポーツ界の発展に尽力している。
ある新聞記者が西川に「今の学生は西川さんをどう思っていますか」と質問したところ、「学生は僕のことなど知りません」がその答えだった。