1991年に女優デビューした常盤貴子は、少女時代に大手芸能事務所であるスターダストプロモーションの門を自らたたき所属。しかし、タレントとしてのスタートは決して恵まれたものではなかったようで、10代後半はタレントとバイトの両方をこなす下積み時代があった。
「常盤貴子がテレフォン・セックス嬢だった。」
これは、今から15年くらい前、女子高生の援助交際が社会問題になる少し前、渋谷界隈のテレフォンクラブでよく聞かれた話だ。
当時はまだ携帯電話のメールサービスや「出会い系サイト」などがあまり普及しておらず、外から女性が遊び半分で掛けてくる電話を個室で待つテレクラが大はやりだった。男性が自宅で電話を受け取るプロフィール・ツーショットも全盛期。実際遊ぶオトコを物色する女性もとても多かったのであるが、テレクラを利用する男性の第二の目的であるテレフォンセックスに付き合ってくれる女性がいなかった。特に深夜はそっちの客の方が多いので、店は専門に「エロい声色」を使い客の相手をする「オペレーター嬢」といういわゆるサクラの女の子を大量に雇っていた。もちろん、店でサービスする訳ではないので、別の事務所に大量に電話を引き、音が漏れないように仕切った個室で女性を働かせていた。そしてたいがいそういう事務所は、夜遊び好きの女の子がそのまま流れ込んでくるように渋谷や恵比寿など、都会のど真ん中の雑居ビルの一室にあり、女性同士が顔を合わせる事になる。
当時高校生(当時はまだ規制がゆるかった。)でそんなサクラのバイトをしていた女性・Aさん(37歳)に話を聞いた。彼女が働いていた事務所に、しばらく常盤貴子がいたという。しかし、彼女が実際に見た訳ではなく、その店のオーナーから聞いた話で、オーナーは何軒も同じ店を経営していた。声の仕事なので服装に構わない女の子ばかりの中で、オシャレで美人な常盤はとても目立っていて、仕事で別の名前を名乗っていたが、オーナーはその後テレビの常盤を見てすぐ分かったという。仕事ぶりは至ってマジメ、当時10代だったにもかかわらず、エッチな声色がすごく上手かったとのことだ。男をソノ気にさせる演技力はバツグンだったようだ。
ムダ話をして時間を引き延ばしては、適当に待ち合わせをとりつけバックレる、客に迷惑をかける女の子や、サクラをしながら実際に電話がつながった男と援助交際に走る女の子も多かった中、純粋に会話やテレフォンセックスで稼げる常盤は店としても重宝で、本当はやめて欲しく無かったそう。
事務所を去って1年ほどして常盤は、フジテレビ系ドラマ『悪魔のKISS』で、借金苦から風俗嬢に転落する女子大生役を熱演し一躍スターダムにのし上った。彼女が、マッチョで横暴な男にタオル剥がれ、白い乳房を揉まれるという、「初めて客を取るシーン」を体当たりで演じきったたのも納得。テレフォンセックスの客だってSMから赤ちゃんプレイ、金髪美女のセリフを要求されたり、いろいろな注文に答えなければならない。アメを舐めてフェラの音を出したり、実際にオナニーして秘部の音を聞かせる事もある。リッパな風俗だ。常盤はテレH嬢のバイトで度胸をつけたかったのかもしれない。
ちなみに、常盤の「初めての客」役だったのは、当時20代だった『相棒』の寺脇康文。撮影直前まで常盤がヌードだとは知らなかったという。
まさに“役得”とはこの事だ。