これは1945年から1950年にかけて、太平洋北マリアナ諸島に位置する孤島「アナタハン島」にて発生した怪奇事件で、5年の間に一人の女性を巡り、13名もの男性が死亡および行方不明となった事件である。
1944年、サイパン島で事業を行っていた企業の社員、比嘉菊一郎と、その部下の妻・比嘉和子はアナタハン島へやってきた。しばらくして爆撃で沈んだ船に乗り込んでいた海軍兵士ら男31名がアナタハン島へ流れ着き、彼らは共同生活をするようになった。
そして、1年後の1945年、日本は敗戦を迎えサイパン島での事業も中止。終戦時の混乱により日本軍から迎えに来ることはなく、彼らはアナタハン島に置き去りになってしまったのだ。彼らは原始人のように魚を捕ったり芋を栽培したりして生き延びたが、いつまで経っても助けに来ない現状に不安を覚え、次第に精神力は限界になってきた。
さらに、残された男たちは若い10代〜20代ということもあり、ただ一人の女性である和子を狙い、絶えぬ欲望をむき出しにしていったのだ。
そんな中、山の中で一人の若者が実弾の入った拳銃2丁を手に入れる。引き金ひとつで人間の命を奪うことができる拳銃の存在は、この島において「絶対的権力」の象徴であり、和子の体を独り占めするために使われたのだ。
そして、男性が一人、二人と謎の不審死を遂げて行き、彼らが日本政府に見つかり保護された際には、男の数は19人に減っていたのである。
マスコミは、生き残った和子のことを「男を誘惑した悪女」「女王蜂」そして「アナタハンの女王」と呼び、好奇の目にさらした。和子も自身は故郷の沖縄でひっそりと暮らすことを望んでいたが、生活のため東京へ行きストリップ嬢として働いたり、和子主演の映画(『アナタハン島の真相はこれだ』)に主演するなど平穏な日々は訪れなかった。
彼女もまた、戦争という時代に翻弄された犠牲者の一人だったのだろう。和子は終戦から29年後の1974(昭和49)年に脳腫瘍で倒れ、51歳の若さで亡くなっているが、和子および「アナタハン島事件」をモデルにした小説(桐野夏生『東京島』など)や映画は現在まで多く作られている。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)