岸田は2005年のドラフト会議で、履正社高校、東北福祉大学、NTT西日本を経て、オリックスから3巡目に指名を受けて入団。38歳、プロ14年目となる今シーズンは、プロ入り後初めて一軍での登板がなかった。しかし、ファームでは勝敗こそつかなかったものの、ここまで9試合に登板し、防御率1.08の成績を残している。
チームは19日にCS(クライマックスシリーズ)進出が消滅したこともあり、発表に踏み切ったと思われる。球団はきょう20日の夕方、京セラドーム大阪内で会見を行うことも発表しており、本人の口から引退する理由や今後について、明らかにされることだろう。
岸田は先発から中継ぎ、クローザーと、チームのためにフル回転してきた。2010年には、当時の岡田彰布監督から、平野佳寿(現ダイヤモンドバックス)とともに、勝利の方程式の一角を任され、クローザーを務めていた外国人選手のジョン・レスターが不調に陥ったことから、クローザーを務めるなど、2010年は16HP、12セーブの成績を収め、最終戦までCS進出を争った2011年は33セーブの大活躍。2012年を最後に守護神の座を平野に譲り、岸田はセットアッパー、中継ぎ、時には先発に復帰をした。しかし、平野、比嘉幹貴らとともに、現在も受け継がれている明るく鉄壁なブルペン陣を構築したのは大きい。
チームメイトの後輩からも「マモさん」の愛称で親しまれ、ファン感謝祭や、激励パーティーで見られる岸田の爆笑トークは、ファンにも好評で、釣り好きなことでも知られている。オールスター戦には2011年、2012年と2年連続出場。2009年には二桁勝利(10勝)を記録している。近く、引退試合および引退セレモニーが行われると見られており、背番号「18」の勇姿を京セラドームでもう一度目に焼き付ける機会があるはずだ。
ファームでは元気に登板していただけに、残念なニュースだが、岸田がチームに残した功績は偉大。心から拍手を送りたい。
(どら増田)