「甲子園で始まって、いろいろあって、甲子園で終わるのかな…」
今年の試験会場は、球児たちの聖地・甲子園球場だった。感慨深いコメントをしてくれたのは、新垣渚(36=元ヤクルト)である。第80回夏の甲子園大会でスターダムに上り詰めた彼の球歴も思い出される。
その新垣は第7組目で登板した。打者3人を凡打に仕留め、首にタオルを掛けたまま球場内の通路まで下がってきた。
−−今日のピッチングを振り返って?
「まあ、どうだろう…。見せたかったのはストレート。60%から70%の出来で、(バックスクリーンの)スピードガン表示を見たら、思ったよりも数字が出ていなかったので悔しいとも思ったけど、今の自分ができるピッチングはできたと思うので悔いはないです。今日が最後になっても悔いが残らないよう、思いっきり投げました」
試験翌日以降、新垣は他球団からのオファーを待つことになる。その胸中についても質問すると、「独立リーグには行かない」と言い切った。
−−もしNPBからのオファーがなかったら?
「引退ですね…」
淡々とした口調だったが、表情を曇らせた。同世代の松坂大輔、杉内俊哉らは今も現役で故障からの復活を目指し、頑張っている。そのことを伝えると、言葉を選ぶようにこう答えた。
「そういうのを見ると、まだやりたいなあって思うんだけど…。もうひと花、僕も咲かせたいって思うんだけど、どうなんだろう?うん…、家族もいるし、稼がなきゃいけないし、迷惑は掛けられない。嫁は『一生懸命やって』と言ってくれて。まだ自分に限界は感じていないけど、嫁や家族もいる。今日までは自分の無理を言わせてもらったけど、今月末かな、(オファーがなかったら)区切りをつけたい」
報道陣の囲み取材に応じる前、新垣は報道・関係者の受付口前で家族と合流した。そして、ユニフォーム姿で記念写真を撮った。
「今日が最後になっても悔いが残らないよう、思いっきり投げました」
新垣は沖縄水産高の剛速球投手として全国に名を知らしめた。1998年ドラフト会議では当時の福岡ダイエーホークス入りを“熱望”したが、オリックスブルーウェーブと指名が重複。交渉権はオリックスが取ったが、ドラフト前に宣言していた「ダイエー以外だったら進学」の言葉を実行した。4年後、逆指名でダイエー入りの夢を叶えたが、説得交渉にあたったオリックススカウトの悲報もあり、素直に喜びを表すことは出来なかった。
09年以降、新垣の登板数は激減し、14年にはヤクルトに移った。今季は僅か1勝、06年以降、2ケタ勝利は収めていない。
取材が終わるのと同時に、独立リーグの関係者が新垣に歩み寄ってきた。旧知の知人らしく、「お久しぶりです」と握手を交わした。暫し談笑。そして、その関係者が独立リーグでの再起を改めて打診した。
「アレ、捕れるの、いないでしょ(笑)」
2人目の対戦打者を追い込んだ後、新垣は“ワンバウンドの暴投”を放った。正確には暴投ではなく、スライダーが鋭角に曲がりすぎて、ワンバウンドしたのである。新垣は暴投王の汚名も頂戴しているが、その大半はスライダーが鋭角に曲がりすぎたためとされている。この日のその暴投を指して、「捕球できるキャッチャーが独立リーグにはいない」と称し、笑いを誘ったのだ。
「お疲れさまでした」。報道陣に晴れがましい笑顔を見せ、新垣は甲子園を後にした。今日の登板を「甲子園での思い出」にするのはまだ早すぎるのではないだろうか。(スポーツライター・美山和也)