1998年夏、松坂大輔の活躍は説明するまでもないだろう。しかし、中日ドラゴンズに移籍した2年目の今季、“復活の初登板”は5回4安打2失点とまずまずであったが、2度目の登板は目も当てられないほどだった(7月27日/DeNA戦)。その後、各メディアが酷評していたのは繰り返すまでもないが、バッシングを糧に変えた甲子園ヒーローもいる。2006年、夏の甲子園大会史上、37年ぶりとなる決勝戦の引き分け再試合を戦った田中将大(30=ニューヨークヤンキース)のことだ。
田中は7月25日(現地時間)のレッドソックス戦で自己ワーストとなる被安打12、失点12を記録し、地元ニューヨークのメディアにボロクソに叩かれていた。
米国人ライターが当時の状況をこう説明する。
「ニューヨークのメディアはヤンキースが負けると、その戦犯選手を徹底的に叩きます。活躍すれば褒めることもありますが、勝って当然みたいな論調なので、シーズン中、好投を続けているピッチャーのことはあまり触れません。また、今季のヤンキースは田中中心のローテーションが組まれており、彼が負けることは、目下、ア・リーグ東地区の首位を独走しているチームの勢いも止めることになるので、地元メディアは容赦しなかったのでしょう」
田中の次の登板だが、5回途中2失点。先発ローテーションの中心投手としては決して褒められる内容ではない。しかし、今季の田中は「ある課題」を抱えていた。昨季まで、空振りが欲しい場面で田中が使っていた変化球はスプリット(フォークボール系)を使っていた。そのスプリットだが、今季よりメジャーリーグ仕様の公式球の形態が少し変わり、ボールの縫い目が低くなった。その影響だろう。田中がイメージした軌道で落ちなくなり、勝負どころで手痛い一打を食らっていた。
「スプリットを投げる時、本人も気付かない投球フォームのクセがあるのではないかと、ヤンキース首脳陣も心配していました。今季序盤から田中は調整法を変えてみたり、ブルペン投球の際もスタッフに頼んで、『投球数値データ計測器』でボールの回転数や軸を分析してもらうなど、必死でした」(球界関係者)
5回途中2失点(同31日)、スプリットで空振りを取る場面も見られた。
田中には“屈辱”をバネに変える精神力がある。松坂が不マジメだという意味ではないが、両投手の米挑戦前を知るプロ野球解説者によれば、田中はコーチに聞く質問の内容が深いという。そして、松坂はどちらかというと、感性のタイプだそうだ。
田中は理論派なので、不振の原因をボール回転数などの数値で話をしようとする。だから、コーチと「不振の原因」を共有できるのだろう。かつて日本のプロ野球界には「松坂世代」という言葉があった。同年代に多くの主力選手が出現したからであり、彼らの大多数は松坂という天才に触発されて成長していった。田中たちの年代は「ハンカチ世代」と呼ばれた。その中心であった斎藤佑樹は二軍で苦しんでいるが(同時点)、田中の先発ローテーションを守りながら、スプリットのキレを取り戻そうと努力している点は、もっと評価されていいのではないだろうか。
田中が甲子園時代のライバルだった斎藤を引き離して久しい。松坂大輔の現成績は日米通算170勝、田中は7月20日のロッキーズ戦で勝利し170勝で並んだ。松坂を逆転するのも、時間の問題となった。日々の小さな努力、研究が後々、大きな差となって表れるというわけか…。(スポーツライター・飯山満)