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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(59)

 徳次が幼い頃から親しんだ本所や深川は、大震災で壊滅的な打撃を受けた。

 しかし、亀戸の工場用地と長屋、その長屋を管理する熊八は無事だった。熊八の妹のひさと、その娘の糸、芳松夫妻、巻島夫妻も無事が確認できた。政治はじめ、登鯉子、彦次郎、静子、欣々の5人の兄と姉も助かっていた。ただ盲目の井上せいの行方だけが不明だった。
 マグニチュード7.9、死者、行方不明者15万人、罹災者340万人以上と発表された関東大震災は、徳次からかけがえのない家族を奪った。しかし、その悲しみに打ちひしがれてばかりはいられなかった。
 被災した従業員のうち、どこにも行くあてのない70人ほどが徳次の元に残っていた。手元には銀行預金が1万円、メッキ用の金の延べ板が価格にして4000円分ほど、他のこまごましたものを合計しても総計1万6、7000円しかなかった。

 機械の一部は修理すれば使用可能な物もあり、それが2万2千数百円というところだった。
 徳次は、政治と共に事業復興のための資金作りに奔走してみた。しかし、周囲の全てが打撃を受けていて、とても目途(めど)は立たない。現金は皆の食費などに消えていく一方で、大震災から1カ月が経つ頃には心細い状態になった。
 そんな状況に追い打ちをかけるように、10月に入ると日本文具製造東京支社から特約解消の通知がくる。“エバー・レディ・シャープペンシル”の関東方面の販売を委託していた会社だ。特約の契約金1万円と、事業拡張資金として融資していた1万円の計2万円を即座に返済願いたいという内容だった。
 早川兄弟商会の存亡にかかわる問題だ。徳次は考え抜いた結果、早川兄弟商会をいったん解散して、エバー・レディ・シャープペンシルの事業の一切を日本文具製造に譲渡することにした。

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