嶋大輔や紅麗威甦の杉本哲太の人気も上昇してきて『大輔・哲太のRock'n Roll』という楽曲でレコードを発売した。アーティスト名は、嶋大輔&杉本哲太+1。「+1」って何?って誰もが思ったことだろう。この+1というのは、ギターを担当していた芝一彦である。嶋と杉本が主役のユニットなので、この芝は目立つことは無かったが、83年4月に矢吹薫と改名をして『お前がまぶしすぎて』でソロデビューを果たすことになった。+1時代とは打って変わって、いかついロックンローラー系の風貌から爽やかなアイドル風に変わり、アイドル番組『レッツゴーヤング』(NHK系)でサンデーズの一員となり、アイドルとして活動を開始した。
元々は横浜銀蝿が好きだった私は、いわゆる銀蝿一家のメンバーを常に注目していたこともあり、もちろん矢吹のアイドル活動もチェックしていたのだ。そんな矢吹と初めて会ったのは、84年の夏頃である。矢吹が『エイティーン・キャンドル』という曲を歌っていた頃。この日はTBSラジオで公開収録があって、終了後に出演者の出待ちをしていたのだ。そこに続々とアイドルが出てきて、アイドル周りにはファンが殺到した。ひと段落したところで、矢吹が出てきたのだが、多くの出待ちをしていたファンたちは、お目当てのアイドルが出てしまったことで、ほとんどの人は現場から撤収してしまった。その場に残っていた私は、出てきた矢吹に「お疲れ様」と声を掛けてみた。すると笑顔で会釈をしてくれたので、まずサインを貰った。そして写真を撮らせてもらって、少しの時間だったが、談笑することができたのだ。横浜銀蝿についてのことや、今の活動のことなど、その時に聞きたかったことは全部聞いたような気がした。
この翌年にはアイドル活動を辞めてしまったので、矢吹と会って話したのは、この日が最初で最後になってしまった。80年代後半になると、矢吹は元々やっていたギターに専念をして、多くのアーティストのバンドのギタリストとして活動していた。あくまでもバックでギターを弾くのがメインだったが、2007年には『抱きしめたい☆』というバンドを結成、そのバンドには、元紅麗威甦のLeer(リー)・同じく元紅麗威甦のMitz(ミッツ)、かつて銀蝿一家に属していた森一馬、横浜銀蝿とゆかりのあるDr.涼がいた。そこで矢吹はギタリスト兼ボーカルを担当することになった。本家の横浜銀蝿のメンバーはいないが、銀蝿一家好きにとってはたまらないバンドである。しかしこのバンドは長く続ける感じではなく、一過性の企画モノのようなバンドだったこともあり、それから矢吹はソロを中心に歌っている。
現在はアーティスト活動はもちろんだが、「四谷ライブインマジック」というライブハウスの運営も手掛けている。そこに矢吹本人も出演して歌うケースもあるので、当時を知る人にとっては、聖地になりつつある。四谷ライブインマジックと言えば、1990年代後半から地下アイドルの聖地として親しまれた場所でもあるので、地下アイドルファンもそういう場所で、現在の矢吹の歌声が聞けるのは嬉しいことである。
今後もアーティスト・矢吹薫は突き進んで行くと思うので、期待したいと思う。おそらく無理なことだと承知の上だが、もしできるのなら嶋大輔&杉本哲太+1の一夜限り、いや一曲限りの再結成をしてもらいたものだ。さすがに色々な事情があって難しいかな。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。