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「おぐらが斬る!」慶応高校野球部に観る髪型の自由と、学校教育の旧軍隊の影響

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甲子園球場

慶応高校野球部の長髪と活躍が話題になっている。高校運動部の髪型は、野球部に限らず平成の前半くらいまで、強豪校ほど丸刈りであったように思う。

日本人の髪型が自由になったのは、明治時代になってからだ。それ以前の江戸時代は、職業によって髪型が決められていた。時代劇で泥棒が風呂敷で「ほっかむり」をするのは顔を隠すだけではなく、その身分も隠すためだ。町奉行遠山の金さんも「ほっかむり」をして悪人の所へ乗り込むのもそのためだ。

明治4年(1871)に散髪脱刀令が出され「髪型を自由にしてよい」ことになった。それまで髪型を自由にしたことがない大衆は戸惑ったのではないだろうか?

明治6年(1873)徴兵令が制定された。兵士の髪型は基本、元帥から二等兵まで丸刈りである。ただし外交を行う海軍の一部などは長髪が認められた。欧米では「丸刈り=囚人の髪型」というイメージであったからだ。

丸刈りにするにはバリカンが必要で、バリカンの輸入によって丸刈りという新しいスタイルが誕生し、普及するようになった。明治21年(1888)には、バリカンが国産化されている。

兵士を丸刈りにするのは、集団生活ではケジラミやノミが発生しやすいし、頭部をケガした場合も、ケガの場所がわかりやすいからだ。この髪型は児童・生徒・学生に浸透していく。

おもしろいことにこの時代、質実剛健、男らしさ、勇猛さなどを主張する「バンカラ」と言われる学生が登場したが、彼らの髪型では長髪を良しとした。丸刈りばかりの周囲への反抗だろうか?

学校教育の中に見られる軍隊の影響としては、明治期に軍服をモデルにした詰襟の学生服が誕生し、大正期にはほとんどの学校が詰襟の学生服となった。この時代に日本の男子学生や男子生徒と言えば、ほとんどが学生服に丸刈りとなったのである。

ただし現在の学生服は、詰襟からブレザーに、取って代わられようしとている。

学校教育への軍隊の影響といえば、運動部ではいまでも、監督と選手間や、上級生と下級生間の封建的な上下関係が残っているが、これも軍隊がルーツと言われている。

また運動会でも、いまだに「休め、気をつけ、前へならえ、なおれ、右向け右!」とさらに「行進」など軍事教練と同じことが行われている。明治時代にはじまった学校教育は「良き兵隊」を作るためでもあったからその影響だろう。軍隊というものは、個性や自由よりも集団行動が必要とされるからだ。

戦後、日本の教育者には左翼という「軍隊絶対反対主義者」がたくさんいたのに、これら軍隊の影響を強く受けた教育法に、強く反対してこなかったのは、少し不思議である。

慶応高校野球部の活躍や髪型の自由を見ていると、日本の教育はいまだに残る軍隊の影響から、少しずつ脱しつつあるのだろうか?

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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