現在はインターネット技術の発展もあり、中継においてはスムーズで安定した映像供給が行われ、中継失敗のハプニングの数は減っているという。
だが、昭和から平成初期にかけての生中継は失敗も多く、放送局は謝罪や代替企画の制作に追われていたようだ。
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1990年10月28日、フジテレビは東京・パリの友好都市提携記念行事である「国際親善パリ駅伝」の中継を行っていた。だが、当日の天候は最悪で雨や風が強く霧も出ていたため、中継用のヘリコプターが飛ばせなくなるなど、ハプニングが相次ぎフジテレビは駅伝の中継を断念した。
その代わりに放送されたのが、駅伝番組のゲストに招かれていたF1レーサー・鈴木亜久里氏と司会者のトークと過去のF1中継の映像であった。当時の日本は「音速の貴公子」アイルトン・セナを中心とした「F1ブーム」に沸いていた。現在は主に深夜放送でしかF1のレースは見られないが、当時はゴールデンタイムでF1の関連番組が放送されるなど人気絶頂で、F1以外の番組でもスター選手がゲストに呼ばれる事も多かったのである。
フジテレビ側も「F1の企画なら視聴者も納得してくれるだろう」といった算段があったと思われるが、F1ファンと駅伝ファンは必ずしも合致しないため、フジテレビ側には1500件以上の苦情や問い合わせの電話が鳴り響いたという。
中継の失敗はともかく、「代替企画」の選択ミスとは少々珍しいパターンでのハプニングである。