小泉は1982年3月、シングル『私の16才』でアイドル歌手としてデビュー。「キョンキョン」の愛称で多くのファンを魅了し、アイドル黄金期の中でも“箔”のある「花の82年組」と呼ばれる1人である。私生活では1995年2月、当時28歳の俳優・永瀬正敏と結婚。ド派手な衣装に身を包んだ小泉(当時29歳)“らしい”結婚会見は当時、大きな話題となった。
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2人の出会いは1993年5月発売の雑誌『an・an』(マガジンハウス)の対談で、もともと小泉が永瀬の才能にほれていたことから、すぐに恋愛関係に発展。同年9月には小泉が永瀬のマンションを訪れ、車で一緒に出かける姿がキャッチされるなど、堂々と交際を続けた。
「婚姻届を提出し、そのまま結婚発表会見を開いた小泉は『形式的なことはやりません』と報告。披露宴どころか結婚式もプロポーズ、新婚旅行もなしの超ジミ婚でしたね。会見場となった画廊では永瀬が撮影した夫妻のプライベート写真展が記念に開かれただけでした」(芸能ライター)
ところが9回目の結婚記念日を迎えた2004年2月、夫妻は離婚届を提出。小泉は自身のHPで「今回のことはお互いがより自由に生きるための決意」とコメントした。
2015年2月、ニュースサイト『AERAdot.』は、2008年発売の雑誌『AERA』(朝日新聞出版)で掲載された小泉のロングインタビューを基に、結婚当初の背景を報じている。記事によると、小泉は芸能界を引退して家庭に収まるつもりでいたが、それを止めたのが永瀬だったという。というのも当時、小泉は日本の女性というのは家庭に入るべきと考えており、「妻」となってからは仕事と板ばさみでつらかったとも同誌に打ち明けている。実際に入籍後、1年間ほど活動をセーブしていた期間もあった。
「1999年夏頃から夫婦の不仲説が浮上したのですが、当時、原因といわれたのが映画撮影の合間を縫って、香港へと頻繁にひとり旅に出る永瀬に浮上した遠距離不倫のうわさでした。一方で、子どもを望む小泉に対し、永瀬が子作りに反対していると取り沙汰されるなど、不仲報道がマスコミをにぎわすようにもなった」(芸能関係者)
2014年2月、ニュースサイト『日刊ゲンダイDIGITAL』によると、当時の小泉は「いつもひとりでさみしい」と周囲につぶやき、永瀬は仕事仲間に「夫婦としてはもうダメかな」と漏らしていたと報じている。にもかかわらず、夫妻が離婚しないのは「CM契約に縛られているから」といわれ、“仮面夫婦”説までもが浮上したと伝えている。
そんななかの2002年、夫妻はドラマ『私立探偵 濱マイク』(日本テレビ系)で共演。このとき復縁説も流れたが、夫婦関係の修復には至らなかった。2人は離婚後にも2011年2月公開の映画『毎日かあさん』に夫婦役で出演しており、大きな反響を集めたものの復縁とは無関係だったようだ。
離婚理由は諸説あるようだが、2014年に発売した写真家・荒木経惟氏によるオフィシャルブック・シリーズ『アクターズ・ファイル 永瀬正敏』(キネマ旬報社)の中で、小泉が永瀬についてのインタビューに応じ、「(離婚は)背負っているものに対して、一緒にいることがきつくなってしまったという感じだったから」と、真相に触れていた。
現在は事務所の社長以外に活動の場を舞台に移した小泉。公私ともに支え合う俳優・豊原功補との行く末にも注目が集まる。