>>ポスト・嵐は荷が重すぎた? 関ジャニ∞がソロ活動に力を入れざるを得ない理由<<
公式では、メンバーの村上信五、横山裕と同じ96年入所。12歳で初めて履歴書を送ってオーディション会場に行くと、終了後に元メンバーの渋谷すばると雑誌の取材に呼ばれた。「合格」の合図だった。ところが、その後の連絡が途絶えたため、翌97年に再び受けた。オーディション会場で山盛りのお菓子を持ってきてくれた故・ジャニー喜多川元社長から、「YOU、受かってるのになんでこんなところにいるの?」と言われ、2度受かったことを知った。
小さい頃から、頭は弱いが顔がいいことが親の自慢だった。履歴書を送ったのも、父から「お前は目立つことが好きやし、アホやけど、割と男前やから送ってみろ」と勧められたから。難関とされるジャニーズオーディションに2度も合格したことで、その美少年ぶりが実証された。ゆえに、小学生の頃は性犯罪ギリギリの目に遭っている。
京都市内の小学校に通っていた時、塾にも行っていた。その道中にあった公園で、大学生ぐらいの男性から声をかけられた。丸山少年が生まれて初めて経験したナンパである。丸山は相手の言うことが理解できず、ケンカを売られたと思い込んだ。
男性から「公園の、ちょっと奥の方に行こう」と誘われると、そのまま後をついて歩いた。人影がなくなり、大きな木に近づくと、いきなり体を押さえつけられ、「チューしよう」と迫られた。抵抗すると暴力を振るわれるのではないかと思い、「ちょっと待ってください」と体を引き離した。その隙に、自転車に乗って全速力で逃げた。間一髪で男性とのファーストキスを回避できたが、その日以降は公園を見るたびに怖い記憶が蘇った。
件の大学生風男性が少年好きだったのか、当時の丸山が声をかけたくなるほど美しかったのかは不明。“ジャニーズ顔”であったことは確かだろう。
そんな丸山は、関ジャニとして大みそかの「第72回NHK紅白歌合戦」(NHK総合ほか)に連続10回の出場を決めた。容姿だけではなく音楽スキルも兼ね備えていることを証明できて、面目を保ったか。
(伊藤由華)