「高津、石井両監督ともプロ1年目の年の投手コーチが安田さんでした」(球界関係者)
昨年の今頃は野村克也氏の訃報があった。ファンにとっても悲しい限りだが、その野村氏が監督を務めていた時代、安田氏についてこう評したことがある。「日本一のスコアラー」。
「野村さんがヤクルトの監督を引き受けた後、増員したのがスコアラーでした」(前出・同)
ざっくり言うと、スコアラーとは対戦チームに密着し、ピッチャーの配球や主力バッターの不得手なコース、変化球などを調べ上げるのが仕事だ。野村氏がそれを増員させたのは調べ上げてもらいたい項目が多いからだが、投手コーチからスコアラーに転身した安田氏を「日本一」と称賛した理由は、大量な仕事をこなせたからでもなければ、仕事が早いからでもなかった。
対戦チームの主力バッターの苦手な球種が「外角の落ちる変化球」だったとする。普通のスコアラーなら、ここまでデータ収集と解析は終了だ。しかし、安田氏は違う。自軍の投手に当てはめ、カーブ、スライダー、チェンジアップなど、「この投手にはあの球種を投げさせ、あの投手には…」と、より具体的な攻略法を提案していたという。
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また、高津監督らの現役時代は「良き相談相手」でもあったようだ。
「選手に声を掛けるタイミングが絶妙なんです。先発投手が大事な試合前の登板で緊張していると、一人になった時に話しかけたり、新人が練習の流れが分からず、戸惑っていると、他選手がその新人をいじりたくなるようなジョークを言ったり。コーチミーティングや編成会議では聞き役に徹し、二軍降格を告げられた選手にも励ましの言葉を掛けていました」(ベテラン記者)
スコアラー、スカウトとして活躍されていた90年代、神宮球場のスタンドで何度かお見かけしたことがあるが、メディアに対しても「お疲れ様~」と必ず声を掛けてくださった。好々爺といった雰囲気だった。
1978年のチーム初優勝、日本一にも貢献しているが、入団した当初は“万年最下位”だった。指導者に転じてからもBクラスと優勝の両方を経験している。
だからだろう。昨年オフ、氏はOBの会合で高津監督の元に歩み寄り、
「オレもこんなだけどガンバレよ」
と、激励の言葉を掛けたそうだ。
頑張っていれば、いつか報われる。つらい時をどうやってしのぎ、建て直すかが大事なんだ、と――。
球団発表によれば、近年は病との戦いだったそうだ。左のサイドハンドから繰り出す変化球は独特の軌道を描き、世界の王貞治氏を苦しめた。高津監督もこのままでは終われないと思っているはずだ。2年連続最下位からの逆襲へ。(スポーツライター・飯山満)