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巨人・長嶋監督の策略が歴史的フィーバーに! 当時6歳の現役選手も現場に? 50億円以上をもたらした伝説の春季キャンプ

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長嶋茂雄氏

 毎年2月1日から同月下旬ごろまで、宮崎や沖縄を舞台に各球団が行っているプロ野球春季キャンプ。今年も明日から全12球団が一斉にスタートさせる。

 今年のキャンプはコロナ禍の影響により全球団が無観客で行うことが決定しているが、例年なら“球春到来”を待ちわびたファンで初日からにぎわいを見せる。中でも伝説的な盛り上がりを見せたと語り草になっているのが、2000年に宮崎で行われた巨人の春季キャンプだ。

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 同年の巨人は長嶋茂雄監督が就任8年目(通算では14年目)のシーズン。1996年を最後にリーグ優勝から遠ざかり前年も2位だった巨人は、オフに江藤智(←広島)、メイ(←阪神)、工藤公康(←ダイエー)と積極補強を敢行した。

 この3名のうち、江藤は広島時代に長嶋監督と同じ背番号「33」を着用していた。ただ、長嶋監督は江藤に同番号を譲り、自身は現役時代(1958-1974)の背番号「3」を着用することを決断した上で獲得を実現させた。

 巨人の背番号「3」は長嶋監督の引退後は永久欠番となっていたが、江藤獲得の影響で26年ぶりに復活することに。そのため、江藤の加入直後からファンやメディアの間では、長嶋監督がいつ背番号「3」のユニフォーム姿を披露するのかが話題に。当初は2月1日の春季キャンプ初日で披露するとの見方が強かったため、キャンプ地である宮崎総合運動公園には初日から数万人のファンが詰めかけた。

 ところが、長嶋監督は大方の予想に反して上着姿でグラウンドに登場し、最後まで上着を脱がないまま初日が終了。翌日以降もなかなか上着を脱がず、キャンプ地を訪れたファンや報道陣をやきもきさせた。ただ、「もしかしたら今日見られるかも」と考えるファンは多かったのか、休日に比べて集客が見込みにくい平日でも例年に比べて観客数の落ち込みはなかったという。

 キャンプインから12日目の2月12日、遂にその瞬間が訪れる。この日、長嶋監督は午後から江藤にノックを行うため車でグラウンドに登場したが、ノック開始直前にさっそうと上着を脱ぎ背番号「3」のユニフォーム姿を初披露。球場に詰めかけた約5万5000人の観衆からは待ってましたとばかりに大歓声が挙がった。

 その後、「江藤! 死に球は打ってないぞ俺は!」と熱のこもったノックを約40分続けファンを魅了した。当時の報道では「本当は初日で脱ごうと思ったんですが、いつの間にか脱ぎづらい雰囲気になって」とのコメントが伝えられているが、本人は背番号「33」の江藤に「3」を背負った自身がノックをする光景が一番絵になると考え、12日を選んだのではとの見方は根強い。

 長嶋監督の“焦らし戦法”の効果もあってか、巨人はこの春季キャンプ中に約26.7万人と断トツの観客動員数を記録(2位は西武で約8.1万人)。背番号「3」披露当日に記録した約5万5000人は、1日当たりの観客動員数としては他球団を含めても歴代トップとされている。また、後年の報道では経済効果も当時としては破格の約52億円だったと伝えられている。

 なお、背番号「3」披露の瞬間に立ち会った観客の中には、当時6歳の西武・源田壮亮も含まれていたことが過去の報道で明らかとなっている。源田は父親に連れられて巨人キャンプを訪問しており、とにかく人が多かった記憶が今でも残っているという。
 
 現在の巨人春季キャンプは紅白戦が行われる休日などに、3万後半~4万人ほどの観客が集まれば大盛況といわれることが多い。一監督のユニフォーム姿見たさに5万人以上が殺到するような光景はもうこれから先は見られないのかもしれない。

文 / 柴田雅人

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