当時プロ14年目・38歳の1994年オフに、プロ入りした1981年から過ごしてきた西武からダイエーにFA移籍している石毛氏。今回の動画では決断に至った経緯や、宣言後に自身をダイエーに招いてくれた恩人の存在について語った。
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移籍前年の1993年に「.306・15本・53打点・133安打」をマークする活躍を見せたが、球団は同年オフに自身と同じ三塁手の助っ人・パグリアルーロを補強した。「(今になって)冷静に考えてみたら当たり前のこと」と助っ人獲得は自身の衰えや後釜の準備を考えてのものと推測したが、当時は「俺という人間がいるのになぜ?ふざけるな!」と球団に不信感を抱いたという。
それでも、ライバル加入を「もう一度競争しろ」という球団からのメッセージと捉え、「よっしゃ!競争したるわい」と奮起したという石毛氏。その結果、1994年は石毛氏が111試合出場、パグリアルーロは80試合出場とレギュラーは渡さなかった。
ところが、巨人に「2勝4敗」で敗れた同年の日本シリーズ後、球団は石毛氏に同年限りでの引退と翌1995年からの監督就任をオファー。これを受けた石毛氏は「球団は俺に競争しろって言ってこんな環境与えて、俺は競争して頑張ってレギュラーとった」、「まだ現役できるじゃん!なぜやらせてくれないの?」と納得できず現役続行を求めるが、球団からは「選手としては契約しない」と事実上の戦力外通告を受けたという。
これが決定打となり石毛氏は同年オフにFA宣言。その直後、プロ入りした当初の西武監督である根本陸夫さん(当時ダイエー球団代表取締役専務)から電話がきたとのこと。「お前が西武を出るんか?」と驚く根本さんに、石毛氏は決断の経緯を説明した上で、「おやっさん、僕を獲ってくれるでしょうか?」と頼んでみたという。
当時根本さんは同年オフに西武からFA宣言した工藤公康の獲得に動いていたため、その流れで自身も獲ってくれるのではという狙いで頼んだという。根本さんはその場では「まだ分からん」と言葉を濁していたというが、その後ダイエーが獲得に名乗りを挙げたため石毛氏はダイエー移籍が決定した。
根本さんは、石毛氏がダイエーに入れるように動いてくれた上、年俸もそれまでの2億円(推定)を維持してくれたという。「もしあの時ダイエーホークスが手を挙げてくれなかったら、僕は多分引退してますね。獲ってくれるところがホークスしかなかったですから」と、根本さんがダイエーを動かしてくれていなければ同年限りでの引退を余儀なくされていただろうと振り返っていた。
石毛氏は動画で宣言前にもらった印象深いアドバイスや宣言後の球団オーナーとのやりとりについても話している。
今回の動画を受け、ネット上には「当時は『生え抜き一筋の石毛がなぜ?』って思ってたけどこんな裏側があったのか」、「普通に試合出て2ケタ本塁打も打った年に引退しろって言われて納得できる選手は1人もいなさそう」、「根本さんはもう亡くなってるから分からないけど、初めから石毛さんを獲ろうとして電話をかけたんじゃない?」といった反応が多数寄せられている。
同時に、「西武は石毛を監督にしたかったのかもしれない、だから自分から身を引きやすくするために同ポジションの刺客を差し向けたのかも」、「話聞く感じ球団は選手・石毛をお払い箱にしようとしてたんだな、今も古巣に戻っていないのはこれも一因なのかも」と球団の狙いを推測するコメントも複数見受けられた。
ダイエー移籍後は1996年までプレーして現役を引退しその後はダイエー(1998)、オリックス(2002-2003)で監督・コーチを歴任したが、指導者としての西武復帰は現在まで実現していない石毛氏。1994年オフの球団との決別は未だに尾を引いているのもしれない。
文/ 柴田雅人
記事内の引用について
石毛宏典氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UC9uwO3E7TohCjf1X3zU_kOw