各スポーツ紙によると、葬儀は「静かに送ってほしいという故人の強い希望」として、家族葬で済ませ、お別れ会や偲ぶ会は故人の意向により行わないという。
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15日まで舘ひろし、神田正輝ら石原プロ所属タレントは沈黙を貫いている。そんな中、故・石原裕次郎さんの甥で1982年に石原プロからデビューしたタレント・石原良純が、15日放送のテレビ朝日系「週刊ニュースリーダー」で渡さんについて語った。
良純は渡さんの存在について、「圧倒的に怖いです。渡さんがテレビ局にいると聞いたら座っていられない。でも怖さと同じくらい、優しいんです」などと明かした。
「渡さんといえば、青学大時代は空手部に所属しOB会の会長を務めていた。デビュー前の会見では、豪快に瓦割りを披露。新人時代には、インタビューに来た生意気な記者にアッパーカットをお見舞いするなど、やんちゃな伝説には事欠かなかった」(ベテラン芸能記者)
そんな中、舘が18年12月に出演したテレビ東京系のトークバラエティー「チマタの噺」で、良純を巡る渡さんのやんちゃなエピソードを明かしていたという。
「舘によると、石原軍団では『先輩の言うことは絶対』だったとか。大人気ドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)の撮影での集合時間に遅れた良純を、渡さんが舘に『シメとけ』と命令。舘が良純を呼び出してボコボコにしていたところ、その音を聞きつけた渡さんが『ひろし、何してるんだ!』と止めに入ったことから舘は困惑。それでも舘は『あのとき殴った責任がある』として、良純に何か頼まれれば全て請け負うそうで、『僕があのときシメていなかったら、今のあいつはいない』と笑っていた。やんちゃながら自ら“鉄拳制裁”を下さなかったということは、渡さんはいくらかは丸くなっていたのだろう」(同)
良純もこのエピソードを忘れてはいないはずだ。