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松井秀喜氏、入団決定前にヤンキースのユニフォームを着ていた? 実は3年前から密かに移籍を視野、ニューヨークへの想いを語る

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松井秀喜氏

 元プロ野球選手の松井秀喜氏が、6日放送の『池上彰×松井秀喜inキューバ』(テレビ東京系)に出演。2002年オフのヤンキース入団にまつわる裏話を告白した。

 番組では松井氏とジャーナリスト・池上彰氏が共に今行きたいと望んだというキューバの市街地や球場などを巡り、その後ヤンキースの本拠地であるヤンキー・スタジアム(ニューヨーク)で対談を行った。その中で、松井氏はヤンキース入団前後の裏話を明かした。 

 1993年から2002年まで巨人でプレーした後、同年12月に海外FA権を用いてヤンキースに移籍した松井氏。メジャー、そして意中の球団であるヤンキースに行きたいと意識し始めたのは巨人時代の最後の3年間(2000-2002)あたりだったという。なお、松井氏は1999年10月14日にヤンキー・スタジアムで行われたヤンキース対レッドソックスの一戦を現地観戦しているが、これが移籍決断の要因になったとされている。

 「巨人時代の最後(2002年)は日本一になってすごく良い終わり方をしましたので、そこから『じゃあ、FAで行きます』というのは言い出しづらい感じ」だったという松井氏。それでも「あそこでやりたい」という思いは消えず、2002年オフにヤンキース入り。当時の報道では代理人に対し「まずはヤンキースと交渉してほしい」と要望を出していたことや、当時の巨人・長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)からも「メジャーに行くのならヤンキースのユニフォームを着ろ」と後押しを受けていたことなどが伝えられている。

 同年12月の入団決定直後にニューヨークを訪れた際、まず最初に2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロの跡地『グラウンド・ゼロ』に足を運んだという松井氏。そこで、「これからニューヨークで野球をやっていく」と、その光景をまぶたに焼き付けたそう。

 翌2003年1月に入団会見に臨み、背番号「55」のユニフォームを初披露した松井氏。ただ、松井氏によると2002年オフの日米野球(11月10日~17日)中に、MLBオールスターチームの一員だったヤンキース・ジアンビからユニフォームをもらっていたとのこと。松井氏はヤンキースが意中の球団であったことから「東京の家でこっそり着てました。ジアンビ(のユニフォーム)なので背番号は25番でしたけど」と明かし、池上氏も「初めて聞いた」と驚いていた。

 今回の放送を受け、ネット上には「日米野球ってまだ入団決まる前じゃなかった?そこでヤンキースのユニもらうのはなんか奇遇だな」、「移籍当時は『急に何言ってんだ』って感じだったけど、3年も気持ちを抱えたまま巨人で戦ってくれてたのか」、「911の跡地に足を運んでたのは知らなかった。異国の地で野球やる決意は相当強かったんだな」といった反応が多数寄せられている。

 現役時代に巨人(1993-2002)、ヤンキース(2003-2009)、エンゼルス(2010)、アスレチックス(2011)、レイズ(2012)でプレーした45歳の松井氏。現在はヤンキースでGM付特別アドバイザーを務め、ヤンキース傘下のマイナー球団を巡回し指導を行っている。

 MLB時代に「1236試合・.282・175本・760打点・1253安打」といった数字をマークし、2009年のワールドシリーズではMVPに選出されている松井氏。その松井氏が語ったヤンキース移籍直前の裏話に驚いたファンも多かったようだ。

文 / 柴田雅人

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