松井秀喜
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スポーツ 2022年05月26日 11時00分
巨人・岡本の復調、ゴジラ松井氏の影響? 責任重大の4番出場を支える金言とは
原辰徳監督の好きなゲームだったと思う。4番のひと振りで打点を積み上げ、苦労人のピッチャーに勝ち星が付くという…。 5月25日のオリックス戦に勝利し、両リーグ一番乗りでの30勝に到達した。岡本和真は逆転の14号3ランを含む5打点。1試合で5打点を挙げるのは今季初だ。四番手マウンドに上がった鍬原拓也に2年ぶりの勝ち星が付いたことを質問されると、 「そうですか!?」 と原監督も驚いていたが、体調管理を含めた日々の努力ぶりを認めていた。 >>巨人・岡本、打席での表情に実況驚き「何か言いたそうな目してる」 退場もあり得たと苦言も、三振直後の一場面が物議<< 鍬原の勝利は690日ぶりとなるが、岡本の方にも“興味深い数字”が確認された。 通算149本。巨人の4番として放った本塁打が、138本――。球団史上6位タイ、松井秀喜氏と並んだそうだ。 「通算150号の節目で、6位単独。松井氏を抜くなんて、『持っているヤツ』ですよね(笑)」 そんな声も多く聞かれたが、松井氏のことが気になった。 松井氏は巨人在籍10年で、332本のホームランを放っている。4番以外の打順で放った194本の方が多いわけだ。 理由はいくつかある。同僚の高橋由伸氏や落合博満氏を始めとする外部補強の強者たちと一緒にプレーしており、長嶋茂雄・終身名誉監督も大量得点を狙って、「3番」で起用してきた。 「試合後、岡本はキャンプで臨時コーチを務めた時の松井氏との思い出も語っていました。チームとして良好な関係にあることは間違いありませんが」(ベテラン記者) いずれは指導者として、巨人に帰ってきてくれたら…。そう願っている関係者、ファンも多いが、両者の距離は縮まっていない。 「フリーエージェント権を行使して、メジャリーグに挑戦したので、わだかまりのようなものもあるとも言われています。FA宣言した02年、残留の条件として、巨人側が『将来の監督の約束手形を切った』なんて情報もありました。松井氏は今もプロ野球の監督業には興味がないみたい」(前出・同) NPB通算本塁打332本。史上36位とランキングも高くないが、巨人は優勝、日本一を至上主義としている。負ければ、「4番が打てなかったから」とその責任を負わされてきた。そのことも考えると、現4番・岡本が松井氏から受けたアドバイスは、非常に意味深い。 「何かを変える時、意識する時は、自分が思っている以上に意識しないと変わらないんだ、と」 チームリーダーの坂本勇人が故障で離脱し、連敗街道に陥ったが、「4番」が本来の当たりを取り戻したことで再浮上できた。「4番の存在」は大きい。 一昨年の交流戦だったと記憶している。対戦チームが和気あいあいと練習しているのを見て、岡本が「いいなあ~」とこぼしていた。4番の辛さは、経験した者にしか分からない。 今後、岡本は「4番の通算本塁打数」を大きく積み上げていくはずだが、松井氏に改めて話を聞きたいとも思うのではないだろうか。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2022年03月03日 15時30分
巨人・秋広、背番号55に「そのようなレベルの選手ではない」 自己評価が物議、前任者の二の舞に懸念も
巨人のプロ2年目・19歳の秋広優人が、2日放送の『ニュースウオッチ9』(NHK総合)にVTR出演。番組内での発言がネット上で話題となっている。 番組では今春キャンプ(2月1~25日)を一軍メンバーとして完走した秋広が、オフシーズンに行った増量の効果やキャンプで重点的に行った取り組みについて語る模様を放送。秋広は「理想は後ろの軸足で打つこと」という考えの下、スイングの際に頭が前に突っ込んでしまう癖の矯正に努めたことなどを話した。 >>巨人・秋広、目の前の先輩を煽り「メンタル強すぎる」驚きの声 球団広報への発言が話題、 過去には元木ヘッドを酷評したことも<< その中で、秋広はかつて松井秀喜氏(元巨人他)らが背負った背番号「55」を今季から自身が着用していることについて「今はそのようなレベルの選手ではない」と自身を“酷評”。続けて、「まずは初ヒット、初ホームラン、初打点というところを一歩目の目標として、今はそこを目標にやっています」と堅実な目標を掲げた。 巨人の背番号「55」は松井氏が1993~2002年にかけて着用し、同期間に332本塁打を放つなど大活躍したことから、チームにとって特別な意味を持つようになった番号。球団は秋広が松井氏のようなスラッガーに大成することを期待し、2014年以降空き番となっていた同番号を昨オフに与えたが、本人は現時点では「55」番は分不相応だと考えているようだ。 この秋広の発言を受け、ネット上には「プロ1年目終えたばかりなのに55番は早くないかと思ってたけど、本人も自分はまだまだって考えてるのか」、「期待先行で渡されたわけだから、番号と実力が釣り合ってないと感じるのは当然といえば当然」と同調の声が寄せられた。一方、「大田(泰示/DeNA)みたいな重圧を抱えそうって不安が現実になりつつある気がする」、「あんまり55番について話振らないでほしい、前任者みたいにかなりの負担になるリスクもあるし」といった今後への懸念も多数みられた。 巨人の背番号「55」は秋広以前は大田がプロ1年目の2009年から、2013年にかけて着用したが、この間はわずか2本塁打しか打てず。結果を出せなかったからか2014年からは背番号が「44」番に変わったが、同年から2016年にかけ計7本塁打と芽が出ないまま2016年オフに日本ハムにトレード移籍した。移籍後は昨季までに計65本塁打と主力に成長しているが、本人は「55」番着用時代について「早く松井さんのような大打者にならなければという焦りと、周囲からの期待の大きさに押しつぶされそうでした」とかなりの重圧を抱えていたことを後年に明かしている。 「大田は身長188センチ・体重90キロの体格や高校通算65本塁打をマークしたことから、次代の大砲になると球団に見込まれプロ実績は皆無ながら『55』番を与えられました。一方、秋広は身長200センチ・体重95キロと大田を体格で上回っていること、昨季二軍で8本塁打と爪痕も残していることなどから大田以上の素材と評価するファンは多く、球団も同様の考えから『55』番を与えたものと思われます」(野球ライター) 「55」番への変更後から、多くのファンやメディアに大砲としてのブレークを期待され続けている秋広。ここまでは実戦9試合で打率「.316」と好調が続いているが、今後大田のように「55番」の重圧に苦しむ展開を危惧しているファンも少なくないようだ。 文 / 柴田雅人
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スポーツ 2021年10月11日 18時30分
元巨人・上原氏、指導者オファーを受けていた?「ジャイアンツ以外からはお話がある」松井氏に明かした裏話に驚きの声
野球解説者の上原浩治氏(元巨人)が、10日放送の『サンデースポーツ』(NHK)に出演。自身の去就にまつわる話を明かしネット上で話題となっている。 番組では上原氏とニューヨーク在住の元巨人・松井秀喜氏(現ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザー)の、ニューヨークでの対談を放映。両名は6日(現地時間5日)に行われたア・リーグ地区シリーズ進出決定戦(ボストン・レッドソックス対ヤンキース)の感想や、お互いの古巣である巨人の現状などを語り合った。 >>巨人・中田が原因説浮上? 石井コーチの三軍送りに憶測の声、異例の配置転換が「原監督と揉めたのか」と勘繰られるワケは<< 巨人について話す中で、上原氏は「常に監督騒動になった時は、松井さんの名前が絶対挙がるじゃないですか」と、これまで巨人監督候補として報道などでしばしば名が挙がっていることについて松井氏に質問。これを受けた松井氏は「それはあくまでもうわさかね、メディアの皆さんがそうやって言うだけで実際にはないですよ」と返答した上で、「自分はどうなの?」と上原氏に逆質問した。 すると、上原氏は「僕もないですよ。僕はジャイアンツ以外からはお話があるんですけど、ジャイアンツはないんですよね」とコメント。2019年5月の引退から現在までに他球団から指導者オファーを受けたことはあるものの、巨人から声をかけられたことはないと明かし、これを聞いた松井氏は「そりゃおかしいね」と首をかしげていた。 上原氏の発言を受け、ネット上には「上原にどこかの球団が声かけてたって初めて聞いた」、「あれだけの実績を残したんだから、やっぱりオファーの1つや2つはもらってるものなんだな」、「NPB球団なのか、それ以外の球団なのかも気になるな」、「そもそも巨人が声かけてないのも不思議だな、同時代を戦った由伸(高橋由伸前監督)や阿部(慎之助一軍作戦コーチ)が一軍監督になるまでは自由にさせとくつもりなんだろうか」といった反応が寄せられている。 一方、「どこの球団がオファーしたのかは知らないけど、縁もゆかりも無いんじゃ呼ぶのは相当ハードル高そう」、「巨人とか他の古巣ならともかく、それ以外の球団が声かけても無駄では?」、「上原は金にも困って無さそうだし、多少の好条件じゃ来てくれないだろう」と、上原氏に古巣以外の球団がオファーをかけることを疑問視するコメントも複数挙がった。 「現在46歳の上原氏は現役時代に巨人(1998-2008,2018-2019)、ボルチモア・オリオールズ(2009-2011)、テキサス・レンジャーズ(2011-2012)、レッドソックス(2013-2016)、シカゴ・カブス(2017)でプレーし、『748登板・134勝93敗104ホールド128セーブ・防御率2.94』といった通算成績を残した投手。その上原氏にオファーした球団については不明ですが、おそらくは現役時代の実績を買って声をかけたのでしょう。ただ、現役時代の上原氏は報じられているだけでも70億円(推定)以上の年俸を手にしている上、引退後も野球解説者としてメディアに出演したり、自身の公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿したりと精力的に活動中。もちろん、こうした仕事でも相応の収入を得ていると思われますので、古巣以外の球団が好条件でオファーをかけたとしても招へいは厳しいのではとみているファンも少なくないようです」(野球ライター) 現役時代には最多勝(1999,2002)、最優秀防御率(1999,2004)、最多奪三振(1999,2003)をそれぞれ2回、最高勝率(1999,2002,2004)を3回とタイトル獲得経験も豊富な上原氏。指導者としては申し分のない実績を持っているが、今後巨人をはじめとした古巣球団から声がかかることはあるのだろうか。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2021年08月08日 11時00分
清原和博氏「押し潰されてしまいました」 巨人4番時代の苦悩を明かし話題に、同僚の存在も低評価の原因?
前DeNA監督のラミレス氏(元DeNA他)が7月31日に自身の公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、元プロ野球選手の清原和博氏(元巨人他)がゲスト出演。動画内での発言がネット上のプロ野球ファンの間で話題となっている。 今回の動画で清原氏はラミレス氏と対談形式でトーク。ラミレス氏からの質問に答える形で、現役時代に苦手としていた投手や、テレビ解説を務めた7月10日・巨人対阪神戦後に巨人・原辰徳監督から手を振られた時の心境などを語った。 その中で、ラミレス氏は清原氏に「巨人というチームでプレーするだけでもすごい重圧なのに、(さらに)4番を任される重圧はどう感じていましたか?」と質問。清原氏は現役・巨人時代(1997-2005)に第64代4番として297試合に出場し67本塁打を放っているが、本人は「毎日マスコミから重圧がすごくて(苦しかった)」と当時は苦悩を抱えていたと明かした。 清原氏は続けて、「(チームが)負けたら全部僕のせい。(逆に)勝ったら(ほめられるのは)長嶋(茂雄監督/現終身名誉監督)さん、松井(秀喜氏/現ヤンキースGM特別アドバイザー)」、「(当時は)コンビニに行っても新聞が全部清原大ブレーキ(と書いていたから)、もう心が押しつぶされてしまいました」とコメント。チームが負ければ猛バッシングを浴び、勝っても全く評価されない状況にかなり参ってしまっていたと振り返った。 >>清原氏に「いい加減にしろよオイ!」後輩が激怒 命の危機を感じた? 巨人・元木ヘッドが衝撃のいたずらを明かし反響<< 清原氏の発言を受け、ネット上には「球界の番長とか言われてもてはやされてる裏でそんなに思い詰めてたのか」、「巨人は常に優勝を義務付けられてる球団、そんなチームで4番を担うのは想像以上にキツかったんだろうな」、「同時期に松井がいたのも不運だった、巨人の4番としてはどうしても第62代の松井の方が上(470試合で138本)だし」といった反応が寄せられている。 「清原氏は西武時代(1986-1996)に通算329本塁打をマークした実績を引っ提げ、当時11年目・29歳だった1996年オフに巨人入り。当時の松井氏はプロ4年目・通算91本塁打と頭角を現し始めた段階だったため、入団当時は清原氏の方が格上の扱いでした。ただ、清原氏が翌1997年から『32本、23本、13本』と3年連続で本塁打数を落とす一方、松井氏は同期間に『37本、34本、42本』と全ての年で清原氏を上回る数字をマーク。4番としての数字にも隔たりがあったことから両者の評価は逆転し、清原氏は次第にファンやメディアから成績不振を理由としたバッシングを受けるようになりました。常に松井氏と比べられたたかれる状況もまた、清原氏の苦悩の一因となっていた可能性はあるのではないでしょうか」(野球ライター) 清原氏が第64代巨人4番として残した67本塁打は、清原氏より後に4番を務めた全26名の中では第72代・阿部慎之助(505試合で97本/現巨人二軍監督)と第74代・ラミレス氏(511試合で139本)の2名しか上回った選手がいない。それだけに、松井氏の存在がなければ当時の清原氏への評価は大きく変わっていたのかもしれない。文 / 柴田雅人記事内の引用についてラミレス氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UC2vnK-QoXQrl1LVTNFDfUaQ
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スポーツ 2020年12月27日 11時00分
ソフトB・柳田、年俸6億到達は不吉の前兆? 引退の引き金を引いた選手も、来季も結果を出すためのカギは
今季「119試合・.342・29本・86打点・146安打」といった成績をマークし、チームの3年ぶりリーグ優勝、4年連続日本一に貢献したソフトバンクのプロ10年目・32歳の柳田悠岐。23日、その柳田が契約更改に臨み、4000万円増の年俸6億1000万円(推定)プラス出来高でサインしたことを複数メディアが報じた。 昨オフに年俸5億7000万円(同)プラス出来高で7年契約を結び、今季がその1年目だった柳田。出来高をクリアした分だけ翌年の基本年俸に金額が上乗せされるという契約内容のため、今回の年俸6億円台到達は4000万円分の出来高をクリアしたことにより実現に至ったとみられている。 過去に年俸6億円台に到達した日本人野手は、現役時代に巨人(1993-2002)、ヤンキース(2003-2009)、エンゼルス(2010)、アスレチックス(2011)、レイズ(2012)で活躍した松井秀喜と、巨人(2001-2019)一筋でプレーした阿部慎之助のみ。柳田は球史を代表する打者だった両名に肩を並べることとなったが、この両名は到達翌年のシーズンでは明暗が分かれている。 >>中日・高橋の“恨み節”はまだ甘い?契約更改で生まれた迷言、「食事は松屋か吉野家にする」発言で猛批判された選手も<< 松井が年俸6億円台に到達したのは、「140試合・.333・36本・104打点・160安打」で首位打者を獲得した2001年オフの契約更改。翌2002年シーズン中に取得する海外FA権を行使しメジャー挑戦する意向を公言していた松井に対し、巨人は5年総額50億円という超大型契約を提示。これを松井は断り単年契約を結ぶが、金額はそれまでの5億円(同)から1億1000万円増となる6億1000万円(同)とプロ野球史上最高額(当時)となった。 メジャー移籍をにらみ単年10億円という破格の契約を蹴った松井は、翌2002年に「140試合・.334・50本・107打点・167安打」といった数字をマークし本塁打、打点の2冠を獲得。チームに2年ぶり30回目のリーグ優勝、2年ぶり20回目の日本一をもたらすなどきっちり結果を残したうえで、同年12月19日にヤンキースと契約しメジャーへ活躍の場を移した。なお、同年の松井を最後に球界では50本塁打をクリアした日本人野手は出ていない。 2013年に「135試合・.296・32本・91打点・125安打」といった数字を残した阿部は、同年オフの契約更改で3000万円増となる6億円(同)の単年契約でサイン。だが、翌2014年はシーズン序盤の5月に首を故障したことで打撃不振に。これを受けた首脳陣は守備の負担を軽減するため本職の捕手では無く一塁で起用するなどの策もとったが、結局「131試合・.248・19本・57打点・114安打」と前年から大きく数字を落とし、年俸も9000万円減の5億1000万円とダウンしてしまった。 阿部はその後、2015年にファウルチップを顔面に受けたことで首の故障が悪化し、2016年からは捕手を離れ一塁にコンバートされることに。それでも全盛期の打撃を取り戻すことはできないまま、2019年限りで現役引退を決断している。なお、この間年俸は毎年ダウンし続け、最終的に1億6000万円(同)まで下落している。 松井は活躍、阿部は低迷と到達翌年は明暗が分かれた過去の6億円到達日本人野手だが、阿部が結果を残せなかった最大の原因は首の故障。2017年に右脇腹、2018年に右太もも裏、そして2019年は左ひざ裏と近年は相次いで故障に見舞われている柳田は、自身のコンディションに細心の注意を払わなければ阿部の二の舞となってしまう危険性は高いだろう。 一方、活躍を収めた松井については、メジャー挑戦という目標が大きな原動力になったという見方ができる。柳田も本塁打王や打点王、さらには三冠王など、自身がまだ獲得したことの無いタイトルを目標に掲げてシーズンに臨むことが成績を左右するカギとなりそうだ。 契約更改に関する報道で「本塁打の最低ラインはキャリアハイ」と、自己最多記録である36本塁打(2018年)を超える目標を掲げたことも伝えられている柳田。リーグMVPにも選出された今季以上の活躍を来季、見せることはできるだろうか。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2020年06月26日 11時45分
巨人・ウィーラー、“松井復帰”の布石に? MLB時代に接点、イチロー・マー君との急接近ももたらすか
新助っ人の経歴を見て、「ひょっとしたら!?」と思った関係者も少なくなかった。 「格差トレードだ。良くまとめられたな」 巨人と東北楽天の間で、トレードが成立した(6月25日)。来日5年で106本塁打を放ったゼラス・ウィーラー内野手を出すにあたって、楽天が求めた交換選手は、昨季2試合しか投げていない池田駿投手。推定年俸2億円と1450万円…。その格差も驚きだが、このトレードは後に「分岐点」と位置づけられることになるかもしれない。 「巨人が大砲タイプの野手を探している」との話は3月オープン戦の頃から流れていた。新型コロナ禍で日本中の生活が乱れ、苦しんでいる。「そんな最中に国内トレードができるのか?」という疑問と同時に、「所属球団の決まっていない米大物選手が日本球界に売り込みを掛けてきた。でも、来日の手続きが取れるのかどうか…」という声も出ていた。「今年度はシーズン途中の外部補強は無理」と見られていたが、今回のトレードは当該選手も合意の上だったという。 「原辰徳監督はウィーラーの左翼、一塁での起用を明言しています。楽天時代はもちろんですが、ハッスルプレーはメジャー時代から有名でした」(スポーツ紙記者) この「メジャーリーグ時代」において、着目しておかなければならない点があった。2014年、ウィーラーはニューヨーク・ヤンキースに在籍していた。 同年のヤンキースと言えば、日本人メジャーリーガーの宝庫だった。投手には黒田博樹、田中将大がいて、野手にはイチローもいた。マイナーにも前年ドラフト会議で指名された日本人の加藤豪将もいた。 それだけではない。松井秀喜もいた。すでに現役を退いていたが、同年春季キャンプでゲストコーチを務め、さらに元指揮官のジョー・トーリの記念セレモニー(8月25日)、盟友のデレク・ジーターの引退セレモニー(9月7日)にも駆けつけている。 「ウィーラーは春季キャンプを招待選手として過ごし、一度マイナー落ちも経験しましたが、8月下旬に再昇格しています。キャンプでは、契約を勝ち取ろうとしていた選手とコーチとして、トーリ、ジーターのセレモニーでも松井とウィーラーは会っています」(米国人ライター) 黒田、田中、イチローと元チームメイトで、ゴジラ松井にも通じる選手。このウィーラーの加入が、元日本人メジャーリーガーたちと原巨人の距離を縮めてくれるかもしれない。親しく付き合っていたという話はない。しかし、「きっかけ」くらいにはなるだろう。 「原監督の後継者は阿部二軍監督という流れ、雰囲気が伝わってきます。問題は、松井との球団の距離、関係性です。将来の監督候補として目されることに松井サイドは今も抵抗があると聞いています。でも、よく聞いてみると、前任の高橋由伸、後輩の阿部から奪うようなことはしたくない。彼らと良好な関係でいたいという意味のようです」(球界関係者) コロナ禍が落ち着いたら、ゴジラ松井がテレビ解説を務めることもあるだろう。その時、ウィーラーの紹介情報として、14年のヤンキースのことが話題になれば、巨人戦の視聴率アップにもつながるかもしれない。バットではもちろんだが、ウィーラーの経歴も原巨人にプラス要素を与えてくれそうだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2020年05月07日 20時30分
松井秀喜氏、入団決定前にヤンキースのユニフォームを着ていた? 実は3年前から密かに移籍を視野、ニューヨークへの想いを語る
元プロ野球選手の松井秀喜氏が、6日放送の『池上彰×松井秀喜inキューバ』(テレビ東京系)に出演。2002年オフのヤンキース入団にまつわる裏話を告白した。 番組では松井氏とジャーナリスト・池上彰氏が共に今行きたいと望んだというキューバの市街地や球場などを巡り、その後ヤンキースの本拠地であるヤンキー・スタジアム(ニューヨーク)で対談を行った。その中で、松井氏はヤンキース入団前後の裏話を明かした。 1993年から2002年まで巨人でプレーした後、同年12月に海外FA権を用いてヤンキースに移籍した松井氏。メジャー、そして意中の球団であるヤンキースに行きたいと意識し始めたのは巨人時代の最後の3年間(2000-2002)あたりだったという。なお、松井氏は1999年10月14日にヤンキー・スタジアムで行われたヤンキース対レッドソックスの一戦を現地観戦しているが、これが移籍決断の要因になったとされている。 「巨人時代の最後(2002年)は日本一になってすごく良い終わり方をしましたので、そこから『じゃあ、FAで行きます』というのは言い出しづらい感じ」だったという松井氏。それでも「あそこでやりたい」という思いは消えず、2002年オフにヤンキース入り。当時の報道では代理人に対し「まずはヤンキースと交渉してほしい」と要望を出していたことや、当時の巨人・長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)からも「メジャーに行くのならヤンキースのユニフォームを着ろ」と後押しを受けていたことなどが伝えられている。 同年12月の入団決定直後にニューヨークを訪れた際、まず最初に2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロの跡地『グラウンド・ゼロ』に足を運んだという松井氏。そこで、「これからニューヨークで野球をやっていく」と、その光景をまぶたに焼き付けたそう。 翌2003年1月に入団会見に臨み、背番号「55」のユニフォームを初披露した松井氏。ただ、松井氏によると2002年オフの日米野球(11月10日~17日)中に、MLBオールスターチームの一員だったヤンキース・ジアンビからユニフォームをもらっていたとのこと。松井氏はヤンキースが意中の球団であったことから「東京の家でこっそり着てました。ジアンビ(のユニフォーム)なので背番号は25番でしたけど」と明かし、池上氏も「初めて聞いた」と驚いていた。 今回の放送を受け、ネット上には「日米野球ってまだ入団決まる前じゃなかった?そこでヤンキースのユニもらうのはなんか奇遇だな」、「移籍当時は『急に何言ってんだ』って感じだったけど、3年も気持ちを抱えたまま巨人で戦ってくれてたのか」、「911の跡地に足を運んでたのは知らなかった。異国の地で野球やる決意は相当強かったんだな」といった反応が多数寄せられている。 現役時代に巨人(1993-2002)、ヤンキース(2003-2009)、エンゼルス(2010)、アスレチックス(2011)、レイズ(2012)でプレーした45歳の松井氏。現在はヤンキースでGM付特別アドバイザーを務め、ヤンキース傘下のマイナー球団を巡回し指導を行っている。 MLB時代に「1236試合・.282・175本・760打点・1253安打」といった数字をマークし、2009年のワールドシリーズではMVPに選出されている松井氏。その松井氏が語ったヤンキース移籍直前の裏話に驚いたファンも多かったようだ。文 / 柴田雅人
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