終戦から16年が経過した1961年。神奈川県大和署は米軍基地に勤めているアメリカ軍人数名に対し暴行を加えたとして女愚連隊「小さなジュリー」のメンバー5名を逮捕した。
当時の報道によると、「小さなジュリー」(名前の由来は沢田研二ではなく女優のジュリー・アンドリュースと思われる)のメンバーは20~25歳の若者で、彼女らは飲み屋で知り合った若い米軍兵に酒をたかり、断られるとジョッキを手に米軍兵の頭を殴り、蹴るなどの暴行を加え全治3週間の怪我を負わせたという。
この小さなジュリーはこういった米兵を狙った暴行事件を多数起こしており、神奈川県中の米兵が通う飲み屋に出没。厚木基地のほか、基地のある横須賀や静岡の御殿場などに出向いては暴力の限りを尽くしていたという。
1961年はすでに戦争が終わって15年が過ぎており、若い人の間では米兵を恐れる対象として見ておらず、また国際的な事情などもあり、アメリカ軍人が日本女性に反撃を加えることができないという事情を逆手にとったものと思われる。
当時、時代は高度経済成長期。好景気になっており、終戦直後に比べて日本も国力、経済力を上げていた。
この女愚連隊「小さなジュリー」による米兵への暴行事件は、豊かになってきた日本、および「既に戦後ではない」というスローガンの下、変化しつつある日本を如実に表す事件だった。70年代に入り女愚連隊は、「不良化する女学生」と姿を変えていくことになる。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)