坂本龍馬は非常に人気の高い歴史上の人物である。龍馬の大きな業績は、薩長同盟を成立させたことである。当時の薩摩藩と長州藩は犬猿の仲で、互いに相手を憎むだけの十分な理由が存在した。しかし、龍馬は藩の対立よりも、幕府を倒して新しい日本を作るという大きな目標を目指した。そこに小さなことや過去に拘泥せず、広い視野を持つ人物として龍馬に清々しさを感じる人も多い。これが龍馬人気の背景である。
一方で龍馬を賞賛するメンタリティは、過去を水に流してしまう非歴史的な日本人の欠点に通じる。非難されるべき無節操や一貫性のなさも、薩長同盟を引き合いに安易に正当化される危険がある。実際、攘夷を叫んだ勤皇の志士が文明開化を主導した。これによって近代日本は幕を開けた。戦争中は鬼畜と罵った敵国が「世界で最も強固な同盟国」に様変わりした。これが戦後日本である。日本人の無節操さを踏まえると、龍馬をもてはやすことは道徳的に有害とさえ思えてくる。
それでも、龍馬が薩長同盟の成立に苦労したことは認めなければならない。薩摩藩も長州藩も過去の経緯を大切にしており、相互の不信感は根深かった。過去の恨みは、未来志向の発想で簡単に消滅するものではない。龍馬から見れば薩摩藩士も長州藩士も頑迷であった。その状態から紆余曲折を経て薩長同盟が成立したからこそ、感動的なドラマになる。
ところが、その点が『龍馬伝』では弱い。薩摩藩士も長州藩士も薩長同盟に対して、かなり物わかりがよい。まるで薩長同盟が合理的な選択肢であることを双方とも理解しており、お膳さえ整えれば締結できるような状態である。
もともと西郷吉之助は薩長同盟締結のために下関を訪れる約束になっていたが、反故にした。これは急用との藩命を受けたためとされるが、仇敵・長州藩との同盟締結に躊躇があったためと思われる。ところが『龍馬伝』では、薩摩藩の船に幕府の隠密が忍び込んでいたことが動機になっている。西郷にとっては同盟締結の気持ちはあるが、機密保持を優先してのやむにやまれぬ行動となる。
そして京都での桂小五郎と西郷、小松帯刀らの会談も、どちらも藩の面子から同盟の話を切り出さず、無為な日にちを過ごしていた。桂が長州の無念をクドクドと話したとする説もある。これを聞いた龍馬が両者を説得した。特に窮地にある長州の立場を考えるよう薩摩側を強く説得し、ようやく同盟の話に漕ぎつけた。
それだけ薩摩と長州を結びつけることは難事であった。単純に過去を水に流して未来志向の発想に立ったのではなく、過去を直視し、虐げられた長州藩の痛みに配慮したからこそ、同盟を成立させることができた。
ところが、そのようなわだかまりは『龍馬伝』にはない。むしろ京都に入った龍馬らは、新選組らの探索を逃れて薩摩藩邸に行くことで苦労している。『龍馬伝』では、幕府が薩長同盟成立の最大の障害と描かれている。これは薩摩や長州自身の意識を障害とする従前の傾向に対して、新たな視点を提供するものである。
さらに新選組が旗本・御家人で組織される京都見廻組に見下されるなど、幕府側の複雑な関係も明らかにする。幕府という巨大で複雑な組織に対して、どのように戦っていくのか。これが『龍馬伝』の見どころになる。
(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力)