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若手時代のナイナイ、自ら重役にギャラ交渉 人気急上昇時期も驚きの低額だった?

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ナインティナイン・矢部浩之、岡村隆史

 一連の吉本興業の闇営業問題では、若手芸人のギャランティの低さが問題となった。吉本芸人は、最初は最低ラインからスタートするも、ある程度売れた段階でギャラはアップする。だが、相当頑張らないと「据え置き」なのが実情でもある。そうした中で、自ら会社と渡り合ってエグいギャラ交渉を成し遂げた芸人が、ナインティナインである。今回の闇営業問題を受けて、岡村隆史は『オールナイトニッポン』(ニッポン放送系)でも、その経緯を振り返っている。

 ナインティナインは、吉本興業の芸人養成所であるNSC大阪校の9期生(扱い)である。先輩芸人である雨上がり決死隊や、FUJIWARAらと結成した若手芸人集団、吉本印天然素材(通称・てんそ)のメンバーとして活躍するが、間もなく集団から頭一つ飛び抜けて東京進出を果たす。20代前半にして早くもスターダムにのしあがる。ただ、ギャラは低いままだった。

 諸説はあるが、ナイナイのギャラは大阪時代は1本5000円、東京進出後は“1.5倍”にアップするも、7500円だったと言われている。これは手取りの金額だが、それでも税込み5500円は決して高いとは言えないだろう。

 ナイナイは東京進出後、ある程度の段階で会社と直接ギャラ交渉を行った。井筒和幸監督の『岸和田少年愚連隊』(1996年3月公開)のオファーをハードスケジュールゆえに断るはずだったが、会社が受けてしまい、その話し合いの場で吉本興業の重役と直接ギャラ交渉を行ったという。岡村はその時の様子を「これだけ頑張りました、だからギャラ上げてください」といった言葉だったと振り返っている。

 当時のナイナイは人気がうなぎのぼりの時期である。会社としても手放したくない人材であったのは確かだろう。いわば、自らの人気を人質にとってのギャラ交渉を成し遂げたと言える。裏を返せば、ギャラ交渉にはこうした実力が伴っている必要もありそうだ。

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