その吉原大門交差点付近に「見返り柳」があった。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれつつこの辺りで遊郭を振り返ったため、いつしか、その名が付けられた。現在の柳は代替わりし、もともとあった場所も違うそうだが、吉原遊郭の名所の名残の一つだ。
「見返り柳」を過ぎて、かつて遊郭だった場所へと足を踏み入れる。しばらく進むと、「吉原神社」の鳥居が見えた。明治5年(1872年)に新吉原遊郭の四隅にまつられていた四稲荷社と、地主神・玄徳(よしとく)稲荷社を合祀(ごうし)し、創建された。新吉原遊郭の鎮守であり、花魁(おいらん)の参詣は古書にも記されているという。記者が訪れた時は、祈りを捧げる女性たちの姿が見られた。
「吉原神社」の近くには「吉原弁財天」がある。かつての遊郭は塀に囲まれ、出入口にはかぎがかけられていたというが、「吉原弁財天」は、江戸時代初期の吉原遊郭造成の際、一部が残された池のほとりにまつられたもの。現在も、献花が絶えない。
遊郭があった場所から抜けると、「樋口一葉旧居跡碑」と「一葉記念館」があった。
記念館の中に、一葉が暮らした当時の付近を再現したジオラマ模型が展示されていた。通りに沿って長屋が並び、時折、門や塀を構える家があるが、あとは野原と畑だ。わずか10か月だったが、一葉は遊郭そばのこの地に住み、二軒長屋で荒物雑貨や駄菓子を扱う店を営んでいた。しかし、商売はうまくゆかず、向かい側に駄菓子屋が開店したこともあり、店をたたんでこの地を去った。
記念館の向かい側にあるのは「樋口一葉記念公園」。公園には、「一葉女史たけくらべ記念碑」が建てられている。
『たけくらべ』は、一葉がこの地を去った後に書かれたが、「樋口一葉旧居跡碑」が建つ一帯が舞台となっている。作中で、まだ学校に通う年齢の『たけくらべ』のヒロイン・美登利が「姉さんの繁昌するやうにと」願をかけて毎朝通った「太郎様」は、「樋口一葉旧居跡碑」から少し歩いた先にある「太郎稲荷神社」のこと。(竹内みちまろ)