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社会 2010年01月20日 15時30分
今年はどんな年? 干支から見る2010年
2010年も、早くも1か月が過ぎようとしている。政治、経済とも相変わらず嫌なニュースが多く、先行き不安な気がする。何か明るい話題があって欲しいものだがどうなるのだろうか。ちょっと遅いが、2010年はどんな年なのか、干支から占ってみよう。 干支とは、12種の動物による12年周期の「十二支」と、『甲乙丙…』の10年周期の「十干(じっかん)」を組み合わせ、60年周期で変化する時の機運を表すものとされている。「丙午(ひのえうま)」は誰でも聞いたことがあるだろう。また、歴史の授業で習った「壬申の乱(じんしんのらん)」や「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」も、その年の干支から名づけられた出来事だ。 さて、2010年は干支でいうと「庚虎(かのえ・とら)」。まず、十干の「庚」には、“続ける”という意味があるという。また更新の「更」にも通じ、“思い切って改める”という意味も含まれるそうだ。十二支の「寅」は、“助ける”“敬む(つつしむ)”の意味や、“枝葉が伸び始める”“示す”意味があるという。つまり「前年の道筋を継承しつつ、新たな活路を開く年周り」ということになるようだ。 ちなみに前の「庚虎」の年は1950年(昭和25年)。この年はどんな年だったかというと、「年齢の数え方が満年齢に」「朝鮮戦争勃発」「金閣寺消失」「警察予備隊設置」「プロ野球がセ・パ2リーグに」「公職選挙法公布・施行」などの出来事があった。「特需景気」が起こり、女性の平均寿命が60歳を超えたのもこの年。終戦から5年目、まだGHQの占領下であり、新しい仕組みづくりが続いていた時代だった。 今年は21世紀になって10年目という区切りの年でもある。少しぐらいはいいことがある1年になって欲しいものだ。(横浜 六太 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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スポーツ 2010年01月20日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元・阪神の亀山つとむさん
現在、関西系メディアで活躍中の亀山つとむ(現役時代は努)と言えば、真っ先に思い浮かぶのが「ヘッドスライディング」。通算8年間という短いプロ野球人生であったが、ファンの記憶には今も色褪せること無く輝いている。 生まれは大阪・港区だが、育った場所は鹿児島・奄美大島。島人らしく豪放磊落な性格の持ち主だが結果として、それがアダとなってしまった。 1987年、ドラフト外で鹿屋中央高から阪神タイガースに入団した亀山。当初、内野手(主に三塁手)であったが、入団2年目、89年に外野へコンバート。それが、小柄で俊足の亀山にハマり同年6月11日、対大洋戦で1軍デビューを果たす。また、その年はファーム・ウエスタンリーグの首位打者にもなった。 その後、ライトの定位置を奪取し、キャリアハイの92年シーズンは打率287打点28盗塁15を残し、ゴールデングラブ賞を獲得。オールスターゲームにも出場した。 「その年の亀山にファンは酔いしれました。何でも無いゴロを打ったのに一塁へもうダッシュでヘッドスライディングを試みる。アウトになってもスタンドは大喜び。アウト、セーフなんてどうでもいいのです。亀山の魅せるプレーはまさしく“これぞプロ”だったのです」と、スポーツ紙阪神担当記者は懐かしむ。 彼は果敢なスライディングで『平成のスライディング王』という異名を取ったが、この頃から『問題児・亀山』と側面も露呈し始めた。前述の豪放磊落な性格がマイナス作用したのだ。 前出・トラ番記者が続ける。 「レギュラーを掴んだ事から気が緩んだのです。亀山は以前から寝坊癖があったのですが、この頃から、それがさらに悪化。一説には“目覚まし時計が10個一斉になっても起きなかった”と言われているのです。寝坊の原因は学生時代にした喧嘩の代償で鼻が曲がってしまい、睡眠時に無呼吸状態に陥り、熟睡できないからだとか」 さらに巷間伝えられているのが「肥満傾向」による睡眠時呼吸不全。いずれにしても「豪快な遅刻」が球団の顰蹙を買った事は間違いのない事実であった。原因はどうであれ、亀山の体内にあった「島時計」(主に時間にルーズな沖縄在住人に対して使う皮肉だが)が覚醒したのだ。 結局、亀山は最後まで「遅刻」と縁を切れず97年オフ、球団から解雇通告を受けてしまった。通算9年、実働8年という儚いプロ野球生活であった。しかも、ピーク時の92年頃から、細身の亀山が一転、肥満の傾向に陥り晩年は小柄でスリム、俊足のイメージからかけ離れてしまったのだ。 「亀山の解雇通告を受けて、当時、近鉄の監督であった佐々木恭介が亀山獲得に動いたのです。秋季キャンプでテストまでしたのですから。しかし近鉄球団は寝坊癖、肥満の情報を掴んでおり、監督の懇願を却下したのです。その後、亀山は韓国、台湾でプレー続行を画策したのですが、肥満が深刻化して、思うように身体が動かない。断腸の思いで現役引退を決意したのです」(前出・トラ番記者) 引退後はご存じの通りタレントをメーンに活動。運動しなくなったせいか、今では現役時代の面影は乏しく「デブ」ばかり際立つようになってしまった。ちなみに現役時代の公式発表は身長176センチ、体重77キロ。現在は推定だが身長176センチ、体重110キロ。当時より33キロ増はさすがに太り過ぎだろう。 尚、双子の弟・忍も「肥満」が売りのタレントである。兄弟揃って「デブキャラ」…二人とも調理師の免許を所持しているという「特技」はあるが、何より心配なのはウェート。健康であり続けることが亀山つとむと忍の最重要テーマだ。
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芸能 2010年01月20日 14時30分
日テレがゴールデンタイムに起こした“革命”
日テレで月曜から金曜の7時から放送されているバラエティ・情報番組『SUPER SURPRISE』。曜日ごとに違ったテーマを違ったメンバーで生放送している番組だ。決して目立った番組ではないが、「この番組はテレビ制作現場に革命を起こしてしまったんですよ」と話すのは番組制作会社社員。 業界の“革命”とは興味深い。「ゴールデンタイムのバラエティ番組といえば、各局とも威信と金をかけて制作していました。しかし、『SUPER SURPRISE』は今までの常識と比べると超格安で制作されています。決して高視聴率というわけではないですが、格安番組ということで評価は高いです。今後は制作側がゴールデンタイムでもこの程度の予算でと判断するようになるでしょう。これは業界の常識を打ち破る“革命”です」(番組制作会社社員)。 実績ができてしまったために、テレビ業界のコスト削減の波はいっそう加速することは間違いないだろう。もちろん、他局でも同じ動きがあるという。「TBSも『総力報道! THE NEWS』が3月に終了すれば、同じように超格安で“そこそこの視聴率が稼げる番組”を考えているいうウワサもあります。これが本当なら『SUPER SURPRISE』の影響であることは間違いないでしょう」(番組制作会社社員)。 しかし、決して番組が大成功したわけではなく、「コストの割にそこそこ」というのがなんともさびしい。「コストの割にそこそこ」の番組を見せられる視聴者はたまったものではない。
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芸能 2010年01月20日 13時30分
「花田家崩壊」の序章をつくった嫁、ハワイ自適生活を送る花田美恵子さんの本性は!?
協会離脱を申し立て、相撲委員会に出馬した貴乃花。その兄で、相撲引退後、飲食店経営を展開し離婚、再婚した若乃花。若い医師と不倫後、部屋を飛び出した母・憲子、そして自ら手塩に掛け育て上げた息子たちのスキャンダルに悩まされ、夫人とも2001年に離婚し、57歳の若さで壮絶死した父・二子山親方。力士が育たず、衰退の一途を辿る貴乃花部屋と共に、呪われているとしか思えない花田家。その「花田家崩壊」の序章をつくったのは、現在、勝と離婚して4人の子供たちと共にハワイで悠々自適な生活を送っている美恵子さんだった。彼女の生まれながらの正体に迫る。 今では「何でこうなってしまったのか?」としか言いようがない花田家の崩壊ぶり。その始まりは、言わずと知れた当事の貴花田と宮沢りえとの婚約破棄なのであるが、それよりも、花田兄弟と相撲について事態をこじらせてしまったのは、時期を同じくして兄・若乃花と結婚した花田美恵子さんだ。 少女雑誌の読者モデルだった華やかな経歴を持ち、元JAL(ここも今大変!)の客室常務員だった美恵子さんが若乃花と婚約したとき、彼女のぽかんとした表情や気の無い言動に一部のバッシングが起こる。当時の若の人気を考えると、それはファンの嫉妬からくるものと思われたが、実は多くの人がブラウン管の向こう側にいる“彼女の本質”を見抜いていたのかもしれない。 ブランド好きな美恵子さんは、「相撲部屋に嫁ぐ」という自覚が全く無い女性だった。若い女性が深く現実を考えないで結婚してもそれは不思議ではないが、とにかく相撲部屋の表面上の華やかさには憧れるが、裏の苦労を知ろうとしなかった。彼女は潜在的にブランドものに囲まれ、美しい自分を認めてもらい、家庭第一な生活がしたいという「セレブ妻」欲求が強く、それは、後に貴乃花と結婚した元女子アナウンサーの河野景子以上かもしれない。 後に部屋を出てしまった花田兄弟の母親・憲子(現在はタレントとして活動。)も、最初は相撲部屋のおかみになる心得を長男の嫁である美恵子さんに教えようとした。が、子育てに負われる嫁は結局、相撲に関わろうとしなかった。ある時、横綱であった若が優勝した時に涙を流した嫁を見て、憲子は「あの子(美恵子さん)がめずらしく喜んでいる。」とインタビューで洩らしている。長男の嫁である美恵子さんがもっと相撲に理解のある女性だったら、いずれ崩壊するにしても、もう少し事情は違っていただろう。 現在ハワイで子供たちと生活をする「セレブ主婦」のイメージ作りも、離婚前から計算されていたと思われる。 「角界のプリンス」と呼ばれた二子山親方の葬儀をめぐり、兄弟のゴダゴタが発覚した時、愛犬を連れ、Tシャツ・ジーパン姿で報道陣の前に姿を表した当時の美恵子夫人は、偶然を装いつつも、カメラを意識したメイク、スキのないスタイルを披露した。本来はとても出たがりな女性なのである。このラフに見せて気を抜かない彼女のオシャレに人気が集まり、主婦雑誌での連載も好調。「セレブ主婦」としてのイメージ作りが完成した。 何もわからない若いスッチーが、相撲取りと結婚して、子供を四人産み、夫に浮気され、「苦労して強くなった」というイメージであるが、彼女は決して何もわからない無邪気な女性ではなく、自分もシッカリ浮気もしているし、もともと強い女性だったのだ。夫に養育費を出させて、自分はいつまでも若く美しい女性として注目されたいという欲を“超一流”に持っていたという事。大人しめな容姿がそれをわかりにくくしていただけだ。 最近、篠山紀信が撮影したグラビアなどで週刊誌からもガッポリギャラを稼ぎ、遠い海の向こうで送る自適生活から見る、元嫁ぎ先の騒動や、夫の商売の経営難はさぞいい眺めであろう。
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ミステリー 2010年01月20日 12時30分
UMA最前線「ホワイトビッグフット」
2010年に入ってからも、新たなるUMA情報が頻発していた! スノータイプクリーチャー「ホワイトビッグフット」が撮影されたというのだ。 アメリカ・ペンシルベニア州の山中にて撮影された白いビッグフットは、「スノータイプクリーチャー」、または「ホワイトビッグフット」という呼称で広がりつつあり、大変興味深い怪物である。このデータの真偽を含めて、アメリカのUMAマニアの間では論議となっている。ちなみに、体毛が白いビックフットを特に「ホワイトビッグフット」と呼ぶ習慣は、ここ数年アメリカのUMAマニアの間では一般化しているらしい。 今回撮影されたものは、ライトを当てられ逃げていったが、人目を避け木々に身を隠して撮影者の様子を伺っているところをみると、知能のある生物に見える。 全身が撮影されるだけでなく、糞や体毛も採取され、目撃情報の多いビッグフットであるが、その情報の多さ故に真偽も分かれるところである。目撃情報の中には、クマなどを誤認したものも含まれるのかもしれない。写真をご覧になった貴方は、どう思われただろうか? まだまだ活動中であるだろう彼らの目撃情報は、これからも出てくるに違いない。それらを心待ちに、未知の生物に心を馳せようと思う。(前野くらら 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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芸能 2010年01月20日 12時00分
ゆうこりん、幻の“本命”はSMAP・草なぎ剛だった!
先日、都内でヘアサロン「ing」を経営する菊池勲氏と交際していることが発覚したタレントの小倉優子だが、なんと、当初はSMAP・草なぎ剛との熱愛スキャンダルがうわさされていたのだという。 「昨年11月、マスコミ各社が『草なぎと小倉が交際』という情報をつかんで取材を開始。デビュー以来、女性スキャンダルが皆無の草なぎだけに、ネタをつかめたら大スクープだった」(写真誌記者) しかし、ガードが堅いわけでもないのに、草なぎがゆうこりんと密会する気配は全くなかったという。 「普段通り仕事をこなして家に帰る日々。昨年春に“全裸泥酔騒動”で逮捕されてからは外で飲酒するのを控えているようだった。旅行に出かけたから、『小倉と隠密旅行か』と思っても、韓国に遊びに行ってしまった。残念ながら小倉が一緒ではなかった」(同) そこで、取材を重ねるうちにマスコミの“網”にかかってきたのがSMAPのヘアメイクを担当する菊池氏で、ゆうこりんの熱愛をスクープした「女性セブン」は決定的な証拠をつかんだ。 「決め手となったのは小倉と菊池氏が更新したブログ。元旦の初詣と初日の出の文章と写真がほぼ同じ。小倉のマンションを張っていたら合い鍵で出入りする菊池氏の写真を撮れたらしい」(ワイドショー関係者) ゆうこりんにとっては幻の“本命”だった草なぎだが、その草なぎには全く女性の影がないようだ。 「一時期、韓国に恋人がいるのでは、といううわさが流れた。実際、今年の秋から韓国に長期留学するため活動を休止するようだが、あくまでも韓国語を本格的に学ぶためらしい。おそらく、SMAPの中で結婚するのは最後になるのでは」(芸能プロダクション関係者) 草なぎが絡んでなければ、ゆうこりんの熱愛はバレずに済んだ?
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スポーツ 2010年01月19日 19時00分
腹心・小林繁コーチを失った梨田監督は前途多難…
北海道日本ハムファイターズ・投手コーチ、小林繁氏の訃報が飛び込んできたのは17日未明。前日、親会社のイベントで顔を合わせた梨田昌孝監督(56)は「信じられない」と繰り返していたが、2月1日のキャンプインの日程は変更できない…。指揮官として、故人に代わって、残した職務を全うしなければならない。 「小林さんは今季から一軍コーチに昇格することが決まっていました。この人事は梨田監督の要請によるもの。入れ替えで二軍担当に就く予定だった吉井(理人)コーチを、再び一軍に呼び戻すことになるでしょうね」(チーム関係者の1人/1月18日時点) 一軍コーチへの昇格は、梨田監督の一存で決められた。 「吉井コーチとの折り合いが好くないみたいで…。小林コーチは梨田監督、吉井コーチの両方と巧くやっていたから、小林コーチが一軍に昇格し、梨田監督と二軍(吉井コーチ)のパイプ役になるのは、人事異動として決して悪い話ではなかった」(同) 梨田監督と故人との信頼関係は、近鉄時代からである。 こんな逸話も残っている。巨人から近鉄に移籍した石毛博史が制球難で喘いでいたときのことだ。近鉄投手陣を任されていた故人は、「10球連続でストライクが入るまで、投球練習を終わらせない!」と眼を釣り上げた。石毛はそれに従ったが、8球、9球とストライクが続いた後の「ラスト1球」が決められなかった。何度も何度も「ゼロカウント」に戻り、200球を越えたころだった。石毛が「許してくれ」という目線を向けた。 「そういう甘えた気持ちがあるから、勝てないんだ!」 普段の語り口はソフトで、理論派のイメージも強いが、本当は“武闘派”だったのである。 「近鉄コーチ時代の故人を知る野球人は、『怒ると怖い』と言っています。吉井コーチが兄貴的な指導者なら、小林コーチは選手に厳しいことも言い、憎まれ役も辞さないタイプでした」(在阪球団職員) 梨田監督にとって、頼もしい腹心であったことは間違いないが、小林、吉井両コーチの一、二軍の配置換えに全スタッフが賛同したわけではなかったという。 「日本ハムの監督に招聘されたとき、同じく近鉄時代のパートナーだった真弓明信・現阪神監督にも『一緒に日本ハムに行かないか?』と声を掛けています。真弓監督が断り、袂を分けたんです」(在阪球団職員) 梨田監督にとって、日本ハムとの『縁』はなく、『外様指揮官』だ。外部招聘されたプロ野球指揮官は多かれ少なかれ、旧在籍チームのパートナーにも声を掛ける。王貞治ソフトバンク会長がダイエーホークスに招かれた際は、巨人関係者を1人も連れて行かなかった。どちらが正しいかではなく、吉井コーチも二軍担当の準備を始めていた。一、二軍の選手振り分けなど、故・小林コーチと詰めていた話もあるだけに、梨田監督は吉井コーチと再審議しなければならない課題も出てきた。吉井コーチも新しい二軍コーチと引き継ぎを行わなければならないだろう。 「自分の一派でコーチスタッフを固めてしまうのは、組織として宜しくない。そういう懸念もないわけではありませんでした」(前出・チーム関係者) いすぶれにせよ、キャンプイン直前のこの時期に、『腹心』を失うことは、ダメージが大き過ぎる…。同関係者はさらにこう続ける。 「昨季の日本シリーズ登板後に骨折が判明したダルビッシュに、春先は無理をさせたくありません。若手投手が頭角を現さないことには首位戦線を戦えません。今季の一軍投手コーチの責任は大きいですよ」 梨田監督にとって、辛いシーズンが始まりそうだ。
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レジャー 2010年01月19日 17時00分
噂の騎士(ナイト)第38回 『居候キャバ嬢、ツユだくルミコ』
「おならなんかじゃないからね」、一昔前に流行ったとんねるずのギャグじゃないっつ〜の。部屋中に響く“ちなら”でオレのチンチンも今晩は若干引き気味。特殊なクリちゃんを刺激すると決まって、ブブッとアソコから奇妙な音を発する。 歌舞伎町の居酒屋で拾った酔っ払いキャバ嬢のルミコ。そのままオレの部屋までついてきて、居座ってからもう2か月弱。10代のギャルと毎晩卑猥なHが出来てラッキー、と思ったのも最初の2週間。いつの間にか、自分の身の回りのものを運び込みやがった。よくよく話を聞けば、去年の年末に岐阜から上京したばかりで、暫く友達の家に居候していたらしい。おい、コラぁ、オレの部屋はワンルームなんだぞ。そんな大きなエクササイズボールは使ったら空気を抜いとけよ。彼女が住み着いて普通に狭い部屋の機能が更に悪くなった。でも今やルミコはオレにとって大事な財布のような、いやもっと大きな銀行のような存在だ。殆ど毎日店に出勤しているので、15日ごとに20枚以上の一万円札をオレに運んできてくれる。先週の週末は、叙々苑で特選カルビを腹いっぱい食わせてもらった。部屋には大き過ぎるが32インチのLEDテレビも、圧力IH炊飯器もルミコからの貢物だ。 そしてほぼ毎日セックスしている。雨の日も風の日も、生理中の2日目も、酔っ払って帰宅してゲロ吐きそうになってもだ。ルミコのアソコの毛は丁寧に揃っている。近頃ブームでブラジリアン・ワックスというらしい。真正面から見たら波平さんのちょび髭だ。それからクリちゃん、これがとてもジャイアント。舐めると直ぐに興奮して伸び、赤ちゃんのチンチンくらいの大きさに瞬時で成長する。時々俺はコレを凝視できない。もしルミコが男だったら、絶対にオレのより大きなモノを股からブラ下げてるだろうからだ。おまけに滝のようなラブジュース、もしかしてオシッコかもしれないが、下になったオレの口に注ぎ込まれる。そしてルミコは自分がイクまで許してくれない。元々腰痛が持病の俺には高速ピストンは無理なため、仕方なく口を使ってイカせるように努力する。そうすると、更に大きくなったデカクリが俺の鼻の穴につかえて息苦しい。しかもそのうちルミコの大量のラブジュースに浸かった俺の歯は腐っていくかもしれない。 きっとその辺の野良犬よりも行きずりのセックスが好きなこのオレでも、この状況は厳しくなってきた。そろそろ出てってもらおうかなあ。しかしルミコ銀行を失うのは現状ではあまりに惜しい。そうだ、あと1週間様子を見よう。この間に考えよう。ちょっと、待てよ。先週も先々週も同じこと言ってなかったかなあ、俺。まあ、いいか。*写真は本文とは関係ありません【記事提供】キャフー http://www.kyahoo.jp/
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社会 2010年01月19日 16時00分
男と女の官能事件簿 熟年不倫で美人ヨガ講師を殺害(1)
2004年1月2日、名古屋市千種区でヨガ教室の講師をしていた石田京子さん(53)が、「犬山市のお寺に初詣に行ってくる」と言い残したまま戻らず、そのまま行方不明となった。 家族や知り合いも、京子さんが失踪する理由などまったく思い当たるものはなかった。また、人柄の温厚な京子さんは、ヨガ教室でも慕われており、知人や友人関係でもトラブルになった形跡はない。 ただし、事件に深く関係していたと見られる人物は、早い時期から浮上していた。当時、京子さんと交際していた米川源次郎(61)である。 米川は地元の新聞社に勤務し、整理部次長にまで出世して、事件の前年に定年退職していた。そして、6年ほど前に趣味である山歩きを通じて京子さんと知り合い、彼女が教えるヨガ教室にも通うようになる。そして、京子さんと男女の付き合いを始めるようになっていく。 しかし、彼女と知り合って交際を開始した頃、米川には妻子がいた。そして、2001年頃には家族と別居し、名古屋市内のマンションに移り住んで京子さんとの交際を満喫していた。 ただし、彼女との交際は続けていたものの、離婚はしていない。 実は京子さんが失踪したその当日、家族に「初詣には米川と一緒に行く」と告げていた。 警察も当初、米川が何らかの事情を知っているとみて任意で話を聞いていた。だが、米川は「初詣には自分の家族と行くことになったので、京子さんとは一緒に行っていない。彼女とは大晦日に名古屋市内で会ったのが最後。事件当日は、彼女に『初詣には一緒に行けなくなった』と携帯電話で話しただけ」などと述べた。 事件当日、米川にアリバイはなかった。だが、そのすらすらと供述するその話し振りに、捜査員も強い姿勢を取れなかった。何を聞いても、よどみなく答える。戸惑う様子もない。 そこで、警察は事件と事故の両面から捜査を続けていた。 しかし、地道な捜査の結果、やはり米川に疑惑ありとの見方が強くなっていった。そして、警察は再び米川を追及したところ、ようやく「京子さんを殺して遺体を山に捨てた」と自供した。 そして、10月15日の午後、愛知県犬山市善師野の山林で、変わり果てた京子さんの遺体が発見された。彼女が失踪してから、実に10か月が経過していた。(つづく)
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芸能 2010年01月19日 15時00分
意外に共通点の多い中山美穂と酒井法子
映画『サヨナライツカ』の公開が控えている歌手で女優の中山美穂。かつて月9主演最多を誇る人気タレントの彼女だったが、作家の辻仁成と結婚後に渡仏。現在はパリを生活の拠点としている。対し、昨年一連の薬物逮捕劇の張本人だった酒井法子もまた、中山と同時期にドラマや歌で活躍していた。40才前後という、年齢的にもほぼ同じで、愛する息子を持ち、同じように若い時期はアイドルタレントとして活躍した歌手で女優の二人。結婚で、一方は「セレブ」、片やもう一方は「犯罪者」という明暗を分けたが、その結婚にこぎつけた理由は、幼い頃の寂しい経験に伴い、意外に共通点が多い。 薬物に溺れていった酒井を擁護するわけでは無いが、屈託のない笑顔でお茶の間を明るくしていたアイドル・酒井法子の幼少期は、あまり恵まれていなかったと言えよう。 1971年福岡市に生まれるが、2歳の時に両親が離婚し、更に実母とも離れて暮らす。親戚の叔母の家(埼玉県)にいた小学校の6年生の時に実父が再婚。再び福岡で中学生活を送る。酒井がアイドルになった後、交通事故で死亡した父は暴力団関係者で、離婚再婚をくりかえした。叔母の家で一緒に暮らしていた弟は後に父と同じ道に進み、スキャンダルを恐れて酒井と会うことは無かったという。容姿が可愛く、学校でも友達の多い少女だった酒井は、複雑な家庭の事情で転校も余儀なくされ、母親がわりになる女性が変わる寂しさが常につきまとっていた。ドラマなどで見せる独特の孤独感は、みずからの経験から基づいている。 アイドルとして成功してから、恋愛につまづき、その後出会った男性が例の夫。彼は酒井が一番欲しがっていた「家庭」という、安定した居場所を提供してくれた。息子も生まれ、幸せだったに違いない。しかし、人並みの家庭で育っていなかった酒井が築く家庭はどこか他と違い、なにかが少しずつ狂っていったようだ。今でも酒井はせっかく築いた家庭だけは壊したくないようにも見える。 一方、やはり家庭が一番の居場所で、息子を可愛がる中山美穂。酒井の活躍に張り合うように、80年代後半から人気がうなぎのぼりだった中山は、強気な不良少女というイメージから、大人の女性、等身大のカワイイ女性など、様々な役を演じ、それぞれイメージに合わせた曲を主題歌としてヒットさせた。今考えると“とてつもない”アイドルである。なぜドラマで、こんなにイメージをガラリと変える事ができるかというと、彼女もまた、生い立ちが複雑で、様々な経験をして生きてきたからに他ならない。 中山は幼少期に両親が離婚。仕事で家を空けなければならない母にかわって彼女の面倒を見てくれた親戚の家など、様々な所に預けられ、当時母子の生活は苦しかったという。幼かった妹の忍はその事を覚えてない。後に母が再婚し、家庭に居場所がなくなった為に中山は少々荒れた。しかし、小学校の頃に母が入れた児童劇団で演技をする楽しみに気づいた彼女はドラマデビュー。「毎度お騒がせします」というドラマで激しい少女を演じ大人気になる。しかし、中山も「家庭の事情」で出来た、本来のものでない個性が一人歩きしてしまったため、不良少女も、大人っぽい女性も、年相応のキャピキャピ娘も、どれもしっくりこなかったという。そこで出会った夫の辻がやはり、家庭という居場所をくれて、息子を授けてくれた。映画では大胆なラブシーンに挑んでいるが、「母で妻」という一面が本来の中山美穂として一番しっくりくるそうだ。映画公開を機に自分のルーツを語り始めた中山の表情はとても落ち着いている。 アラフォー世代の青春時代に輝いていたミポリンとノリピー。テレビの向こう側の笑顔からは想像もできなかった二人のアイドルたちの寂しい幼少期があった。もしそれが無ければ、人気スターとしての地位も、それゆえの受難も無いのかもしれない。しかし彼女たちは、平凡な一女性として生きるのが難しい境遇だったからこそ、アイドルになれたのかもしれないが…。