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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元プロレスラー、キラー・カーンさん

 大型ヒールとして世界のマットでその名をとどろかせた元プロレスラー、キラー・カーン(本名・小沢正志)。190センチ、140キロの超巨体から繰り出すアルバトロス殺法などダイナミックな技で世界中のプロレス界を沸かせた。現在は俳優・歌手として活躍する一方、新宿・歌舞伎町で「ちゃんこ居酒屋 カンちゃん」も経営している。“安く、おいしく、量多く”と、自らの巨体にマッチしたボリュームある料理をリーズナブルに提供し、若者やサラリーマンから人気を集めている。

 「普通、有名人の店って名ばかりで本人は店にいないじゃないですか。でもカーンさんは基本的に毎日見せに出ています。今も120キロくらいあるそうで、かなりの巨漢なんですが腰をかがめて自ら接客してくれるんですよ。アンドレと一騎打ちしていたなんて思えないくらい優しくて、細やかな気遣いもしてくれるので本当に嬉しいし評判が良いです。しかも量も多くて安いので、男友達と飲むときはここって決めてます」(50代プロレスファン)
 現店の前身・新宿区中井にあった「スナックカンちゃん」にはアノ尾崎豊が通い、カレーライスを大変気に入ったことから、今の店でもその味を残し名物メニューのひとつとなっている。俳優業も映画「ジパング」「洛陽」「新極道の妻たち」等で個性的な名脇役ぶりを発揮したほか、プロレス界1、2を争う歌唱力を生かしクラウンレコードからCDも発売している。
 もともと体格に恵まれていたカーンは、中学校卒業後に大相撲春日野部屋に入門し、63年3月場所で初土俵を踏んだ。67年7月場所から越錦の四股名を与えられたものの活躍に至らず、70年5月に廃業。最高位は幕下40枚目だった。
 その後、プロレスに転向を決め71年1月に日本プロレスに入門。同年11月にデビューしたものの、73年4月に坂口征二らと新日本プロに移籍し、藤波辰爾らと戦いを繰り広げた。日本人離れした巨漢は海外での活躍も期待され、アントニオ猪木に同行したり、海外遠征の機会が次第に多くなった。78年、本格的にメキシコでの武者修行を開始、口ひげに弁髪の蒙古人レスラー「テムヒン・エル・モンゴル」として活躍を始め、アメリカ本土にも進出しこの際リングネームも「キラー・カーン」に改名した。

 カーンの名を高めたのは80年末から進出したWWF時代。同ヘビー級王座やインターコンチネンタル王座に挑戦したのはトップヒールの証だ。アンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争では更に悪名をとどろかせた。81年2月、アンドレが自らの過失で試合中に足を痛めた際、機転を利かせてニードロップを放ち試合をまとめアンドレの失敗を救った。このことでアンドレとの関係も深め、“アンドレの足を折った男”として瞬く間に世界的な大ヒールとなったのだ。
 82年、凱旋帰国後もアンドレとの一騎打ちで名勝負を演じるなど個性を生かした試合ぶりで唯一無二の大ヒールレスラーとして人気を博した。85年には長州力のジャパンプロレスに参加し、全日本プロのマットでも暴れたが87年4月には再度、WWFと契約しハルク・ホーガンやバンバン・ビガロらと抗争を繰り広げたが、同年11月に現役を引退した。
 世界的大ヒールレスラーだったカーンも現在は冒頭の活躍に加え、毎月数回、老人ホームを慰問するなど社会的貢献にも力を入れ、第二の人生を有意義に過ごしている。

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