松坂大輔
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スポーツ 2021年12月18日 11時00分
元西武・G.G.佐藤氏、松坂のせいでキャリアが狂った?「お前いい加減にしろ!」監督も激怒、プロ入り直後の大誤算を明かす
野球解説者の大久保博元氏(元楽天監督)が14日に自身の公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、野球解説者で地盤調査会社『トラバース』副社長のG.G.佐藤氏(元西武他)がゲスト出演。今季限りで現役を引退した西武・松坂大輔が原因という挫折経験を明かした。 今回の動画で佐藤氏は西武(2004-2011)、ロッテ(2013-2014)で過ごした現役時代の内、西武時代の思い出をテーマにトーク。その中で、当時プロ1年目・25歳だった2004年春季キャンプにおいて、同6年目・23歳だった松坂のスライダーを捕れなかったことから捕手を断念したというエピソードを語った。 >>元横浜・斎藤氏、松坂プロ入りへの本音明かし驚きの声「当時言ってたらバッシング確実」 自軍の獲得失敗に内心喜んでいた?<< 2003年に受けた西武の入団テストで当時の伊東勤監督(前中日一軍ヘッドコーチ)に見いだされ、同年ドラフトで7位指名を受けた佐藤氏。伊東監督は佐藤氏が当時捕手を守っていた点を決め手として指名を決断したという。 ただ、佐藤氏は迎えた翌2004年の春季キャンプで捕手としてブルペンに入るも、相手を務めた松坂のスライダーを全く捕球できず。「立ち投げ(の時点)で捕れなかったです」、「『スライダー行くよ』って言われた瞬間、嫌な予感したんですよ。(その直後に)高速Vスライダーです。(捕れずに)『かぁ~』ってなっちゃって」と、肩慣らしの段階でスライダーにはほとんど対応できなかったという。 このことに「普通に捕れるとは思ったんですけど…」と相当なショックを受けたという佐藤氏は、キャンプ4日目に伊東監督に「伊東さん、僕捕手やめたいです」と直訴。これを聞いた伊東監督は「お前いいかげんにしろ! (捕手)できるから獲ったのにできねえのか!」と激怒した後、「じゃあお前どこ守るんだ?」と質問。これに佐藤氏が「三塁なら…」と答えたことから、即座に捕手から三塁へのコンバートが決まったという。 佐藤氏の発言を受け、ネット上には「GGのコンバートの原因が松坂なのは知らなかった」、「捕手できるって触れ込みで入団したのに、キャンプイン早々『捕手辞めたいです』はヤバすぎる」、「なんだかんだ言ってコンバート認めた伊東監督優しすぎだろ、こんなの一瞬で干されてもおかしくないぞ」と驚きの声が寄せられている。 一方、「松坂のスライダーは名だたる打者が対応に苦労してたから捕れないのも仕方ない」、「あのイチローですら初見では打てなかったほどの球だからなあ」、「GGに泣きつかれた伊東監督自身も変化量にビックリしたって昔言ってた気がする」と同情するコメントも数多く挙がった。 松坂は1999年のプロ入り当初から150キロ超の直球とともに、大きく曲がる高速スライダーで他球団の強打者を封じてきた投手。中でも、同年5月に初対決したイチロー氏(当時オリックス/現シアトル・マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)からスライダーで2三振を奪った投球は今もファンの語り草となっている。 また、伊東監督も現役時代の1999年春季キャンプで松坂のスライダーを受けた際、「18歳のボールではなかった。オーバーに言うと、スライダーがベース2つ分曲がっていた」と変化量に驚愕したと過去に語っている。捕手歴代最多のゴールデングラブ賞11回を誇る伊東監督ですら手を焼いただけに、佐藤氏が捕手の道を諦めるに至ったのも無理はなかったと考えているファンも少ないようだ。 なお、捕手断念後の佐藤氏は三塁、一塁、外野とコンバートを繰り返した結果、強打の外野手として一軍に定着し、2008年には「.302・21本・62打点」の好成績でチームのリーグ優勝・日本一に大きく貢献している。このこともあってか、一部ファンからは「結果的に打力が花開いたんだから捕手断念は大正解だったのでは」という声も挙がっている。文 / 柴田雅人記事内の引用について大久保博元氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCKa1VlSq1WwdSQWv4JFdgxg
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スポーツ 2021年12月13日 15時30分
元横浜・斎藤氏、松坂プロ入りへの本音明かし驚きの声「当時言ってたらバッシング確実」 自軍の獲得失敗に内心喜んでいた?
DeNAの斎藤隆・一軍チーフ投手コーチ(元横浜他)が、12日放送の『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)にVTR出演。今季限りで現役を引退した西武・松坂大輔にまつわる裏話を明かしネット上で話題となっている。 番組では松坂をゲストとしてスタジオに迎え、西武(1999-2006,2020-2021)、ボストン・レッドソックス(2007-2012)、ニューヨーク・メッツ(2013-2014)、ソフトバンク(2015-2017)、中日(2018-2019)で過ごした現役時代の活躍や人気ぶりが紹介される。斎藤氏はプロ1年目・18歳当時の松坂の人気ぶりが紹介される中でVTR出演し、自身が所属していた横浜には入団してほしくなかったと当時の心境を明かした。 >>引退の西武・松坂、デビュー戦から異例の事件勃発の大物ぶり!「またやったらぶっ殺す」敵打者を大激怒させた衝撃の一球<< 1998年に横浜高校のエースとして甲子園春夏連覇を達成するなど輝かしい実績を残した松坂は、同年ドラフトで横浜、西武、日本ハムの3球団から1位指名を受け、抽選の結果西武が交渉権を獲得。ただ本人は当時、意中の球団は横浜と公言しており、今回の番組でも「横浜高校で3年間育ててもらった思いは強かったですし、そのままベイスターズに入れるのが一番いい流れなのかなと当時は思ってましたね」と語っている。 ただ、その横浜でエースとして活躍していた斎藤氏は、当時の心境について「高校生にビクついてるわけじゃないけど、来るとなると…」とコメント。仮に松坂が横浜に入団すると、自身の立場が脅かされることになるのではと危惧していたことを明かした。 迎えたドラフトではクジが外れ松坂の横浜入団は実現しなかったが、「今となってはホッとしたなというのが正直。『あぁ、よかった』みたいな」とこの結果に内心安堵していたという斎藤氏。「(松坂入団なら先発ローテが)1枠なくなるんですよ。結構、死活問題ですから」と、松坂の入団先は自身のキャリアを左右しかねない重大な問題と捉えていたと振り返った。 斎藤氏の発言を受け、ネット上には「松坂の横浜希望は知ってたけど、横浜側の選手がこんなこと考えてたとは知らなかった」、「入れば確実に戦力になるのに、それ以上に自分の立場が失われることを心配してたのか」、「当時こんなこと言ってたらバッシングは確実だっただろうな」と驚きの声が寄せられている。 一方、「確かにルーキー時代の松坂は斎藤ですら立ち位置奪われかねないほどの活躍だった」、「実際に松坂の1年目の数字は斎藤を上回ってるしなあ」、「松坂は西武初年度に大暴れしてるわけだから、結果的に斎藤さんの考えは正しかったと言えるな」と理解を示す声も多数挙がった。 「西武に入団した松坂は翌1999年に『25登板・16勝5敗・防御率2.60』でパ・リーグ最多勝(高卒新人では45年ぶり)に輝くなど大活躍を見せましたが、同年の斎藤氏は『26登板・14勝3敗・防御率3.95』と勝利数、防御率などで松坂の後塵を拝しています。そのため、仮に松坂が横浜に入り同様の数字を残していれば斎藤氏がエースの座を失っていた展開もあり得たわけですが、その松坂の実力をドラフト前から評価し同僚となることを敬遠していた斎藤氏は見る目があったのではと考えているファンも少なからずいるようです」(野球ライター) 斎藤氏はVTR内で「プロとしてアマチュアの人にそういう思いを抱いたのは(松坂が)最初で最後」と、後にも先にもアマ選手に対してこのような感情を抱いたことはなかったとも明かしている。横浜のエースをプロ入り前の時点で恐れさせたことも、松坂のすごさを物語る伝説の1つだと言えそうだ。文 / 柴田雅人
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社会 2021年10月20日 19時00分
金子恵美氏、松坂引退会見に「ウチの夫の会見を見ている気持ち」不倫騒動の夫と重ねふかわからツッコミ
10月19日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で、同日に引退試合に出場した西武ライオインズの松坂大輔投手の話題となった。番組では、試合前に行われた会見を時間をかけて紹介。家族の反応を訊かれて、涙ぐむ松坂の様子も流れた。 >>西武・松坂が引退前日練習で遊んでいた? 同僚との談笑で見せた大物ぶり、その裏にあった恩師の教えとは<< これを受け、元衆議院議員の金子恵美氏は「今の引退の会見見ていて私ぐっと来てしましたね。本当にご家族の支えがあったんだろうなと」と感慨深げに語った。だが、続けて「会見の内容は違いますけど、ウチの夫の会見を見ているような気持ちで」と話し、まさかのゲス不倫でお馴染みの夫で元衆議院議員の宮崎謙介氏の名前が現れた。これには、MCのふかわりょうから「ちょっと異物混ぜないで」とツッコまれる場面も。ただ、金子氏としては「ぐっと家族のことを思って話してるなと思って何か泣けて来ちゃって」とも話していた。これには、ネット上では「確かに両者は全然違うけど、家族を思うって部分では共通する部分があるのか」「これは本人にしかわからない気持ちだな」といった声が聞かれた。 さらに、金子氏は「ウチの夫が(松坂と)同じ歳なので、だからよく松坂、広末、宮崎って言う」と続けると、これまたふかわから「何その三大何とかみたいな」とツッコまれていた。1981年1月生まれの宮崎氏は、松坂大輔や女優の広末涼子と同学年にあたる。そのため、金子氏は「この一角が引退するっていうのは本人としても寂しくて、あと引退してないのは広末だけだって言ってました」と話していた。 また、ダイアナ・エクストラバガンザも「プロスポーツの方は大変だなと思うのは、自分で自分に引導を渡さなければいけない。役者さんは最近見ないよねという、しゅーっという引き際、それは好きで綺麗だなと思うだけど、なかなかそういうことが許されない。大変だなと思いますね」と松坂の気持ちに寄り添ったコメントを残していた。これには、ネット上で「引退を自分で決めないといけないっていうのは辛い選択かも」「プロスポーツの選手には老害ってないもんな」といった声が聞かれた。
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スポーツ 2021年10月20日 11時00分
西武・松坂退団ならブルペンに大激震? 引退試合でも目立った致命的課題、改善を左右する独自の投手理論とは
引退セレモニーを終えた松坂大輔投手は、その構想に入っているのだろうか。 10月19日の日本ハム戦で、松坂が現役生活にピリオドを打った。予定通り、「打者一人」との対戦を終え、1回表の無死一塁の場面から十亀剣投手がマウンドを引き継いだ。しかし、3番手として登板した高橋光成投手が日本ハム打線につかまり、埼玉西武ライオンズはメモリアル・ゲームを落としてしまった。 しかも、この敗戦で最下位に転落。「残り3試合」という状況を考えると、最下位のままシーズンを終える可能性も高い。“最下位・西武”となれば、西武が球団を買収し、本拠地を埼玉に移した1979年以来の屈辱となる。 >>西武・松坂が引退前日練習で遊んでいた? 同僚との談笑で見せた大物ぶり、その裏にあった恩師の教えとは<< 「試合後の辻発彦監督も複雑な表情でした。松坂を笑顔で送り出してやりたい気持ちもあれば、チームの不甲斐なさもあって。敗戦投手となった高橋は今季の開幕投手でした。これからはエースとしてフル回転してもらいたいピッチャーなのに」(プロ野球解説者) 球団は辻監督の「続投」を発表している。故障者続出が敗因だが、松坂の後を引き継いだ他投手の不甲斐なさを見て、渡辺久信ゼネラルマネージャー(GM)の言葉を思い出した。 「近い将来、ウチは投手王国になる。してみせる!」 この言葉を聞かされた取材記者、プロ野球解説者はかなり多い。シニアディレクター兼編成部長となった2017年ごろから口にしてきた。 「育成プランが遅れているようですね。渡辺GMが3年後をイメージしていても、実際は5年も掛かるような…」(球界関係者) その投手王国の構築に、松坂も携わるべきだろう。19日の試合後に出演したTVインタビューでは 「今後も野球界に携わっていきたいです」と答えていたが、他競技やスポーツ以外の分野にも興味がありそうな雰囲気だった。 メジャーリーグでも、何度も修羅場をくぐり抜けてきた。その投球論や基礎体力面での知識はもちろんだが、松坂を「平成の怪物」と呼ばれるまでに引き上げたのは、「守備能力の高さ」にある。セットポジションになってからの対戦バッターとの駆け引きや間の取り方、スローイングの正確さ、バント処理のセンスとスピードなどがそうだ。 松坂を知る元スカウトがこう語る。 「横浜高校時代、徹底的に教え込まれたものなんです。当時の小倉清一郎部長が教えるんですが、後にプロに進む生徒には厳しく、事細かに教えていました。だから、横浜高校出身のピッチャーはみんな守備が巧いんです」 プロに進む一流投手は“才能”だけで相手チームを抑え込むことができるので、守備面や駆け引きについて学ぶ機会が少ない。「覚えたつもり」になっていて、プロで慌てるなんてケースも少なくないそうだ。 松坂が投手の守備を後輩たちに指導したら、西武が最下位に沈むことはないはずだ。引退してしばらくはノンビリしたい気持ちも分かるが、自身が去った後のチームのことも気に掛けてもらいたい。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2021年10月19日 11時15分
西武・松坂が引退前日練習で遊んでいた? 同僚との談笑で見せた大物ぶり、その裏にあった恩師の教えとは
「久しぶりにユニホームを着て、練習をして」 埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手(41)が10月19日の引退試合に臨む。 >>引退の西武・松坂、デビュー戦から異例の事件勃発の大物ぶり!「またやったらぶっ殺す」敵打者を大激怒させた衝撃の一球<< 前日18日、その松坂が西武ナインと練習を行ったのだが、一軍合流は今季初めてだという。「ここがホームなんだと実感しました」と練習後に語っていたように、松坂は「西武ライオンズ」でプロ野球人生の第一歩を踏み出した。しかし、色々な意味で“特別な選手”であったことを再認識させられた。 冒頭の「久しぶり」発言だが、松坂はある意味での単独行動が許されていた唯一の選手だ。昨年7月、脊椎内視鏡頸椎の手術を受けた後、リハビリに専念してきたが、その様子や居場所について取材をすると、 「いや、本当に分からないんで」 と、球団スタッフは首を傾げていた。西武OBのプロ野球解説者に聞いても、同様の答えが返っていた。 「球団を動かしているのは、渡辺久信ゼネラルマネージャー(GM)。その渡辺GMを始め、球団首脳陣が信頼しているから、個人でリハビリすることも許されたんでしょう」(西武OBのプロ野球解説者) 特別な選手であることを再認識したのは、待遇のことだけではない。 ウォーミングアップ中、多くの投手たちと談笑していた。本当なら、練習中のお喋りはNGだが、松坂が話し掛けると、チームが明るくなり、活気づいていくのだ。20代前半の今井達也、30代半ばの十亀剣らが松坂を中心に話をしている。世代間も関係なく、チームが一つになっていた。人柄、ムードメーカーという単純な言葉では言い尽くせない魅力がある。 その後、外野の芝生で軽い投球練習も行った。捕手役の選手を座らせていたが、キャッチボールに毛の生えた程度である。 しかし、そのキャッチボールを見て、松坂がプロ入りした時の監督である東尾修氏の言葉を思い出した。 「キャッチボールでもっと遊ばないと…」 プロ一年目の春季キャンプ中だった。松坂はキャッチボールでも強いボールを投げ続けていた。それを見た東尾監督がダメ出しをしたのだ。東尾監督はキャッチボールの時点から、変化球も放ってみて、「その日の自身の好不調が分かるようになれ」と言っていた。また、そういうことが自然にできるようになって、一人前のプロ野球投手なんだとも教えていた。 それから歳月は流れ、松坂も“オヤジ体型”になった。リハビリで思うように練習ができなかったから仕方ないが、全身の筋肉が下がっていた。 最終登板前日の練習では、スライダーやチェンジアップなどの変化球も多投し、その曲がり具合を見て楽しんでいるように見えた。 「ストライクが入るかどうかわかりませんが、一球で仕留めてもらえたらと思います」 同日のキャッチボールをそんな風に評していた。成長し、そして、老けた。「平成の怪物」と呼ばれた猛者の最終マウンドである。打者一人の対戦で終えるそうだが、一球ではなく、何十球と投げてほしい。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2021年07月11日 11時00分
引退の西武・松坂、デビュー戦から異例の事件勃発の大物ぶり!「またやったらぶっ殺す」敵打者を大激怒させた衝撃の一球
これまで西武(1999-2006,2020-)、ボストン・レッドソックス(2007-2012)、ニューヨーク・メッツ(2013-2014)、ソフトバンク(2015-2017)、中日(2018-2019)でプレーし、日米通算で「376登板・170勝108敗3ホールド2セーブ・防御率3.53」という数字を残したプロ23年目・40歳の松坂大輔。7日、その松坂が今季限りで引退することを西武が発表し多くのファンに衝撃を与えた。 右手のしびれを和らげるため昨年7月5日に「脊椎内視鏡頸椎手術」を受けたが、右手中指の感覚がほとんどなくなるなど回復が思わしくなかったという松坂。渡辺久信GMは球団公式サイトを通じて「大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。ただ、体調面、精神面が回復した段階で会見という形で、皆さまの前で本人から気持ちを話すことができると思います」と、松坂がすぐには会見を行えないほど心身両面で疲弊している旨を明かしている。 >>西武・松坂、引退後の指導者転身は拒否? 渡辺GMはアドバイザー職打診で流出阻止の構えか<< 一時代を築いた松坂の決断を受けて球界内外から惜別の声が挙がっており、俳優・妻夫木聡が7日に自身の公式インスタグラムで「松は永遠に俺たち世代の誇りです いっぱいの勇気をありがとう!」、自民党・小泉進次郎環境相が8日の『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社/電子版)の記事内で「高校時代に打った横浜スタジアムのレフトスタンド最上段に届く大ホームランが忘れられません」とそれぞれコメントするなど、日本中に大きな衝撃を与えた。 一方、ネットには「乱闘騒ぎを起こしたデビュー戦からもう22年か、時の流れは早いな」、「フランクリンに逆ギレして『凄い新人だな』って驚いたのが懐かしい」というコメントも見られた。 横浜高校時代の1998年に甲子園春夏連覇を成し遂げ、同年ドラフトで西武から1位指名を受けプロ入りした松坂。一軍デビュー戦となった1999年4月7日・日本ハム戦には大きな注目が集まったが、同戦では自身の投球が原因で乱闘騒ぎが勃発している。 アクシデントが起こったのは、「5-0」と西武5点リードの5回裏2死の場面。松坂は打席に日本ハム助っ人・フランクリンを迎えていたが、カウント「1-2」から投じたストレートがフランクリンの顔面に向かってしまう。背後に倒れ込みながら何とか直撃は回避したフランクリンはすぐに起き上がると、松坂をにらみつけマウンドに詰め寄ろうとした。 ところが、松坂が謝るどころか逆ににらみ返してきたため、フランクリンは右手に持っていたバットを振り上げながら激高。この直後にベンチを飛び出した両チームの選手がフランクリンの元になだれこみ、押し合いへし合いの乱闘騒ぎに発展した。 乱闘は1分ほどで沈静化したが、この間マウンドから騒ぎを見つめていた松坂は、声をかけてきた同僚に笑顔を浮かべるなど余裕の表情。さらに、カウント「2-2」からの試合再開後も内角にスライダー、ストレートを続ける(どちらもボールで四球)など強気の配球を貫いた。 松坂はその後8回まで投げ、「8回2失点・被安打5・9奪三振」でプロ初白星をマーク。試合後のお立ち台でフランクリンをにらみ返したことについて聞かれると「そんなに怒る(ような)球じゃないと思ってたので、僕も(にらまれて)ちょっと頭にきてたんで(にらみ返した)」と説明した。 ただ、当時の報道によると松坂はその後、フランクリンが「体に当てられるなら気にしないが、150キロのボールが頭に当たったら今シーズンを棒に振ることになる」、「彼もわざとやったわけではないだろうから次はもうないだろう。ただ、もしまたやったらぶっ殺す」と試合後も激怒していたことを知ったとのこと。そのため、「後でテレビを見たら結構危ないところに行っていた。すみませんでした」と謝罪したという。 同戦の1勝を皮切りに、現在までに170個もの白星を積み上げた松坂。1999年開幕前の春季キャンプで「もしバッターが向かってきても逃げたくはない」と語るなどデビュー前から強気な性格は評判だったが、物おじしない強心臓ぶりもまた長きにわたって活躍できた一因だったのかもしれない。文 / 柴田雅人記事内の引用について埼玉西武ライオンズの公式サイトよりhttps://www.seibulions.jp/妻夫木聡の公式インスタグラムよりhttps://www.instagram.com/satoshi_tsumabuki_official/
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スポーツ 2021年07月08日 17時45分
西武・松坂がついに現役引退...YOKOHAMAから羽ばたいた怪物と横浜スタジアム
西武ライオンズは7日「平成の怪物」松坂大輔が今シーズン限りで現役引退すると発表した。 1998年は横浜の年だった。横浜ベイスターズは38年ぶりに日本一に輝き、横浜高校は春夏の甲子園で連続で全国制覇を果たすなど、浜っ子にとって忘れられないメモリアルイヤーとなった。 その年のドラフトの目玉はもちろん横浜高校のエース・松坂大輔。地元ベイスターズと相思相愛の仲だったが、無念にも当たりくじは西武ライオンズの元へ。その後はNPBを代表する大エースとなり、メジャーでもレッドソックスでワールドチャンピオンに貢献するなど大活躍したが、度重なる怪我の影響でNPBに復帰後は輝きは戻らず、無念の引退となった。 高校2年時には横浜スタジアムでの神奈川大会準決勝で、自らの暴投で甲子園出場を逃すなどのストーリーもあり、浜っ子には特別な記憶が残る松坂が、最後にハマスタに登場したのは2018年9月22日。DeNA-中日戦後のG後藤武敏の引退セレモニーで横浜高校の同期、小池正晃コーチと後藤に花束贈呈し、熱い抱擁を交わした後3人でガッチリと握手。その後、後藤がファンの待つスタンドに向け場内一周をする際も、松坂は三塁ベンチで待機し、リリーフカーが近づくと両手を大きく振り、気づいた後藤も手を振り返していたシーンは印象的だった。 セレモニーの最後の胴上げでも、松坂は異例の参加。万感の想いを込め、同期を8回宙に舞わせる姿に、場内からは惜しみない拍手と歓声がとどろいていた。「松坂世代の一員でいられたことに感謝し、引退します!」と後藤も最後のスピーチで名を挙げるなど一瞬、時が1998年に戻ったような雰囲気にハマスタが包まれた。 引退決定により松坂がNPBで横浜スタジアムで登板したのは、西武ライオンズ時代の2006年5月19日の交流戦のみとなった。2018年のドラゴンズ時代はすべてナゴヤドームだったことから、勇姿を見たかった横浜のファンには少々寂しさが残る結果となったが、諦めない心と消えるスライダーは、YOKOHAMAの地に色濃く刻まれている。取材・文・写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2021年07月08日 11時20分
松坂大輔引退にロッテ井口監督がコメント「私にとっても彼との対戦は印象深い」
埼玉西武ライオンズは7日、松坂大輔投手の引退を発表した。渡辺久信GMは「このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています。昨年7月に手術を受け、それ以降も『メットライフドームで勝利する』ということを目標に大輔自身、厳しいリハビリに耐えながらここまでやってきました。ライオンズファンに自身の姿を見せることができていない日が続き、体調面もなかなか向上せず、ずっと苦しい思いをしてきたと思います。実際、今年もここまでずっと、球団施設などで毎日復帰に向けて必死にリハビリやトレーニングを重ねる大輔の姿がありました。大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。ただ、体調面、精神面が回復した段階で会見という形で、皆さまの前で本人から気持ちを話すことができると思います。今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆さまには彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです」とコメント。松坂の会見は後日行う予定だ。 松坂は西武からメジャーに移籍し、帰国してからは、福岡ソフトバンク、中日を経て2020年から古巣である西武に復帰。復帰会見で「あまり大きなことは言えない。リーグ3連覇、惜しいところで届いていない日本一のために、少しでも力になりたい」、「球も遅くなったし、やりたくないと思っていたボールを動かす投球もしている。昔の(速球派の)イメージを持っている人もいると思うが、今の自分ができる形を100%出してチームに貢献したい」と語り、残り30勝となっていた日米通算200勝については、「難しくない数字だとは思うが、ここ数年を考えると、近くはないと思う。僕自身、終わりというものがだんだん近づいている中で、達成したいという気持ちが強くなってきている。最後まであきらめずに200という数字をめざしてやっていきたい」と話していたが、昨年、脊椎内視鏡頸椎手術を受けたこともあり、西武復帰後は公式戦で登板していない。「このタイミングでまた西武のユニホームを着られることになって、『やっぱり最後はここなのかな』と今は思っている」とも語っていたが、その言葉の通りになってしまった。 千葉ロッテの井口資仁監督は「もう一度、ライオンズの松坂大輔としてマウンドで投げる姿を楽しみにしていましたので非常に残念です。現役時代にはライバルチームのエースということで幾度となく素晴らしい勝負をすることが出来ました。私にとっても彼との対戦は印象深く、心に残っています。日米で大活躍され一時代を築いた投手が引退するということは寂しく非常に残念に思いますが、またこれから始まる第2の人生でも野球界の発展のために頑張ってもらいたいと思います。長い間、お疲れ様でした」と松坂を労っている。(どら増田 / 写真・及川恒平)
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スポーツ 2021年07月07日 13時25分
元阪神・藤川氏、引退の松坂に「心が落ち着いた時にまた改めて…」 苦悩の末の決断に複雑な心境吐露、他OBからも惜しむ声相次ぐ
これまで西武(1999-2006,2020-)、ボストン・レッドソックス(2007-2012)、ニューヨーク・メッツ(2013-2014)、ソフトバンク(2015-2017)、中日(2018-2019)でプレーし、日米通算で「376登板・170勝108敗3ホールド2セーブ・防御率3.53」という数字を残しているプロ23年目・40歳の松坂大輔。7日、その松坂が今季限りで引退することを西武が発表した。 球団はこの日、公式サイト上で「松坂投手は今シーズン限りで現役を引退することとなりました。本件につきまして、会見の日時などは現時点では決まっておりません。決まり次第、お知らせいたします」と発表。また、「大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。ただ、体調面、精神面が回復した段階で会見という形で、皆さまの前で本人から気持ちを話すことができると思います」という渡辺久信GMのコメントも掲載されている。 引退を伝える報道によると、松坂は右手のしびれを和らげるため昨年7月5日に受けた「脊椎内視鏡頸椎手術」からの回復が思わしくなく、特に中指はほとんど感覚がなくなっていたとのこと。今年5月のブルペン投球では右打者の頭部付近に球が抜けたといい、その後の治療でも改善の兆しが見えなかったことから、今月7日までに渡辺GMに引退を申し出たという。 >>西武・松坂、引退後の指導者転身は拒否? 渡辺GMはアドバイザー職打診で流出阻止の構えか<< 松坂の引退を受け、現役選手や複数の球界OBが自身のツイッターを通じコメントしている。中日・又吉克樹は、「引退報道が出てびっくりです 短い間でしたが松坂さんと、一緒に野球をやれたのは人生の宝物です」と投稿。2018~2019年にかけ共にプレーした松坂に感謝を述べた。 元巨人・上原浩治氏は、「ついに来たか…誰もがいずれ引退はするけど、やっぱり寂しいなぁ 解説者、メディアの立場から、現役の大輔のピッチングを見たかった 周りからの目、手術など、想像が出来ないくらい大変だったと思うね 高卒、大卒で立場が違うって思いながら、いろいろ比べられたなぁ おつかれ!」とコメント。1998年ドラフトで1位指名を受けた者同士として、周囲から比較された日々を振り返りつつ、今季まで現役を続けた松坂を労った。 松坂と同じ1980年度生まれ、いわゆる“松坂世代”の1人である元阪神・藤川球児氏は、「松坂選手の引退については 彼の心が落ち着いた時にまた改めて、、」と投稿。心身両面で万全ではない松坂の心情を思いやった。 松坂の決断を受け、ネット上にも「高校時代からずっと応援してた選手の引退は寂しい、本当にお疲れ様でした」、「甲子園春夏連覇、ルーキー最多勝(16勝)、WBC連続MVP(2006,2009)と伝説的なキャリアだったと思う、今まで楽しませてくれてありがとう」、「今の状態がどうかは分からないけど、最後にもう1度一軍で投げるところを見たい」といった反応が寄せられている。 球界に大きな衝撃をもたらしている松坂の引退。具体的日時は不明だが開催は濃厚な引退会見の席上で、本人はどのような言葉を語るのだろうか。文 / 柴田雅人記事内の引用について埼玉西武ライオンズの公式サイトよりhttps://www.seibulions.jp/又吉克樹の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/mata11katu上原浩治氏の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/TeamUehara藤川球児氏の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/kyuji22fujikawa
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スポーツ 2021年07月07日 11時00分
西武・松坂、引退後の指導者転身は拒否? 渡辺GMはアドバイザー職打診で流出阻止の構えか
平成の怪物・松坂大輔投手が今季限りでの現役引退を決意した。昨季、プロ生活をスタートさせた埼玉西武に復帰したものの、ここまで一軍登板ナシ。昨年7月に受けた「脊椎内視鏡頸椎手術」からの復帰をめざしたが、回復の兆しが見られなかったという。 「親しい知人などには先に報告したと聞いています」(スポーツ紙記者) 「松坂引退」の一報が入ったのは、各地でのナイトゲームが終わった頃。西武は旭川遠征に出ていたため、“伝聞”で知ったメディアも少なくなかった。旭川に帯同した側も詳しいことが分からず、各々が“個別ルート”を使って事実確認を行った。 その確認作業の過程で分かったこともある。球団職員、現場スタッフ、選手たちの中には知らなかった者もいた。辻発彦監督は知らされていたとは思うが、松坂本人から直接連絡があったのかどうかは疑問だ。 >>西武・松坂、ソフトB・工藤監督のおかげで命拾い? 渡辺GMがリスク覚悟の残留を決断したワケは<< しかし、それは良い意味で、西武は“選手寄りの球団”になった証でもある。 「松坂のチーム帰還を決め、各方面に調整を付けたのが渡辺久信ゼネラルマネージャー(以下=GM)です」(球界関係者) 渡辺GMが理想とするチーム像は、選手を大切にすること。功労者に対しては特にそうであり、フリーエージェント権を行使して退団した選手も帰還させ、西武で引退させてやりたいと考えていた。その第一号は現ソフトバンクの工藤公康監督である。 「それまでの西武は退団したら、それで全ての関係も切ってしまうような感じでした。そういう雰囲気を一掃し、チーム功労者を呼び戻し、現役を続けたいというのなら、トコトンまでやらせてやりたい、と」(前出・同) 松坂は自分自身で進退について考え、結論を出すことができたということだろう。プロ野球選手の多くは球団から「戦力外」を通告されて、現役生活を退く。その意味では、松坂は幸せなプロ野球人生を送れたようだ。 また、「今季限り」ということは、ペナントレース終盤のどこかで引退セレモニーも行われるのだろう。しかし、こんな声も聞かれた。 「松坂は米国での永住権を取得しています。指導者として球団には残らないと思われます。あれだけのビッグネームなので、アドバイザーのような肩書を与え、名目だけでも球団に残ってもらうのではないか」(前出・同) 古巣帰還のために尽力してくれた渡辺GM、そして、ファンのためにも西武球団に残るべきである。 1998年、夏の甲子園大会で松坂と対戦した選手がこんなことを語っていた。 「直球だと思ってバットを振ったら、次の瞬間、視界からボールが消え、左太股に直撃していました。あんな凄い曲がり方をしたスライダーは初めて見た」 五輪、WBCなど国際試合で見せた圧倒的なピッチングも思い出される。国際舞台で強かった平成の怪物が五輪イヤーに引退を決意したのも、何かの巡り合わせだろう。(スポーツライター・飯山満)
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