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芸能ニュース 2009年06月16日 15時00分
〈新連載〉田代まさしの新メニュー始めました! 前に進んで行くことが恩返し
読者の皆さんは、さる6月1日に開催された内外タイムスの創刊60周年記念イベント「故・内外タイムス新聞葬」でおれがあこがれのアントニオ猪木さんにしかられて闘魂を注入してもらったことは知っているよね!? 猪木さんのビンタをくらったその瞬間、頭の中にモヤモヤと渦巻いていた過去のいろいろなものが全部吹き飛んで、ようやくこれから新しい一歩が踏み出せそうな気がした。 翌日、そのニュースは各マスコミでたくさん取り上げられていて、ネットではそれを見た人たちからいろんな書き込みがされていた。そのほとんどはおれに対する応援のメッセージだったけれど、中には「猪木さんはなぜあんなヤツに闘魂を注入したんだ」とか「そんなことをするから田代がつけあがるんだ」「もう復帰なのか、芸能界は甘くていいよな」などと書かれているものもあった。 おれは自分で犯してしまった罪の大きさは重々理解しているつもりだし、それを償うために3年半という刑期も全うしてきた。そして何よりこのことによって地位や名誉、お金や家族、全てを失ったのだ。こんなおれに、そういう人たちはこれ以上何を望んでいるのだろう。 ネットで何かと話題にされるようになった当初は、そういう書き込みを見るとやっぱり悲しい気持ちになったし、腹も立った。 でも最近はこういう風に考えるようにしている。おれと同じような事件を起こした有名人でも、すぐに忘れられて相手にされなくなってしまう人はたくさんいる。ネットで今でもいろいろと書いてくる人たちは、おれに興味があるからそういう書き込みをするんだろうなって。 おれの事件をパロディーにした動画を見たことがあるけど、あれだっておれによっぽど興味がなければ、あんなに手間をかけて動画なんて作らないだろうからね。そうやって取り上げてくれるだけでもありがたいなって思っている。 これからも、こんなおれに手を差しのべてくださる人たちの気持ちに応えていきたい。少しずつ、一歩ずつだけど前に進んで行くことが今でも応援してくださる人たちへの恩返しだと考えている。これからのおれを寛大な温かい目で見守っていただけたら幸いです。
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芸能ニュース 2009年06月16日 15時00分
人物クローズアップ アロン・ウルフォーク監督が心がけた地元目線の演出
高知を舞台に、日米間のカルチャー・ギャップがもたらすさまざまな問題を繊細なタッチで描いた映画「はりまや橋」が、現在公開中だ。長編デビュー作となるアロン・ウルフォーク監督(40)に話を聞いた。 物語は、高知県の中学校に英語教師として赴任していた米国人青年ミッキーの事故死から始まる。 「私もジェットプログラム(外国語青年招致事業)で1992年から1年間、高知県須崎市に英語指導助手として滞在してました。本当はもっと長くいる予定でしたが、途中で米のフィルムスクールに合格したのでやむなく帰国です。この作品を撮ろうと思ったきっかけは、高知の生活や文化が恋しかったことと、フィルムスクールで映画を作りたいという思いが合致したことです」 ミッキーには画才もあり数多くの絵を遺していた。それらをかき集めるべく、サンフランシスコから父親のダニエル(ベン・ギロリ)が単身乗り込んで来る。彼は太平洋戦争で日本兵に父を殺され、日本人に対して嫌悪感と偏見を持っていた。 「本作のテーマは異文化交流。内容はフィクションですが、高知滞在時に多くの人から触発された実体験が大きく影響しています。日本人…特に地元高知の人から見ても正しいと認識してもらえるような演出を心がけました」 いざダニエルが高知を訪れてみると、ミッキーをかわいがっていた原先生(清水美沙)や教委職員(misono)らから、意外にも温かく迎えられた。それでも日本人に対して開くことのないダニエルの心を、息子の教え子で知的障害を持つ少女エミ(穂のか)から贈られた絵がこじ開ける。その絵にあったのはミッキーが同僚の紀子(高岡早紀)と結婚し、子ども…つまり自分の孫までいるという事実。ダニエルの心中は千々に乱れる。 「原先生役に清水さんを選んだのは独特の感情を表現でき、英語での演技に説得力があること。MISONOさんは日本の有名な歌手だと聞いてました。実際に会ってみると事前に考えていた通り、演技も性格も歌と同じぐらい良かった」 今のところ、映画そのものより石橋貴明の娘・穂のか自身の話題が先行している観は否めない。 「日本の高名なコメディアンの娘だとは聞いていましたが、それは米国人の私にとって無意味です。彼女はオーディションでキャスティングしたんです。1時間ほど脚本を読ませてみて、素晴らしい才能を持っている、ちゃんとエミ役を演じてもらえると判断したから選んだまで。父親の存在や話題性が私の意思決定に影響を与えたことはありません」
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芸能ニュース 2009年06月16日 15時00分
小林せな 過激にせな! って初ポロリも大公開!?
第9回全日本国民的美少女コンテストに出場し、関西を中心に活躍してきた小林せながファーストDVD「おませなせな」(トリコ)を20日にリリース。意外に過激なショットに挑戦している彼女に話を聞いた。 −−沖縄でロケされたそうですが、今作の内容はどんな感じ? 「初めてのことだらけで、“いろんなことに挑戦したぞ!”って感じ。まさにデビュー作って感じですね。作品を見た方には、緊張しているのが伝わるのではないでしょうか」 −−見どころは? 「普段はほとんどすることがないメイドさんの格好、それから照れた姿かな。あと、たくさん笑いました。かと思いきや、クールに澄ましたり…。いろんな顔を見ていただけると思います」 −−ちなみにどんなデザインの水着が好きですか? 「スクール水着です(笑)」 −−えっ? 「うそです。プライベートで着るのはワイヤー入りの胸のラインが奇麗に出るものを選びます。今狙っているのはラインストーンがぎっしり詰まったキラッキラのビキニです」 −−撮影中のエピソードは何かありますか? 「ずっと曇ってました(笑)。せっかく沖縄に行ったのに、海には1度しか行ってないんです」 −−ほかには? 「あと、初ポロリしかけました(苦笑)」 −−では、最後にファンへのメッセージを。 「こんにちは。小林せなです。はじめましての方が多いのかな? 今回このDVDを出させていただけたことをきっかけに、これからたくさん、いろんな場面でみなさんに会えることを楽しみにしています。応援よろしくお願いします」こばやし せな1988年9月28日生まれ。大阪府出身。A型。趣味=ショッピング、ネイル、音楽鑑賞。特技=食器洗い。6月27日、東京・秋葉原でDVD発売記念イベントを開催。13時〜石丸電気ソフト2、16時〜ソフマップ秋葉原アミューズメント館。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
女子ゴルフ界に奇妙なジンクス!?服部道子に迫る“鬼門”
結婚後の女子プロゴルファーは軒並み成績が落ちるといわれる。元祖・天才少女、賞金女王、ツアー優勝18回の服部道子にとっても結婚は“逆効果”になってしまうのか。 日本女子ゴルフツアーの元賞金女王、服部道子(40=三共生興)が年内に結婚することが分かった。お相手は亡き父・弘道さんと同じ医師。都内の日本医大記念病院に勤務する38歳の内科医である。 服部は、7日閉幕したリゾートトラストレディース(滋賀、ザ・CC)に参戦、15オーバーの最下位に終わったが、結婚を明かした大会だっただけに終始ニコヤカ。「今週は予選を通過しただけでもよかった」と軽やかに語った。 既に結納を済ませ、入籍も近日中に済ませる予定だという。今年になって知り合い、5か月足らずのスピード婚だったが、「ビビッと来た感じ?」の質問に「そうですね。同じ空気でいられるんです。子供は1人以上欲しい」と語るなど、明るく幸せそうな笑みは絶えなかった。 しかし、このおめでた報の一方でこんな声も。 「服部が結婚? これで彼女の華麗なプレーも見納めになるのかなぁ。結婚するとほとんどの女子プレーヤーは勝てなくなって、最後は引退…。ファンとしては寂しい限りだよ」(20年来の服部ファン) 女子プロのツアー選手の結婚が5、6年前から目立つようになった。03年には原田香理、元木佳代子、平尾名芳子らの結婚が相次ぎ、話題を集めた。いずれも一時期ツアーで活躍した選手だ。 古いところではピンクのウエアに身をつつみ、颯爽と優勝さらっていく姿に“ピンクパンサー”の異名が付いた台湾のトアギョク選手(54=ミズノ)。いまだに日本人ファンが多い。 74年に東海クラシックでの初来日V。81年からJLPGAに正式入会してから、日本ツアーに本格参戦。それ以後は大活躍。82年からの5シーズだけで計41勝を挙げる驚異的な強さを見せ、賞金女王に5年連続、7回王座についた。 そのトアギョクも88年2月、恩師の四男と結婚した。しかしその後、手首のケガなどで参加機会が減り、同時に華々しい活躍もなく、“ピンクパンサー”の名も忘れさられ…。 また永久シード権を獲得している森口裕子(53=ゴールドウイン)、塩谷育代(46=伊藤園)藤井かすみ(41=スポーツビズ)らも結婚した後もツアーに参戦しているが、主婦業や子育てなどの問題もあって出場機会は徐々に減り、活躍の場面が少なくなっている。 森口は、ツアー3年目の73年のワールドレディースで初優勝、94年までに43勝を上げているが、40歳を過ぎた頃から過労から来る体調不良でツアー参戦が大幅に減少。06年には2試合、昨年はついに未参戦だった。 塩谷は現在、2児のママさんプレーヤーだが、育児期間(約5年)後の01年から03年まで3回優勝するなど頑張っている。賞金女王に2度、ツアーなど21度優勝の経験者だ。 その意味では、結婚後も活躍する希少なプレーヤーとして人気があるが、最近では上位に名を連ねることはなかなかない。 新しいところでは、宮里藍とペアを組んで「第1回ワールドカップ」の世界一になった北里瑠衣(27)も06年に結婚、奥さんプロゴルファーになっている。しかし、近年は故障などでシード権落ちするなど不調が続く。 女子ゴルファーと結婚について、ベテランのゴルフジャーナリストはこう解説する。 「男子ゴルファーは、結婚した翌シーズンに成績を上げる選手が多い。食生活を含めた充実した家庭形成がメリットとして現れているんでしょうね。しかし女子は結婚後のシーズンで成績がよくなった顕著な例はほとんどない。塩谷育代が頑張っている以外、目立ちません。“結婚効果”はまだ見られないということです」。 服部は「今後のツアーについては(夫)と相談して決めます」というが、さて。 ◆服部道子(はっとりみちこ)1968年(昭43)9月8日、愛知県日進市生まれ。11歳からゴルフを始めた元祖天才少女。淑徳高から米テキサス大に進学、85年全米女子アマに日本人として初優勝。91年プロテスト1位合格。93年ミズノオープンで初優勝。98年は5勝を挙げ初の賞金女王。ツアー通算18勝。今季は現在賞金ランキング63位。168センチ、59キロ。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
球界因縁のライバル(16) 森VS長嶋(下) 巨人監督人事に大きな功績を残した長嶋
生涯の夢と言ってもいい巨人監督の座をあと一歩で失った森氏は、西武時代の実績を買われ、2001年から2年間、横浜の指揮を執ったが、3位、最下位で3年契約を全うできずに解任されている。 最初の1シーズンだけ巨人・長嶋監督との因縁対決もあった。初めてオープン戦で顔合わせの時には、天敵同士があいさつをかわし、マスコミを驚かせた。 森監督に請われて、王監督率いるダイエー・ホークスの助監督から横浜のヘッドコーチに就任した黒江透修氏が仲介したからだ。巨人長嶋第一次政権下で一軍コーチを務めたり、ロッテ・広岡ゼネラルマネージャー体制では二軍監督を経験している。誰からも「クロちゃん」と呼ばれ、全方位外交ができる類いまれな存在だ。 「天敵同士の広岡さんと森さん、さらに森さんと長嶋さん、そのすべてに行けるのは黒江さんだけですよ」と球界関係者に言われ、「そう言われれば、そうかもしれないな」と照れずに答えられるのが黒江氏の持ち味だろう。 画期的な長嶋監督と森監督の再会もその後は球界の新たな看板カードにはならなかった。結局はチーム再建の期待に応えられずに、2年間で横浜を去った森氏はいま、グリーンカードを取得してハワイに永住している。日本に戻るのは年に数回だ。 巨人・森監督を阻止した長嶋監督の方は、00年に球史に残るダイエー・王監督とのONシリーズを実現。王ダイエーを破って2度目の日本一監督に輝いている。あの時、長嶋監督が巨人の敷いた勇退既定路線に乗せられていたら、ファンは20世紀最後を飾った夢のONシリーズを見られなかったのだ。勇気ある長嶋監督の居直り続投に感謝感激するしかないだろう。 いや、ファンだけではない。読売新聞グループ東京本社会長、巨人球団会長の渡辺恒雄氏をはじめ読売、巨人首脳が全員、長嶋氏に頭を下げる必要がある。自らの不明を恥じて。世紀のONシリーズを制して、翌01年のシーズンをもって勇退、後任に原ヘッドコーチを昇格させた政権禅譲の監督交代劇も長嶋氏の功績だろう。 第一次長嶋政権後の巨人の監督交代劇は、世間を騒がせてばかりいたからだ。長嶋電撃解任。王本格政権への藤田の中継ぎ政権。が、その王政権も5年で終わらせ、再び藤田政権の再登板。「藤田永久政権だ。後継者も藤田監督に決めてもらう」と当時の読売新聞社社長の渡辺氏が言いながら2シーズン低迷すると、藤田監督解任。長嶋再登板というように、目先の利益でクルクル変わるのが、巨人監督人事だった。 それだけに、長嶋監督から原ヘッドコーチへのスムーズな政権禅譲劇は異例のことだった。この後に2年間ずつで、原政権→堀内政権、さらに原政権の復活と目まぐるしく政権交代。「グループ内人事異動」なる言葉まで飛び出しているのだから、なおさら長嶋→原禅譲政権が光っている。 もしも、あの時に森政権が誕生していたら、世紀のONシリーズがなかっただけでなく、その後の球界、巨人監督人事はどうなっていたのか。「ONは神様だ」とは、今回のWBC日本代表監督人事に際しての巨人・渡辺球団会長の言葉だが、都合の良いときだけの神頼みでは、神様だって怒るだろう。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
藤波&三沢 天界タッグ結成へ!
ドラディション藤波辰爾代表が15日、羽田空港で取材に応じ、プロレスリング・ノアの故・三沢光晴さんを偲んだ。かねてから三沢さんとの一騎打ちを熱望していたドラゴンは「ちょうどうちのリングに参戦をお願いしようと思った矢先でした」と悲痛な思いを吐露。大黒柱が不在となり、激震の箱舟マットには「残った選手にがんばってほしい。ボクならいつでも参戦する」とドラゴン流エールを送った。 「今度会うときは無我のリングでねって、約束したのに…。いま自分にできることがあれば協力します」。三沢さんとの果たせなかった思いを胸に、ドラゴンが箱舟マットに全面支援を打ち出した。 藤波は新日本プロレス社長時代の2005年5月14日に、新日プロの東京ドーム大会で三沢さんと初のタッグを結成(三沢&藤波組VS蝶野正洋&獣神サンダーライガー組)。その後は無我ワールド・プロレスリング(当時)を立ち上げた後の07年9月9日に、ノア武道館大会で西村修と組み、三沢&潮崎豪組とタッグ戦で初対戦した。 「三沢選手とは2005年の新日本のドームではタッグを組んで、その2年後の2007年にはノアさんの武道館大会にボクが出て行ってタッグで対決した。あれから2年経ったので、今年はうちに来てもらってシングルでやりたかった。ちょうどうちのリングに参戦をお願いしようと思った矢先でした」 かねてから三沢さんとの一騎打ちを熱望してきた。理由は「ボクの中で三沢選手は王道を継ぐ最後の選手だった」から。それだけに「何としてでもシングルで闘いたかった」「オレより10歳も下でいなくなるなんて、若すぎる。プロレスラーとしてこれからというときなのに…」と、いまでも心残りは多分にある。 「ボクは昔から(ジャンボ)鶴田さんや(ジャイアント)馬場さんといったあの時代の全日本プロレスの選手とやりたかったんだけど、当時は周りの状況や時代もあって叶わなかった。だからボクの中では三沢選手っていうのは、そういう王道を継ぐ最後の選手だったので、常々シングルでやりたいって言ってきた。いまボクの中では王道が無くなった感じ」 しかし、偉大な王道継承者がいなくなったからこそ、三沢さんが遺したノアマットは気がかりでならない。 藤波は「秋山選手や小橋選手、それと百田さんにはがんばってもらいたい。ボクが三沢選手と最初で最後の対決をしたときに横にいた潮崎選手にもがんばってほしいよね。(GHCヘビー級の)チャンピオンになったんだし」とエールを送る。 今後は追悼興行などへの動きが出てもおかしくないが、その際に協力は惜しまない。「三沢選手が社長とレスラーを一緒にやってきた大変さは、ずっとボクもやってきたからよくわかる。だからこそ残った選手にはがんばってほしい。必要とされれば、ボクだって向こうのマットに参戦するし。そういうのはやぶさかじゃないから」。そう言ってドラゴンは箱舟マットへの全面バックアップを誓った。 日本プロレス界の盟主アントニオ猪木(IGF社長)が15日、滞在先のニューヨークから帰国、ノアの三沢さん急死の報にびっくりしながら重い口を開いた。 「三沢さんとはリング上で交わることはなかったが、2度ほど挨拶した程度だが、社長を兼任したエースの立場は苦労が多いもの。彼もよく頑張って日本プロレス界を引っ張ってきたね。心労がたまっていただろうし肉体的にも限界に来ていたのかも知れない。後は冥福を祈るばかりです」三沢との接点は周囲の状況もあって、ほとんどなかったが、日本マット界を引っ張ってきた者同士だけに突然の訃報に表情は曇りっ放しだった。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
全日本 武藤が三沢へ悲壮な誓い
全日本プロレスの武藤敬司社長は15日、都内の同事務所で緊急会見。13日に急逝したプロレスリング・ノアの三沢光晴社長に追悼コメントを捧げた。ついに実現することなく幻に終わったシングル対決に悔しさをかみ締めながら、決意も新たにプロレス界の発展へ一致団結していくことを誓った。 天才はやり切れない気持ちでいっぱいになっていた。 この日、都内の事務所で報道陣の取材に応じた武藤。13日の夜に会社や関係者から連絡を受け、訃報を知った。「全然(頭の中で)理解出来ないですね。オレ以上のキャリアはあるし、バックドロップも数多く受けて、何でそのバックドロップでダメだったのか」と信じられない様子。 さらに「夢の戦いどうするんだって。一騎打ちどうするんだって」と悔しさをにじませた。 三沢さんとの初遭遇はデビュー20年目を迎えた2004年。ノアの7月の東京ドーム大会のGHCタッグ王座戦で初対戦し、10月の全日プロ両国大会では、タッグを結成した。「いつかはシングルを」との願いは叶わなくなってしまった。 やり切れない思いは募るばかりで「本当は腹わって酒飲んで未来を語ったり、愚痴言ったりしたかったですね」と本音をこぼす場面も見られた。 三沢さんと武藤といえば、全日本の四天王、新日本の闘魂三銃士としてトップを張り続け、比較もされてきた。その後、三沢さんはノアを旗揚げ。武藤は全日プロに移籍し、共に団体の顔として君臨している。 それだけに「これからプロレス界をどう引っ張っていくかの道しるべが無い中で、オレも模索しながら、三沢社長も模索しながら。そういう部分では、本当にライバルを超えた同士的な(存在)」と意識している部分もあった。 ただ、このまま悲しんでばかりもいられない。「かといってオレも立ち止まるわけにはいかない」と、前を向き「ケガのことだけじゃなく、興行の部分であったりみんなでまとまる形ができれば。そういう形で頑張ったほうが気持ちも楽になると思う」と協調路線を主張。追悼興行が開催された場合には「主旨がどういうものかわかったら」と語った。プロレス界を発展させるため。武藤は歩みを止めることをやめない。 三沢さんの死は以外なところにも影響が出ている。 ノアは大手コンビニエンスストア「ローソン」とのコラボレーション企画でポイントカードを導入していた。これはポイントに応じ、好きな商品がもらえるというもので、3月1日〜5月31日までの期間「好きな選手のサイン入り写真パネル」をプレゼントしていた。 だが、三沢さんが事故で亡くなったことによりサインを入れることが不可能となってしまった。そのため「三沢選手のパネルを選ばれた方には、変更してもらうことになりました」(同社広報部)という。 「プロレスファンの皆様からは人気がすごく高かっただけに残念です」(同) サイン入り写真パネルを心待ちにしていたファンにとってはダブルショックとなってしまった。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
ノアの暴れん坊・杉浦『新日の秘宝』狙う!
三沢さん、見ていて下さい。必ず新日本の壁を打ち破ってみせます。ノアの暴れん坊・杉浦貴が13日、急逝した三沢光晴社長に新たな誓いを立てた。杉浦は6月20日、新日本プロレスの大阪大会(府立体育会館)に対抗戦のメンバーとして出場が決まっており、スペシャルシングルマッチで後藤洋央紀と対戦する。そして杉浦の狙いは、もう一つ先の新日本の至宝盗りにあるのだ。 今年の1・4東京ドームを機に本格開戦した新日本とNOAHの全面対抗戦だが、両団体の扉はこれまで長く凍りついた状態が続いていた。永田裕志と秋山準のパイプから交流が始まったのが2001年。その後、新日本とNOAHは何度となく対抗戦を行ってきたが、サイモン猪木氏が新日本の社長を務めた05年下半期ごろから関係が悪化。以降、団体間の扉は閉ざされた。 その扉が再び開かれたのが昨年9月。新日本のジュニアタッグチーム、裕次郎&内藤哲也のNO LIMITがNOAH9・6日本武道館大会を訪れ、当時のGHCジュニアタッグ王者・金丸義信&鈴木鼓太郎を挑発。この流れから9・27大阪大会で同選手権試合が行われ、約4年ぶりに両団体の主義主張がリングで交わった。 ジュニア戦線で勃発した対抗戦の炎はヘビーにも飛び火。現IWGPヘビー級王者・中西学が専修大の後輩であり、因縁浅からぬ秋山準との対戦を口にしたことで、両団体の交渉は進み、09年1・4ドーム大会で中西VS秋山という現時点では両団体のトップに立つ二人のシングル、そして中邑真輔&後藤洋央紀VS三沢光晴&杉浦貴のタッグ戦が実現した。 1・4ドームでの両団体の戦績は1勝1敗となったが、敗れた杉浦が対抗戦における勝負強さを遺憾なく発揮。その後も杉浦は新日本との闘いには積極的に出陣。勝利と内容を新日本ファンに見せつけ、その結果、6・20大阪ではIWGPヘビー挑戦経験もある後藤戦を実現させた。 「待ち遠しいね。結果は当たり前。勝つと同時に新日本のファンにスゲーって思わせる試合をする」 不敵に言い放つ杉浦は、勝利と内容を残すことで狙うものは何か? 新日本の至宝IWGPヘビーだ。かねて杉浦は「新日本の選手全員とシングルでやりたいね」と放言していたが、それはNOAH勢の誰もが成しえていない至宝強奪を見据えてのこと。 「IWGP? いいねぇ」と舌なめずりする杉浦。いわゆるリップサービスなどではない。本気で至宝取りを狙う構えなのだ。 対する、新日本サイドも現王者・中西が1・4ドーム大会で秋山に敗れているだけに、NOAH勢の挑戦となれば受けて立たざるをえないだろう。また挑戦者・棚橋も、05年7月のNOAH東京ドーム大会で当時のGHCヘビー級王者・力皇猛に完敗を喫したことをいまだに引きずっており、方舟戦士がIWGPヘビー挑戦に動き出すとなれば願ったり叶ったりといった状態。新日本側としてもNOAH勢との頂上決戦は臨むところなのだ。 今後の成り行きが注目される。
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スポーツ 2009年06月16日 15時00分
ドクター林の元気があれば何でもできる レスラーの事故死は防げる
なんと、あの三沢選手がバックドロップを受けてそのまま帰らぬ人になってしまったのだ。後に発表された死因は「頸髄(けいずい)離断」。頸髄から心臓などに神経が行っているため、それが切れてしまうと心停止するのは当然のことだ。以前より首が悪いということは聞いており、恐らく頚椎の椎間板ヘルニアと思われるが、そのため頸髄が弱っていたと推測される。そこに加えて社長としての付き合い、ストレスなどで睡眠時間も無いような生活をしていたようなので、過労から受身を取りそこなったのではないか。そして脆弱化していた頸髄が一発の技で切れてしまったのではないか。 プロレス技というのは危険極まりないものがあり、レスラーは死と隣り合わせで試合をしているといっても過言ではない。レスラーは体力を過信せず、技が危険になればなるほど日々のトレーニングを怠らず、試合前には節制して良いコンディションで試合に臨んでほしいと思う。そして、体調が悪いと思ったら休んでほしい。それが不慮の事故から身を守ると共にお客さんに一層の感動を与えるものだと確信する。<プロフィール>ドクター林 本名 林雅之 千葉市出身 秋田大学医学部卒業 東京都江戸川区で弘邦医院開業 プロレス、格闘技のリングドクターも務めている
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社会 2009年06月16日 15時00分
脱税“四十八手”大公開!/08年度国税庁査察まとめ
政治がこの体たらくでは誰だって税金なんて払いたくないだろう。実行すればアウトだが、それをやっちまう輩は後を絶たない。全国の国税局が強制調査(査察)し、2008年度中に検察庁への刑事告発や課税処分をした脱税事件は計208件に上り、脱税総額は351億円だったことが16日までに国税庁のまとめで判明。いわゆる“マルサ”が暴いた税金逃れの手口は多岐にわたった。本紙はその“脱税四十八手”を大公開する。 映画「マルサの女」でもお分かりのように、国税局査察部が脱税をかぎわける嗅覚は半端ではない。昨年度の査察でもまた、マルサの活躍によってそのしみったれた手口が明るみに出た。 ケース1は「金のうまい棒」型。紙幣ではどうしてもかさばる大金をグラム単価の高い金の延べ棒に換え、コンパクトにして隠す方式だ。自宅ロッカーや親族宅などに金の延べ棒約615キロ(約18億円相当)を隠したケースが摘発された。 ケース2は「作物」型。査察の際、まるで農作物かなにかのように現金7000万円をブリキ缶に入れて畑に埋めていた案件があった。タイムカプセル型といってもいい。 ケース3は、オーソドックスな「床下」型。今回の摘発では、自宅エレベーターの床下に現金1億5000万円を隠した事例が見つかった。 関係者は「脱税の手口は性交の妙技“四十八手”を軽く超える。しかし、着眼点はそう変わらないので絶対に隠しきれないものなんです」という。 それでも懲りずに毎年脱税が摘発され、追徴課税を課せられる輩が続出しているわけだ。 さて、昨年度の脱税総額は不景気を反映してか前年度に比べ3億円減。“ミニバブル”と呼ばれた都心部の地価高騰や、鉱物・金属市場の世界的な価格上昇の影響で、不動産業者や鉄くず業者らによる法人税の脱税が大幅に増えたという。 告発総数は153件で、1件当たりの平均脱税額は1億6300万円。 税目別のトップは、97件で前年度の56%増だった法人税。脱税額は186億円で、2倍以上になった。一方、個人の所得税は40件(前年度比30%減)。脱税額は40億円で半分以下に減った。 不動産業では、都内の一等地を地上げした東京都港区の会社を、法人税17億円の脱税容疑で告発した大型事案があった。
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