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その他 2009年06月18日 15時00分
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社会 2009年06月17日 15時00分
鳩山邦夫“巨乳新党”結成情報
総務大臣を辞任した鳩山邦夫氏(60)をめぐり、仰天新党結成情報をキャッチした。耳の早い永田町関係者も「初耳」という怪情報。新たに立ち上げることが検討されているのはなんと、“巨乳新党”という。いったいどういうことなのか? 巨乳新党浮上の背景には、政権支持率の急降下がある。事実上、邦夫氏を更迭した麻生太郎首相(68)の支持率は10%台に落ち込み、与党内ではまたぞろ“麻生降ろし”の風が吹き始めた。大手各紙の世論調査では、日本郵政の西川善文社長続投について「辞任すべき」「納得できない」などの批判が大半を占め、邦夫氏にしてみれば“それ見たことか!”といったところだろう。 首相株の急落とは反対に、国民の支持を得た邦夫氏は次期総理の座をうかがう勢い。新党結成情報も飛び交っている。これに重大な関心を寄せるのは芸能関係者だ。 「邦夫さんの事務所はもともと美人秘書がそろっているんでしょ? いまのうちに所属タレントを邦夫氏の事務所に“裏口入社”させたいと狙っているプロダクション関係者がいるんですよ。解散総選挙に突入すれば連日マスコミが選対事務所に押し寄せるようになるし、新党結成となればなおさら。実年齢が25歳を超えたタレントの場合、ヘタな芸能活動を続けるよりよっぽどメディアに露出できるし、大化けするかもしれない。その関係者は政界とのパイプもあるから、便乗したいという連中が多い」 同関係者によると、ライブドア元広報担当の乙部綾子氏(33)のようなパターン狙いという。元スッチーの乙部氏はホリエモン騒動で一躍有名となり、退社後はモデルの蛯原友里、押切もえらが所属する芸能事務所「パールダッシュ」に再就職。本人の希望で広報業務に徹したものの、芸能活動する道を選ぶこともできたといわれる。 「無名タレントで乙部さん以上のタマはいくらでもいる。邦夫さんは巨乳好きらしいから、顔はまあまあでも乳のデカい子が採用されるんじゃないか。新党結成ならばスタッフも新規採用しなくちゃいけないだろうから、さらに門戸が広がる。マスコミも飛び付く“巨乳新党”構想ですよ」(同関係者) つまり、所属タレントを新党の巨乳スタッフや鳩山事務所のタレント秘書として送りこもうという戦略。政界を甘く見過ぎているにせよ、タレント出身の政治家が少なくないのも現実だ。なかには政治家なのかアイドルか分からないような手合いもいる。話は一方的に熱を帯びるばかりだった。 さて、当の邦夫氏はといえば、蝶収集家で知られる通り、純粋に美しいものに魅かれてしまうタイプ。全国紙政治部記者によると、「かつて鳩山事務所には美人秘書が大勢いて、なかには相当グラマーな子もいた。秘書目当てに連日取材攻勢をかけた記者までいた(笑)」というから、あながちあり得ない話ではない。 さらに、邦夫氏の巨乳好きを裏付ける別の事実も判明。元アイドル女優のエミリ夫人は若い頃、高見エミリーとしてドラマやCMなどで活躍し、当時の出演作品にはそのグラマーな姿が映し出されていた。邦夫氏が女性スキャンダルと無縁なのは「エミリ夫人に首ったけだから」(永田町関係者)といわれる。筋金入りの“おっぱい星人”だったわけだ。 そうなると問題は、更迭劇で世論を味方につけた邦夫氏が、あえて自民党を割ってまで新党結成に走るかどうか。なにしろポスト麻生が見えてきたところ。前出の記者は「新党結成の目はある」として次のように語る。 「いま自民党総裁に担がれたところで、衆院選敗北は避けられないから与野党逆転で野党党首に終わる。そもそも邦夫氏は『自然との共生』を旗印に、環境新党を結成する野望を抱き続けてきた。新党を結成して政界再編のキーマンとなったほうが得策。兄・由紀夫氏との関係を修復したうえで民主党連立政権に加わる可能性は十分ある」 蝶コレクターの邦夫氏が、果たして新党の華を求めて巨乳スタッフ集めに夢中になるか。大注目だ。◎公式HPで秘書、スタッフ募集 邦夫氏は昨年6月、公式ホームページで東京と選挙区の福岡それぞれで秘書を募集。男女の別は不明だが、要普通自動車運転免許とするなど“容姿チェック”の気配は全く感じられない。 同時に、都内と都内近郊を勤務地とする「自然との共生」スタッフなるものを募っている。職務内容は、自然との共生および環境政策に関する資料整理と農地整備管理。「農学部系の学生さん、農業に興味をお持ちの方大歓迎」と呼びかけている。
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社会 2009年06月17日 15時00分
これが最新機器の実力だ! 秋葉原アングラ盗撮機器事情
「芸能人盗撮DVD」なるものが流出するたびに巻き起こる真贋(がん)論争。そもそも、こうした映像はどのような手段で撮影されるのだろうか? テレビのドキュメンタリー番組や夕方のニュース番組では明らかに潜入取材班が隠し撮りしたと思われる映像も少なくない。実は、これらの映像は機材さえそろえれば素人でも撮影できないことはない。公然と売られるデジタル盗撮機器の最前線を追った。 「迷惑防止条例違反で大学生を現行犯逮捕。デパート内で携帯電話のカメラを使い女子高生のスカート内を盗撮した疑い」 残念ながら新聞でこうした盗撮事件のニュースが報じられない月はない。当人は軽い気持ちでやってしまったにせよ、逮捕で受ける社会的制裁、そして被害女性の被る羞恥心は決して小さくない。 だが、そもそも撮影音の出る携帯電話で盗撮など本当にできるのだろうか。語るのは裏事情に詳しい専門誌編集者。 「今ではセキュリティーが強化されてしまいましたが、ウィルコムの旧機種には撮影音を止めるプログラムがあり、インターネット上で密かに流通したことがあるんです。また、秋葉原のレンタルケース(利用者が透明ボックス内に販売したい商品を入れ、店側が販売と代金収受を代行してくれる)業者では、撮影音を切った携帯電話が1万5000円で売られていたこともありました。実は、中古の携帯電話を買ってきて内部のある線を切断すればわずか1500円で同じことができるんですけどね」 ただ、いかに撮影音を消せたとしても、カメラ付き携帯を持ってウロウロしているのは不自然極まりない。実は、プロが使う機材はまた別にあった。 日本一の電気街、東京・秋葉原に行けば、店頭のショーウィンドウに盗聴器や超小型カメラを陳列した専門店がいくつも軒を連ねている。 「使う場所が屋外か屋内か、画像だけではなく音声も拾う必要があるのか、撮影時間はどの程度必要なのかによってお勧めする商品を変えている」 専門店の店主は平然とこう言い放つ。表向きには商店の盗難防止や従業員の不正監視など防犯目的をうたってはいるが、購入者は決して善良な市民ばかりではない。 「数年前に大手銀行のATMやゴルフ場の貴重品ロッカーに隠しカメラが仕掛けられ、暗証番号をプッシュする場面を盗撮された事件がありましたが、その時使われたのはRFという会社のカード式無線カメラですよ」と話すのは雑貨店「秋葉原MAD」の服部氏。同カメラは赤外線により暗視機能もあるため、テレビ局の撮影隊が買いに来たこともあったという。録画装置までフルセットでそろえると10万円程度だ。 では、そんな盗撮機器の中で現在最も優れた機器はどのようなものなのか? 秋葉原にある複数の専門店を取材すると「サイズや操作性、画質を総合的に考慮すると、『CAM-007』通称『カムコーダ』が一番でしょう」との答えが異口同音に返ってきた。 この商品は100円ライターよりも小さいため手のひらにすっぽり収まり、袖口に簡単に隠すことができる。毎秒30フレームなので画質は相当滑らか。もちろん音声も同時に録れる。さらに、この種の機器の中で唯一、静止画撮影も可能。暗視機能はないが、蛍光灯程度の照度があればよく、概ね100万画素相当の画質である。気になる値段は2万円弱。4GB(ギガバイト)の容量と画質を考えればまずまずである。 「レンズ穴を開けたタバコの箱に極小の『カムコーダ』を仕込めば、相手に気付かれずに盗撮することも可能でしょう。実際、テレビのドキュメンタリー番組での潜入映像には、そうして撮られたものが多いですよ」(裏モノライター) 潜入取材から犯罪にまで使えてしまう特殊機器が素人にも簡単に買える驚くべき実態。あなたも気付かないところで密かに誰かに撮られているかもしれない…。◎鳴り物入りで発売されるも性能はイマイチ? 『ペン型ビデオカメラ』を実地検証してみた! 今から2年ほど前に発売され、裏グッズ業界で話題をさらった『ペン型ビデオカメラ』。外形は太身のボールペンで、字も書ける。胸ポケットに差しておけば相手に気付かれることなく真正面から撮影できるというもの。 ボールペンの軸を回すとUSB端子が現れるので、映像はそれをパソコンに接続して見る。充電もこのUSB端子経由だ。フル充電で1時間あまり連続録画が可能。通信販売だと値段は1万4000〜1万9000円前後が相場だ。 果たして本当に広告通りなのか? 実際に購入して検証してみた。 秋葉原の電気街に行けば、5000〜7000円で同じものが買える。早速ノートパソコンに接続して実験開始。確かにカラーで何とか見られる程度の画質だが、いかんせんフレーム数が公称15フレーム/秒と少なく、まるでパラパラ漫画のようなぎこちなさだ。少なくともテレビの潜入映像で見るような動きの滑らかさはない。そのせいか、胸ポケットに差しての撮影ならともかく、手に持って撮影すると手ブレがひどかった。 さて、店頭でチェックしてもらって購入後、自宅で改めてパソコンに接続…あれ? 認識されない? 何度試してもパソコンは反応せず、販売店で交換してもらったが、何と交換品も翌日には認識どころか充電不能に陥ってしまった。極限までの小型化で過充電防止装置がないため、充電時間が長すぎてすぐ壊れたと嘆くユーザーも少なくない。 「この製品は中国製で、故障の苦情が多い割には全くバージョンアップしていないんですよ」とは販売店の本音。この種の機器は国産ではないため、当たり外れが大きいのが実情のようだ。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
三沢さんを偲ぶ 全日・渕取締役が三沢さんとの知られざるエピソードを語った
全日本プロレスの渕正信取締役が16日、故・三沢光晴さんとの思い出の地・東京体育館を訪れ、亡き後輩レスラーを偲んだ。王道マットで共に歩んだ1980年から栄光の90年代。かつて三沢さんと交わしたある男の約束から、ふたりで編み出したフェースロックの開発秘話など、袂を分った三沢さんとの知られざるエピソードを語った。 −−三沢さんが13日に亡くなりました。 渕 いまだに信じられない。まさか俺が三沢についてこうやって喋ることになるなんて思わなかったから。もう会えないっていうのは、本当にはかないよ。 −−最後にお会いしたのはいつですか。 渕 2005年に橋本選手の葬儀を青山でやったときに会ったのが最後。2004年に俺の父親が亡くなったんだけど、そのときに三沢が花を贈ってくれたから、それのお礼を「ありがとな」って言って、言葉を交わしたのを覚えてる。そういうところを律儀にちゃんとやってくれる真面目なヤツだったよ。ああいう真面目な性格、男気があるところは昔からだったけどね。 −−全日本時代の三沢さんはどんな方でしたか。 渕 真面目な性格って部分でいえば、三沢がタイガーマスクを取ったころ(1990年)にこんな事があった。当時は飲みに行った後によくポーカーとか花札をしてたんだけど、あるとき三沢が「渕さん、俺もうギャンブルやめます。俺こういうので運を使いたくないんで。一緒に渕さんもやめましょう」って言ってきたから「俺たちは金がないから、こういうところで運を使わなきゃしょうがないじゃないか」って諭したんだよ。でも最後は意志の強い三沢に俺は根負け。結局「じゃあ二人でやめよう」って約束して、それ以降ずっと三沢はポーカーしなかったから、俺とは違って真面目だったよな。 −−三沢さんとの男の約束は守っているのですか。 渕 いやいや。俺は半月もたなかったよ。まあ、アイツの前ではやめてるってことにしてたけどさ。三沢は一度決めたらブレないし、決心が固かったよね。まあ良い意味で意地っ張りだったし、ああいう性格だったからケガをしても、絶対に弱音を吐かなかった。(ジャンボ)鶴田さんがいなくなった後に(ジャイアント)馬場さんが三沢をエースとして信頼してたのも、そういう部分がアイツにあったからじゃないかな。三沢自身にも全日本のエースとしての自覚が生まれてたしね。 −−当時は超世代軍を率いていたエース三沢さんと、鶴田軍の一員として抗争していた。 渕 三沢と毎日のように闘ってたね。100試合以上はしたんじゃない。絶対的なベビーフェースの三沢と対戦すると、尋常じゃないくらいブーイング浴びせられて、エルボーも浴びせられて、とにかく痛かった。よくタイガースープレックスで3カウント取られたしね。あとフェースロックでギブアップしたこともあったけど、一番あれは悔しかったな。 −−フェースロックといえば、渕さんの得意技でもありますが。 渕 いや、あれは俺と三沢が二人で練習していた時に発明した技なんだよ。フェースロック掛け合ってどっちが先にギブアップするか試したりした。そのとき「じゃあ試合でどっちがフェースロックを使って先にギブアップ取れるか勝負しよう」って話してたら、アイツ忘れたころに後楽園の試合でいきなり掛けてきて、俺がギブアップしちゃった。 −−一杯食わされたワケですか。 渕 そう。しかも(試合が)終わった後に三沢から「フェースロックは地味な技だから、やっぱり渕さんにピッタリですよ」とか言われて、悔しかった(笑)。確かに、俺がやると地味な技でファンの方からの反応はないんだけど、同じ技を三沢がやると沸いたもんな。三沢人気はズバ抜けてた。ハンセンや鶴田さんにも真っ向勝負だったから人気だったし、俺もアツくなるわけだよ。 −−今後は追悼への動きも出てくると思うが。 渕 いまは現実を受け止めるのでいっぱい。三沢との思い出があまりに多過ぎるから。ただ、ああいうスーパースターがいなくなると、今後のプロレス界が心配だよ。◎あの日も雨だった 土砂降りの雨が降る夕刻に東京体育館で待ち合わせした。「この場所に来るのは、あのとき以来。ここで三沢がタイガーマスクを脱いだあの大会(1990年5月)から、ずっと来てなかった」。そう言って渕さんが感慨にふけっていた。 人間は故人を偲ぶとき過去をフラッシュバックするもの。「そういえばここで三沢がマスクを取ったあの日も雨だったな」。当時の事を回顧しながら、あれから19年という歳月を振り返り、気持ちの整理をしているようだった。 全日本プロレスで苦楽を共にした渕さんは「睡眠薬を飲まないと眠れない」ほどだったという。衝撃の出来事から3日。まだ長年三沢さんと連れ添った当事者の心に降る雨はやんでいない。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
三沢さんを偲ぶ 大学の恩師が切実な思いを告白
13日に急死したプロレスリング・ノアの三沢光晴さんと最後の対面を。足利工業大学付属高校で当時監督だった大島大和さんは教え子の突然の訃報に、ショックを受けており「荼毘にふされる前にひと目会いたい」と切実な思いを告白した。さらに、レスラーとしての功績を称え、追悼企画が検討されている。 大島さんは中学卒業後、全日本プロレス入門を熱望する三沢さんを説得し、同校レスリング部にスカウトした。 当時の印象を「体操の選手で大変体が柔らかく、適応力があった。(高校に)入った直後からプロレス入りを希望していて、とにかく体を大きくしようとしていた」と語る。 早くからプロ入りに向けて準備を進めていた三沢さんだが、高校3年生の時には、団体戦に向けて減量を強いられることになってしまう。それでも「必死になって減量に取り組んでいた」(大島さん)という。 さらに、高校の先輩で現在同校レスリング部の監督を務める石川利明監督は「合宿などで同じ釜の飯を食った仲。本来は87キロ級の選手なんですけど、その時は団体戦のために75キロに減量しなくちゃいけなくなって」と証言。高校時代から相当な努力家だったようだ。 同校は昭和55年に地元で行われた栃の葉国体での優勝を目指し朝、昼、夕と1日6、7時間の猛練習。階級も本来の87キロ級に戻し見事優勝を果たした。大学からの誘いもあったが断り、そのままプロの道へ。 プロに入ってからも体調面を心配し「体が資本だから」とアドバイスを送っていた。かねてより体調を気にかけていた中でのあまりにも突然の出来事。石川監督は「マジメな性格で、常に全力投球。無理をしていたんじゃないですかね」と語った。 恩師の大島さんも「知人からいくつも電話がかかってきて。現実は受け止められない」とショックは計り知れない。 それだけに「荼毘にふされる前に一度会いたい。『よく頑張った。もうちょっと我々を頼ってくれてもよかったんじゃないか』とひと言声をかけてやりたい」と、悲痛な思いで“最後の対面”を訴えた。 もちろんそれだけではない。三沢さんの数々の偉業を称え「私は5年前に職を退いた身ですが、学校側と相談して何かやるのであれば」と語れば、石川監督も「学校側は私に一任されているのでOBや関係者の間でそういう話が出てくれば考えます」とコメント。慰霊碑の建立や追悼イベントの開催も視野に入ってくるという。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
新日・菅林社長が献花
新日本プロレス菅林直樹社長がディファ有明にあるノア事務所に献花に訪れた=写真。 遺影の前で合掌し、哀悼の意を捧げた菅林社長は「言葉が出なかったですね。時間が経つにつれてショックの度合いが大きくなっています。会社どうし、私どもは協力する準備はあります」と、コメントして事務所を後にした。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
リアルジャパン 今夜後楽園ホールで何かが起こる
初代タイガーマスク(佐山サトル)が率いる「リアルジャパン」がきょう17日、東京・後楽園ホール大会を開催。メーンイベントではレジェンドトリオVS黒のカリスマ軍団による超ビッグな6人タッグ戦が行われる。 「プロレスオールスター戦」を目標に掲げるリアルジャパンでは、これまでもファンが熱望する顔合わせが次々と実現。昨年12月には初代タイガーと元2代目タイガーマスクこと故・三沢光晴さんによる時空を超えた虎対決が行われている。 新世代の旗手からレジェンドまで豪華な顔ぶれがそろった今回のメーンでも、初対決や初タッグ結成が続出。中でも注目は80年代前半に新日本プロレスマットで虎旋風を巻き起こした初代タイガーと、90年代後半にnWo JAPANを立ち上げ、社会現象となった蝶野正洋の初顔合わせだ。 共に若手時代にヨーロッパ遠征を経験しているという共通点はあるものの、ファイトスタイルはいわば真逆。“新・虎ハンター”と化した蝶野のヒールファイトやケンカキックが炸裂すれば、初代タイガーも黙って引き下がるわけにはいかない。 また、そのド真ん中にいるのが長州力だ。初代タイガーとの連係はすでに経験済みで不安はないだろう。 さらに、蝶野のパートナーのザ・グレート・サスケや関本大介も、自らが「鉄砲玉」となってレジェンド狩りに特攻することを予告しており、単なるお祭りでは終わらない、とんでもない事が起こる気配が充満した危険な一戦となりそうだ。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
“流星仮面”16年ぶり来日
1970年代後半から80年代にかけて新日本プロレスの常連外国人レスラーとして活躍した“流星仮面”マスクド・スーパースターが16年ぶりに来日。7.4新木場1stRINGで開催される「流星仮面FIESTA=写真」にて、久々にその雄姿を日本のファンに見せる。 81年にアントニオ猪木と賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチを行うなど、数々の名勝負を残した流星仮面。現在は全米各地で青少年を非行から更正させるためのチャリティーイベントを開催しており、今大会でもサイン会やマスク販売の売り上げが更生施設に寄付される。 出場選手はスーパー・ストロング・マシン、タイガーマスクの他、風香や栗原あゆみがマスクウーマンに変身する。問い合わせはDEPO MARTまで。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
野球 クルーン離脱で巨人大失速!?
セ・リーグ首位を独走する原・巨人に“爆弾”。その火薬庫は、あのクルーンだ。“守護神”クルーンは現在、左手中指脱臼の修復手術で登録抹消中。リリーフ投手陣の負担はますます増えることになり、登板過多による疲弊がさらに進む。セ・リーグ首位を独走中の巨人だが、ペナントレース正念場の夏場を前に大失速となりかねない現状だ。 こんな数字がある。今季の巨人は、14日のソフトバンク戦を含めて延べ227人の投手を登板させている。そのうち先発投手の完投はたったの3人しかいない。 投手起用数でいうとセ・リーグ最多で、12球団でもオリックスの228人についで多いが、戦績では巨人がここまでダントツの首位。チーム防御率も2.98である。これはひとえにリリーフ陣の頑張りが大きいことを意味している。 とくに両リーグ最多の32試合登板の山口、リーグ2位の29試合登板の越智ら登板過多の投手らの継投策で勝ってきたところが多い。原監督も十分認識しており「彼らがいるとどうしても使いたくなる。長いシーズンを考えると休ませないと…」とシーズン中盤では異例ともいえる「越智、山口の積極的休養」を口にした。 ところが、その矢先のクルーンのリタイア。当然、戦略の練り直しが求められることになり、守護神の代役には越智が指名された。4月末から約10日間、右手中指けんしょう炎で登録抹消されたクルーンに代わって抑えに回り、5セーブを上げた経験がある。 問題は越智の疲労によるコンディションだ。「これまでも登板過多を言われてきたのにストッパー役。先発の完投が少ないし、厚い戦力の巨人は勝ちパターンに持ち込むことが多い。越智の出番が多くなるのは必然だ。精神面でも中継ぎとは大違いだし、春先に経験していると言ったって状況は全然違う。大変だよ」(巨人OB評論家) クルーンが復帰、再登録できるのは早くても7月の下旬。それまでフル回転しなければならないリリーフ陣は夏場を前にきつい日が続く。38歳の豊田を筆頭にM中村、西村健、4年目深田…と顔ぶれは豊富だが、M中村に日本ハム時代の球威が戻らない上、西村も首脳陣の信頼にもう一つ応えきれない。 先発陣も、ゴンザレスが颯爽と登場。調子の波に乗れないグライシンガーに代わって大活躍だが、そろそろ相手チームに研究され始め、これまでのように勝てるかどうか。 内海、高橋尚もイマイチ信頼に欠ける内容で、決して巨人の先発は安定しているとはいいがたい。交流戦を戦ったパの現場首脳は「巨人にはツキ、ラッキーさがある。相手が黙っていてもコケル試合が結構あるんだよ」という。 巨人が最大のライバルとしている落合中日とは、開きがまだかなりある。だが、敵将・落合監督は強気を捨てていない。「巨人は必ず失速する。そこが狙い目だ。WBC組は夏場過ぎに疲労が出る。投手も酷使しているし、余裕のない試合をしている。5ゲーム差なら射程圏内、10ゲームぐらいなら追いかけていけば向こうから落ちてくる」。 交流戦は間もなく終わる。その後に待ち受ける長いペナントレースの中を、巨大戦力の原巨人のカジとりは不安だらけである。
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スポーツ 2009年06月17日 15時00分
球界因縁のライバル(17) 大沢VS広岡
「喝」「アッパレ」。毎週日曜朝のテレビ番組で張本勲氏と共にスポーツ界を一刀両断する、親分こと大沢啓二氏。球界のご意見番としてお茶の間にすっかり定着しているが、同じ1932年生まれの広岡達朗氏とは因縁のライバル関係にある。同時期に大沢氏は元祖・球界大親分の鶴岡一人監督が率いる黄金期の南海ホークス、広岡氏の方は水原茂、川上哲治両監督と、これまた大監督の下の名門巨人軍でプレーしている。 が、2人がファンを沸かせたのは、大沢氏が日本ハム監督、広岡氏が西武の監督に就任してからだ。大沢監督の「草ばっかり食ってヤギさんじゃあるめえし」という、ヤギさん発言が因縁対決に発展していったのだ。82年に西武監督に就任した広岡氏は4年間でリーグ優勝3回、日本一2回という実績を残している。その前にはヤクルトでも78年に日本一監督になっている。広岡野球は私生活まで徹底してチェックする超管理野球で、「アルコール厳禁。飲むなら豆乳。肉を食べるよりも野菜を採れ」と食事面までコントロールしていた。現在は試合前にはサンドイッチやウドンなどの消化の良い軽食は常識になっているが、当時は験を担いで「カツ丼」などヘビーな食事は当たり前だった。広岡管理野球はそうした前近代的な食事面まで踏み込み、選手の反発にも涼しい顔で健康管理まで厳しくコントロールした。 そんな広岡流に噛みついたのが大沢監督だった。日本ハムのハムという意味から背番号『86』を付けた、親会社思いの? 大沢監督とすれば、営業妨害の「肉よりも野菜」という広岡発言は無視できなかったのだ。 広岡西武誕生1年前の81年には日本ハムになってから初のリーグ優勝を果たし、敗れたものの話題となった巨人との史上初の後楽園球場シリーズを戦ったばかりだけに、大沢親分の鼻息も荒かった。結果的には、ヤギさんチームの方が強かったのだが、広岡監督にも大きな声で言えない楽屋裏話がある。 痛風で戦線離脱したことがあるのだ。「痛風という病気は、肉を食べ、酒を飲むからなるんじゃなかったっけ?」。西武ナインは「他人に厳しく、己に甘い」広岡管理野球を陰で揶揄したものだ。 痛風話はさておくとして、ヤギさん論争に勝利した広岡管理野球は森祇晶監督に引き継がれ、日本球界に一時代を画し、ユニホームを脱いだ後も、広岡氏は球界ご意見番としての地位を確立した。95年にはロッテのゼネラルマネージャーに就任している。この時にメジャー監督経験者のバレンタイン監督を招へいして、チームを2位に引き上げたが、メジャー流練習を巡り、広岡GMとバレンタイン監督は正面衝突。ケンカ両成敗で2人ともにロッテを去ることになった。 「ヒロさんはこと野球に関しては正しい指導をするが『オレが、オレが』が強すぎるから、最後は誰とでもケンカ別れになる」と巨人OBが苦笑するが、その通りの野球人生を送っている。 「ベンチがアホやから」発言で有名な、反骨が売り物の江本孟紀氏が「名球会に対抗して無名会、1年でもプロ野球界で飯を食べたOBなら入れるOBクラブを作ろう」と立ち上げた日本プロ野球OBクラブ(社団法人・全国野球振興会)の会長に就任したこともあるが、長続きしない。 奇しくも現在、このポストに就いているのが大沢氏だ。広岡氏に試合で負けても野球人生の勝負で勝っているというべきか。「球界ご意見番」「日本プロ野球OBクラブ会長」という立場を、広岡氏からバトンタッチされた格好になっているのだから。
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