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芸能 2009年10月21日 15時00分
常盤貴子と長塚圭司がゴールイン
女優の常盤貴子と人気演出家で俳優の長塚圭史さんが結婚したことを20日、ホームページで明らかにした。 2人は「実に晴れ晴れしく、頼もしい気持ちでいっぱいです。これからは2人、魂をしっかりと結び、ゆっくりじっくりと歩んでまいります」とコメントしている。 常盤はNHK大河ドラマ「天地人」でヒロインを務めるなど、ドラマや映画などで広く活躍。 長塚は演劇ユニット「阿佐ケ谷スパイダース」を主宰し、父は俳優の長塚京三。 2人は2003年公開の映画「ゲロッパ!」で共演した。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
女子プロレスラーの風香引退 タレント転向か!?
女子プロレス界に激震が走った。人気ナンバーワン女子プロレスラーの風香が来春の引退を表明した。風香といえば、その活躍はプロレスだけでなく、総合格闘技やシュートボクシングにまで広げ、女子マット界の闘う広告塔の役目を担ってきた。 デビューして6年8カ月…なぜ、この時期に引退なのか? まだまだ出来るという声もあるが、風香の引退にはいくつかの理由があげられる。 自主興行の『風香祭』を10回以上開催し、2度に及ぶメキシコ遠征を実現させている風香。シュートボクシングでは、さいたまスーパーアリーナでのビッグマッチに起用されるなど、潜在能力を超えたプロデュース力も発揮し続けてきただけに、「惜しまれるうちに引退したい」という願望が誰よりも強い。また、昨年の大晦日に、元気美佐恵が惜しまれて引退したことも引き金になっている。 また「試合の翌日は一日起き上がれないほど疲労困ぱいする…」(風香)と漏らすなど、小さな体で奮闘してきた代償は大きく、体調面が優れないことも引退へ拍車を掛ける要因となった。加えて、元々、タレント志向でプロレス入りしただけに、レスラー生活に固執していない側面もあるようだ。引退興行は来春に予定されているが、その去就は未定。両親が小学校の校長という教職に付き、長男が奈良市市会議員を務めていただけに風香も市政や教育に興味があるが…寿引退というおめでたいニュースでの幕引きではない。 なお、10月25日に新木場1stRINGで開催される『風香祭11』で風香自身からその報告と、引退興行の日時が発表される模様だ。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
UFC 秋山成勲はまるで中田英のよう…
UFCファイターの秋山成勲が20日、武者修行のため米国に出発した。秋山は日米の親交を深めようとスワロフスキーで両国の国旗をあしらった自前Tシャツを着用。“スワラー”と化していた姿は、元サッカー日本代表のアノ選手をほうふつとさせた。 秋山は、デビュー2戦目となるUFC110(米国ラスベガス)かUFC111(豪シドニー)で元PRIDEミドル級王者のシウバと対戦することが決定している。 この日は、日本人キラーのシウバ対策を練るべく元UFCヘビー級王者ランディー・クートゥアが主宰するジムのある米国ラスベガスに出発。単身渡米するため通訳もおらず、言葉の違いからくるコミュニケーションの不安は否めない。それでも秋山は「辞書と単語帳を買って、自分で何とか(道を)切り開いていきたいと思います」と一蹴した。 「人生の中でも初めて」という1カ月以上に及ぶ海外合宿。クートゥアのジム以外にも同ライトヘビー級王者リョート・マチダのジムや同ウェルター級王者ジョルジュ・サン・ピエールのもとへ出げいこも視野に入れており、米国大陸を股にかけた壮大なものになる。「テーマは打撃の向上。アメリカでは主流になってるけど、日本にはない技術を盗みたいし」と課題を口にした。 さらに、今回は9月に購入したばかりの自前のデジタル一眼レフカメラを持参。「動画も撮れるので、練習内容とかを撮影して勉強したい」と研究熱心な一面もみせた。 また今回のために両胸に日米の国旗をデザインしたスワロフスキーTシャツを制作。日米友好をアピールした。さらにニット帽に加え、腕時計、ネックレス。これから長期の武者修行に出向くとは想像もしがたい、オシャレなファッションで身を包んでいた。 かつては、元サッカー日本代表の中田英寿氏が帰国する際、服装が注目を集め「成コレ(成田コレクション)」と呼ばれた。年内の帰国を予定している秋山が、どんな進化を遂げて帰ってくるのか。次回冬の成コレからも目が離せそうにない。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
ZERO1 王者・田中将斗「昔の俺じゃない」
8年前の俺ではない! ZERO1の10・24後楽園ホール大会で、川田利明を挑戦者に迎える世界ヘビー級王者の田中将斗=写真=が、デンジェラスK粉砕を誓った。 2人のシングル対決は過去に1度だけ実現している。さかのぼること8年前の2001年12月、全日本プロレスの昭島大会で激突。当時、FMWを離れてフリーとして全日本に参戦していた田中は、四天王の川田の胸を借りるチャンスを得たが完敗を喫している。 「一発すごくいい蹴りをアゴにもらって、気付いたら倒れていた。とにかく蹴りが重くて、さすが四天王と呼ばれる人だと思った」と前回の対決を振り返る田中だが、話が24日の世界ヘビー級選手権に及ぶと、「昔のことは参考にならない。ここ数年の経験では僕の方が上。格差はない」と言いきる。 その自信は実績に裏打ちされたものだ。06年に『火祭り』初制覇を成し遂げた田中は、その後、前人未到の三連覇を達成。08年に開戦した新日本との戦いでは、現在開催中の『G1タッグ・リーグ戦』に石井智宏とのコンビで出場し、2連勝とスタートダッシュに成功している。 そして今回、挑戦者に川田を指名したのは、他ならぬチャンピオンであった。07年10月から1年間同王座に君臨していた田中は「前回の王者の時に、ZERO1の選手はひと通り倒している。よりベルトの価値を高めるなら、川田はもってこいの相手」とした。 もちろん、ただ勝つだけでは終わらせない。「王者として堂々と川田を迎え撃つ。勝つことは最低条件で、田中のほうが上回っていると印象づける戦いをする」田中は川田に今の自分を存分に知らしめるつもりだ。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
ハッスル“仕切り直し戦”
ハッスルは20日、後楽園大会の対戦カードを発表、メーンイベントでキングRIKI軍の天龍源一郎&坂田亘VSハッスル連合軍のマグナムTOKYO川田利明戦が決まった。10・10両国大会ではキングRIKI軍団との5対5勝ち抜き戦で敗れたハッスル連合軍。後楽園大会は巻き返しを図る上で重要な一戦となるが、川田は両国でマグナムが長州力に2分4秒で敗れたことを持ち出し「ダンスの時間のほうが試合より長かったよな」と苦言を呈す。 さらに、マグナムが打倒・キングRIKIを宣言すれば「(両国で)キングRIKIにきれいなパンチやキックをもらってたけど、本当に大丈夫か? 控室でゲロ吐いてたじゃん」と追いうちをかけた。 マグナムは、それでもとりあえず川田と握手を交わし「ハッスル軍を離れて寝返ってしまった天龍さん、坂田さんの気持ちをもう一度確かめる」と意気込む。 川田も「俺はキングRIKIに賛同する奴は許せないし、キング・オブ・ハッスラーとしてハッスル連合軍の強さを見せたい」と言葉に力を込めたが、2人のタッグに不安は拭えない。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
K-1MAX 武田26日に長渕と“タッグ”
K-1MAX年内最終興行(26日、横浜アリーナ)のワンマッチを最後にKのリングを去る武田幸三が、長渕剛との強力タッグで有終の美を飾る。22日には埼玉県下の治政館で公開練習。ラストサムライらしく「やるかやられるかの闘い」と決死の覚悟を示した。 初代王者アルバート・クラウスとのラストマッチ。この日は必殺のローキックを蹴り込み「俺には右のパンチとローしかない。それをどう当てるかだけ。」と、静かな闘志をたぎらせる。 最終決戦に向けて準備も万全。持ち前の”超合筋”にも磨きがかかっており「試合までには体脂肪率もひとケタ前半にもっていける」と準備にぬかりなし。さらに長渕ソング「STAY DREAM」を使用して入場することも決まった。 「今回のために長渕さんが歌を入れ直して下さった。車で聞いていて、号泣しながら絶叫してる。すごい力になります」。長渕の後押しを力に、ラストサムライはやるかやられるかの大一番に臨む。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
サッカーW杯まであと8か月 元川悦子の緊急マル秘ルポ W杯に縁遠い男俊輔が甦るとき岡田ジャパンが躍る
岡田ジャパンの大黒柱・中村俊輔(エスパニョール)をめぐる雲行きがにわかに怪しくなっている。今月の香港戦(清水)とトーゴ戦(宮城)では見せ場が少なく、岡崎慎司(清水)や森本貴幸(カターニャ)ら若手に比べると存在感が薄かった。南アW杯1年前のスペイン挑戦も、現時点では、必ずしもプラスに作用したとは言い切れないようだ。「俊輔はもともとW杯に縁遠い選手。このままでは本番が心配」という声も関係各所から聞こえてくるのだが…。 南アW杯に挑む日本代表で、岡田監督から絶対的な信頼を得る背番号10の俊輔。14日のトーゴ戦の際には「スルーパスばっかり狙って得点やアシストした方が目立つかもしれないけど、それじゃチームの先がない。自分が動いてハードワークして周りをサポートしないとダメだから」とリーダーの自覚をしっかりと示した。 最近はこのような一歩引いた発言が目立つ。それも「代表への強いこだわり」があるからだ。 少年のころからW杯にあこがれ続けてきた彼だが、その大舞台で活躍する夢はいまだにかなっていない。最初のチャンスは1998年フランス大会。41歳の岡田監督は非凡なパスセンスを持つ18歳の俊輔を代表候補に抜てきした。しかし同年のJリーグで衝撃的デビューを飾った1つ年下の小野伸二(ボーフム)との競争に破れ、メンバー入りを逃す。「俊輔と伸二を比較した場合、短期決戦では伸二の方が使える可能性が高い」という岡田発言は、若き俊輔の心に突き刺さったことだろう。 ゆえに、次の02年日韓大会は絶対に出るという強い意気込みを持っていた。ところが次の指揮官フィリップ・トルシエは大のスター嫌い。メディアに祭り上げられる俊輔にいつも辛く当たった。 しかも中田英寿、小野伸二が同じチームにいて、彼は左サイドで使われた。当時の彼は「自分こそ司令塔だ」という意識が非常に強く、左に回される不満を公言していた。こうした事情から最終的には落選を突きつけられた。トルシエは「中村はケガをしていたから」と理由を語ったが、根深い確執が影響したのは間違いない。 屈辱を胸に02年夏、イタリア・レッジーナへ移籍。05年にはセルティックへ飛躍した。4年間の海外経験を02年秋に代表監督に就任したジーコも認め、中田英と並んで特別視した。 そして06年ドイツ大会出場がついに実現する。が、今度は精神的重圧からか、原因不明の発熱が続く。気温30度を超えたクロアチア戦の後、分厚い上着を着て、青白い顔で取材ゾーンに現れた姿が実に痛々しかった。 本人は「魔物にとりつかれた」と語っているという。結局、日本は惨敗。彼は10番としての責任を果たせなかった。 そんな苦い過去があるからこそ、南アW杯に懸ける気持ちは人一倍強い。「欧州では『代表はどうでもいい』という選手が多いけど、オレはそうじゃない。代表あっての自分だから」と口癖のように言っている。その姿勢を岡田監督も高く評価し、大黒柱に据えている。 だが、「4度目の正直」を前に不安材料が増大している。まず今夏移籍したエスパニョールで微妙な立場に置かれていることだ。出場時間もまだ短く、代表3連戦直後の18日のテネリフェ戦も出番なし。セルティック時代ならどんな過密日程でも全試合に出ていた。それだけ位置づけがハッキリしていない。 日本代表でも本来の鋭い動きが減っている。トーゴ戦でもミスパスが多かった。本田圭佑(VVVフェンロ)の急成長を脅威に感じているのかもしれない。8カ月後は本当に大丈夫なのか。まさか「外れるのは俊、中村俊」などと、98年のカズ(三浦知良=横浜FC)落選の再現だけはないだろうが…。俊輔の復調、4度目の挑戦となる大舞台での活躍を祈りたいものだ。 俊輔はカズとよく比較される。俊輔は8日の香港戦で代表90試合出場とカズを超えたが、「内容も存在感もカズさんが上。オレは足元にも呼ばない」と至って謙虚だった。カズが89試合目を記録した時は31歳。俊輔も全く同い年である。 そのカズも「W杯に縁のない男」だった。93年の「ドーハの悲劇」はあまりに有名だ。その後、ファルカン、加茂周監督時代の代表をけん引したが、97年フランスW杯最終予選で負った尾てい骨骨折の影響から急激に調子を落とす。城彰二(現解説者)の台頭にも押され、最後の最後でフランスW杯に行けなかった。 俊輔の場合も30歳を過ぎてからケガが絶えない。両足つけ根痛を頻発させ、9月の欧州遠征では左足首ねんざと体調万全な時が少ない。加えて本田という若きライバルが出てきた。この構図はカズと全く一緒だ。 この奇妙な因縁が今後の俊輔にどう影響するのか。大いに気になる。
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スポーツ 2009年10月21日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元メジャーリーガーマック鈴木
マック鈴木(鈴木誠)は、日本でのプロ野球を経験せずにメジャーリーグ入りを目指した初の選手。そして村上雅則(元南海)、野茂英雄(元近鉄)に次いで日本人で3人目のメジャーリーガーだ。 鈴木は、兵庫県の滝川二高在学中に校内でトラブルを起こし中退。その後、知人の紹介で現楽天の野村克也監督の継子・団野村から「米国への野球留学を勧められ、渡米した」という。 92年、渡米した鈴木は団野村が関与していたチーム「サリナス」に練習生として参加。93年にはマリナーズと契約し、傘下の1A、2Aを経験。力をつけていった。そして95年にマリナーズに昇格したが、登板はなく3Aに降格。96年7月7日に日本人3人目のメジャーリーガーとなると、98年にマリナーズに再昇格して初勝利を挙げ、1勝2敗でシーズンを終えた。99年6月にメッツにトレード後、すぐにロイヤルズに移籍した。00年には先発投手として8勝をマーク。翌年6月にはロッキーズに移籍したが、1カ月もしないうちにブリュワーズに移り、02年にはロイヤルズに復帰したが、1勝もできずに解雇された。 02年に帰国し、その年のドラフトでオリックスに入団。03年から05年まで在籍したが、全く首脳陣の期待に応えられず、05年のオフに戦力外通告を受けて退団、再び渡米した。06年4月にはメキシカンリーグでオールスターに選ばれたが、シーズンでは思ったほどの成績が残せず、再びシカゴ・カブスの3Aに。そして台湾球界へと渡った。 再び帰国して07年に楽天の入団テストを受けたが、野村監督にヒゲなどの身だしなみで注意を受けて不合格となった。08年にはベネズエラ、メキシコ、米国などのウインターリーグや独立リーグで活躍。09年もドミニカや米国の独立リーグでプレーしている。 「野球ができるところならどこでもいい」と、鈴木は世界各地の独立リーグなどで好きな野球を楽しんでいる。 日本人初のメジャーリーガーとなった村上雅則は、法政二高時代の60年夏と61年春の甲子園で優勝、夏春連覇を成し遂げた。その活躍が南海監督の鶴岡一人の目に止まった。62年、高校在学のまま南海と契約。プロ2年目の64年に大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツの1Aに野球留学として派遣されたが、南海からの帰還要請がなく、そのままチームに在籍した。 64年当時、南海はジョー・スタンカ、杉浦忠という2本柱の投手と野村克也、広瀬叔功の強打者がいて、日本一になるなど戦力は充実しており、補充の必要がなかったのだろう。 村上のメジャー昇格は突然だった。同年8月31日にニューヨーク行きを命じられ、翌9月1日のメッツ戦で日本人初のメジャー登板を果たした。そして、9月29日にコルト45S(現・アストロズ)戦の9回同点で登板、11回まで無失点に抑え、11回にチームがサヨナラ勝ちをしたため、初の日本人メジャー勝利投手となった。
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トレンド 2009年10月21日 15時00分
アキバ面アイドル評論家・堀越日出夫連載「私、テレビの味方です」吉高由里子はナチュラル爆弾娘
先週金曜日早朝、一日のうちでもっとも力を入れている作業である「ラ・テ欄チェック」を行なっていると、「さんまのまんまスペシャル2009」(フジテレビ系)のところで「吉高由里子さんまにケンカ売る」という文言を発見。これは見ないと、職場の話題に乗り遅れてしまう。 その前に、期待の若手女優・吉高由里子(21)がどんな人かを説明しておこう。2006年、映画「紀子の食卓」で高く評価され、昨年公開の映画「蛇にピアス」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。映画畑で育った人である。同作では、完全ヌードを公開し話題を呼んだ。一般的には、彼女は「映画で脱いで、いまの月9に出てる人ね」程度の認識だろう。 その認識は間違いではないが、全然足りていない。私が得た地獄耳芸能情報によれば、吉高由里子は非常に危なっかしい人で、何をやらかすか予測不能で、ナチュラルに爆弾発言をしてしまう人らしいのだ。 得心したのは数カ月前に彼女が「おもいッきりDON!」(日本テレビ)に出演した時のことだ。鳥居みゆき(28)がリポーターを務めるコーナーだったのだが、超ハイテンションにしてイレギュラーな鳥居のリポートに負けていないテンションを発揮したのである。通常の女優なら、鳥居の不規則発言に押されて「なんだったんだ、アレは…」的なポカン顔で終了するコーナーなのに、それについていくとは! 噂は本当だと確信した。 そこで今回の「さんまのまんま」である。緊張していたこともあったとはいえ、あの明石家さんま(54)に臆することなく、「もうちょっと(私に)謝ってほしいです」と言ってのけたり、さんまが話をしている途中で、「もうよろしいですか?」と話を止めたり、「幸せになれない」と言われると、「嫌な人〜!」と率直に感想を漏らしたり。そこらの女優なら、完全にさんまにペースを持って行かれるのに、陣地取りにおいてナチュラルに負けていないのだ。これはなかなか真似のできないことだ。 ラ・テ欄にあった「ケンカ売る」シーンはあまりにしょっぱくて、ここに書き起こすまでもなかったのだが、そんなことよりも吉高由里子が今後ドラマとトークの荒くれ二丁拳銃を武器にしていくと、これはちょっと面白い存在になるのではないか、という予感だけはビンビンしたのである。
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トレンド 2009年10月21日 15時00分
「高橋四丁目の居酒屋万歩計」 力士もごひいき 阿佐谷にある安・近・ウマい焼きとり屋
JR中央線・地下鉄東西線、阿佐ヶ谷駅北口から徒歩170歩 「鳥久」の戸をからからと開けると、中にお相撲さんがふたりいて、こちらを振り返ったので目と目が合った。なるほど、ここは焼き鳥屋。牛や豚の四肢動物は、手をついて負ける姿の連想から、縁起をかつぐ相撲界からは嫌われて、食事であるちゃんこも魚肉や鳥肉が多いと聞く。ここにいてもなんら不思議ではない。しかるべき出世をとげれば、贔屓(ひいき)からのお呼ばれもあって舌も肥える。なるほど、おぬしたちは阿佐ヶ谷の「鳥久」へ、旨(うま)いと知って入っておるな。よそごとながら、この両名がいったん食べ始めたら、はんぱな量ではすまないだろうと心配になるが、純正焼き鳥の基本部位がすべて120円なので、ひとり100本ずつ平らげても2万4000円也。5万円ほどの散財で谷町(贔屓筋)気分を味わえるのを、高いとみるか安いとみるか。お相撲さんが出入りする飲食店に、まず間違いはない。まして大銀杏(おおいちょう)を結える十両以上の力士がマズい物を食するわけがない。そうして、値がお安ければ、それはそれで、手銭のときにでも足が向こうというもの。かつてわたしは、まだ髷(まげ)もゆえないようなザンバラ髪が、浅草の高名な洋食屋「大宮」で、小匙にしか見えない普通サイズの匙(さじ)を太い指で器用にあやつり、高価なシチュウをすすっていたのを目撃したことがある。前相撲や序ノ口の舌もなかなかのものなのでしょう。 とまれ浴衣姿の関取がそこにいるだけで、店内は時代劇の様相を呈してくる。仲代達矢主演のNHKドラマ「清佐衛門残日録」(藤沢周平原作「三屋清佐衛門残日録」)は良かった。そうこうするうちにだんだん、かたせ梨乃演じる女将の居酒屋「湧井」で飲んでいる気分になってきた。そういえばここの戸の外観も、どことなく「湧井」のそれと似ていないこともない。大相撲は本場所六場所のうち1月、5月、9月は東京で開催される。3月が大阪府立体育館、7月が愛知県体育館、11月が福岡国際センター。6場所のうち3場所が開催される国技館が、東京東部の墨田区両国にあるので、しぜん多くの部屋は周辺の足立区・江戸川区・江東区などに看板をかかげることとなり、西部に部屋を構えているところは少ない。おふたりの四股名(しこな)を存じあげなくて申し訳ないが、おそらく阿佐ヶ谷南にある元魁傑の放駒部屋か、高井戸東の元大乃国(いまスイーツ評論家としても名高い)の芝田山部屋か、中野区本町にある貴乃花部屋の関取とみた。“よっ、関取。旨いところは、よく知ってるねえ。ちゃんと出世しなよ”と声をかけて、肩でもぽんと叩きたくなる、気持ちを抑える。それにしても日本中で、出世という言葉に手垢がついていないのは、あんたたちだけになっちゃったねえ。予算2500円。 東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-22
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レジャー
GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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芸能
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
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中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
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1980年09月26日 22時06分
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1970年09月27日 12時20分
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1970年09月26日 22時43分
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1970年09月26日 22時28分
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1970年09月26日 22時10分