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芸能ニュース 2015年04月08日 11時45分
インタビュー記事にかみついた藤原紀香
女優の藤原紀香が7日に更新したブログで、インタビュー記事での発言がネット上で炎上していることに対して発言自体を否定した。 事の発端は3月末に一部スポーツ紙に掲載されたインタビュー。紀香は40歳で仕事も彼氏も失い、バスガイドに転職した主人公を演じる、7月5日にNHKBSプレミアムでスタートするドラマ「ある日、アヒルバス」のPRをしたが、記事中で「本当にボロボロの女性です。底辺にいる藤原紀香が見られますよ」とコメント。そのコメントをめぐり、ネット上では「バスガイドに転職した女性が底辺ってこと?」、「40歳で失業した独身女性を『底辺』って見下してるの」などと批判コメントが飛び交っていたという。 紀香は7日のブログで「私も本当に驚きました。。。」と困惑気味。「バスガイドが底辺だとか、40歳独身女性が底辺だとか、そんな言葉は一言も発していませんし、底辺の自分を見なさい、なんてこと言うわけないので放っておきましたら。。。書かれた見出しが一人歩きしているみたいなので、とほほです」と発言を否定したうえで嘆いたのだが…。 「批判はあったかもしれないが、そこまで炎上していたわけではなかった。7日は一部スポーツ紙で同ドラマで紀香の恋人役を三代目J Soul Brothersの山下健二郎が演じることが発表されただけに、形を変えた紀香のPRという見方もできる」(芸能記者) 昨年9月に突如、多くの芸能人が利用しアクセス数を競う大手ブログサービスにブログを開設。紀香は並み居る芸能人を押しのけ上位に食い込んでいるが、“底辺発言”の否定記事がネットニュースで大々的に取り上げられた効果もあってか、40位から17位にジャンプアップ。インタビュー記事により不快になったかもしれないが、ブログの大幅なアクセス数アップに成功したのは狙い通り?
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アイドル 2015年04月08日 11時45分
シングル「君がいて僕がいた/愛がーる」を発売したRev.from DVLにインタビュー
「島ぜんぶでおーきな祭 第7回沖縄国際映画祭」(3月25〜29日)での「Kawaiian TV アイドルスペシャル in 島ぜんぶおーきな祭」にRev.from DVLが登場した。同グループは4枚目のシングル「君がいて僕がいた/愛がーる」を3月25日に発売している。そんなRev.from DVLのメンバーである橋本環奈、秋山美穂、橋本幸奈にインタビュー、話を聞いた。 −−まずは、新曲について教えて下さい。 秋山美穂(以下、秋山) 「君がいて僕がいた」は、人との出会いがあるからこそ次へ進める未来へ向けた曲になっています。すごくメッセージ性の強い曲だと思っていて、背中を押してくれる曲にもなっています。メロディーも春らしくて、今の季節にぴったりの曲になっています。 橋本環奈(以下、環奈) (橋本幸奈を指さして)なんか、小声で、“言われちゃった!”って言ってます(笑)。 橋本幸奈(以下、幸奈) 人間は、「ひとりでも平気だ」と思ってしまうこともありがちですが、でも周りをしっかりと見てみたら、たくさんの方が支えてくださっているはずなんです。一人暮らしをしたりする時とかに…。 −−一人暮らしをされたことがあるんですか? 幸奈 ありません(笑)。まだ高校生なので…。 環奈 ないのに、一人暮らしを語らんで〜(笑)。 幸奈 まあまあまあ、とりあえず、この曲は、一人で辛いなと思っている方の「背中を押してあげられる」ような曲です。「背中を押してあげられる」というのは先に言われちゃったんですけど(笑) 環奈 私達Revにとっては「君がいて僕がいた」は、「ファンのみなさんがいて、私たちがいた」という気持ちを込めて歌っています。「愛がーる」は、歌もダンスもコミカルで、掛け合いもあります。みなさんと一緒に盛り上がって楽しめる曲だと思います。 −−続いてMVについて教えて下さい。 幸奈 ドラマバージョンのMVではお弁当を食べるシーンがあります。そのお弁当は、スタッフさんの手作りで、みんな違うものだったんです。私のお弁当は小さなオニギリが4つ入っていて、それがメインみたいな感じで、具があまり入っていませんでした(笑)。 秋山 小さくて、ゆっきー(橋本幸奈)サイズでした(笑)。あと、福岡の大学で撮影をさせて頂いて、講堂でダンスバージョンを撮影したのですが、すごく広い場所で、前にファンの方が見ているような感覚で撮らせて頂きました。 幸奈 「カメラの前に100万人いると思え!」と言われて、意識しました。 環奈 私はドラマバージョンの屋上のシーンで、私がダンスの振りを間違って転んで落ち込んでいるところにメンバーみんながやってきて、一緒に練習するシーンが印象的でした。 幸奈 ファーストシングルでもセカンドシングルでも、環奈ちゃんは毎回、間違えるシーンがあるんです(笑)。 環奈 あと、遅刻キャラです(笑)。 −−本来の環奈さんは時間にはルーズなんですか? 幸奈 いやいや、きっちりしていますよ。 環奈 朝起きるのは苦手なんですけど、時間は守ります! −−最後に新曲のPRをお願いします。 秋山 4thシングルは私たちのメロディー的にもテンポ的にも今までにない曲調になっています。今回のシングルを聞いて、春にチャレンジしたいことを見つけて頂けたらなと思います。【アイカツ コラボver,】もあるのですが、アイカツが好きな子供たちにも聞いて欲しいです。 幸奈 カップリングの曲も注目です。表題曲だけでなく、カップリングもいい曲なので、ぜひ、全曲楽しんで頂けたらと思います。 環奈 「君がいて僕がいた」は前向きになれる曲、「愛がーる」は楽しくてワクワクできて、どちらも一緒に歌って踊れる曲になっています。私たちのコンセプトの一つとして、「七変化」というものがあります。今回のシングルで新たなRev.from DVLを知って頂けたらなと思います。
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アイドル 2015年04月08日 11時45分
JKT48総選挙中間発表で近野莉菜が初ランクイン
インドネシア・ジャカルタを拠点に活動するJKT48の第2回総選挙の中間発表が行われ、AKB48から移籍した近野莉菜が11位(1147票)、仲川遥香が12位(1044票)であった。 近野は自身のgoogle+で、「中間発表で11位にランクインすることが出来ました!! 皆さんたくさんの愛をありがとうございます。皆さんと一緒に最高の景色を見れるように、まだまだ頑張ります」と意気込みを語っている。近野莉菜はAKB48所属時にも総選挙に参加していたが、これまで中間発表、結果ともにランクインしたことはなく、今回がはじめてとなる。また、仲川も、「総選挙まだまだ長い戦いだと思ってるのでみなさん是非応援してくれたら嬉しいです」とコメントしている。 開票結果発表イベントは、2015年5月上旬の予定。
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芸能ニュース 2015年04月08日 11時45分
米倉涼子 後輩・小芝風花は「恐ろしい敵」
7日、都内で女優の米倉涼子と小芝風花がアカデミー賞4部門を受賞した映画「バードマン」ジャパンプレミアに出席した。 米倉は本場ブロードウェイの、セントジェームス劇場のエントランスを再現したセットのレッドカーペットから、ノースリーブのミニドレスで同じ事務所の後輩小芝と共に登場。“バードマン・アンバサダー”に就任した米倉は「任命いただき、ありがとうございます。ブロードウェイはこういう劇場がたくさんあってワクワクしますね」とニッコリ。終始笑顔の米倉だったが、報道陣から別居報道について矢継ぎ早の質問を受けると一瞬表情をひきつらせ、ノーコメントでレッドカーペットを後にした。 また続いて行われた舞台挨拶で、小芝は大先輩の米倉にマイクを持たせ映画のワンシーンを再現。小芝の演技に米倉は「こんなにたくさんの人の前でちゃんと出来たのはすごいね。まだ10代ですよ。恐ろしい敵が現れましたね」と苦笑い。小芝は「米倉さんにマイクを持っていただいて心臓が破裂しそうです」と恐縮。 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は4月10日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー。
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芸能ニュース 2015年04月08日 11時45分
miwaが『渋谷で一番マルい場所』にサプライズで登場! 都内初のストリートライブ!
2年ぶりとなる4thアルバム『ONENESS』を発売したmiwaが7日、ゆかりの地、渋谷で都内初のストリートライブを行った。 開始2時間前にTwitter(@miwastaff)でのみの告知にも関わらず、いち早くアルバムを手にしたファンが渋谷の街を埋め尽くし、このサプライズイベントを共に楽しんだ。 渋谷エッグマンでのデビューライブからスタートし、渋谷AX、渋谷公会堂、NHKホールでの紅白歌合戦と渋谷のライブ会場をひとつづつ制覇し、昨年は「渋谷物語〜完〜」と名付けた代々木第一体育館ワンマンを実施するほど思い入れの深い渋谷で、ニューアルバム「ONENESS」のテーマにある、「音楽でひとつに」「丸い環(WA)に」になりたい、というメッセージにちなみ、『17時に渋谷で一番マルい場所に集合!』と秘密めいたTwitterを投稿、分析したファンが渋谷マルイ前に集合した。最も早いファンはTwitter告知の5分後には場所を突き止め、本人の登場を心待ちにしていた。 登場したmiwaは、「みんなの歌声を、この渋谷で一番まるい場所に集めて、みんなでワンネスしましょう!」とMCで語り、ファンも大きな歓声でこれに応えた。アルバム発売前日、多くのファンが駆けつけ思わぬサプライズとなった。 また、ライブを行う前には、同じく「丸い場所」のコンセプトから、東京都内を一周する円形の路線である、山手線沿線、各CDショップ(東京、池袋、新宿、渋谷)をグルっと巡りサプライズ訪問していたmiwa。デビューの時から続けていたCDショップへのご挨拶を今回のアルバムならではのスペシャルな形でおこなった話を織り交ぜつつそのまま、アルバムの中からアンプラグドにて「君に出会えたから 」と「希望の環(WA)」の2曲を演奏。サプライズな演出に涙するファンの姿も見られた。
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社会 2015年04月08日 11時00分
戦後70年特別読物 天皇・皇后両陛下パラオ共和国ご訪問 生還日本兵の証言(山口永元少佐、永井敬司元軍曹)「ペリリュー島 地獄の持久戦」(3)
およそ70日間にわたる組織的戦闘は、これで終結した。ところが味方の玉砕を知らず、なおも徹底抗戦を続ける部隊があった。 山口氏や永井氏らの残存兵である。 「味方が玉砕した当時、われわれは80人ほど生き残っていました。そこには海軍の兵士も交じっていましたが、昼間は洞窟にこもり、夜は夜襲を掛けるという、まさにゲリラ戦の繰り返しでした」(永井氏) 武器弾薬の不足は「水戸っぽ(茨城弁で水戸の人)の負けじ魂で補った」という山口氏ら残存兵は、その後小隊単位で分散行動を取り、少尉だった山口氏が小隊の指揮を執った。しかし、夜襲や米軍の掃討作戦で戦死が相次ぎ、翌'45年春ごろには34名の山口隊だけが残った。そしてこのころから残存兵は、戦闘モードからいかに生き延びるかのサバイバルモードに転換する。 「戦闘も散発的となり、島の守備から物資調達が目的になった。食糧、燃料、衣料、紙と鉛筆、タバコ…。ほとんど米軍からかっぱらったものでわれわれは生き延びたんです」 永井氏は、米軍の豊富な食糧をうらめしく見ていた。わずかな乾パンと金平糖で飢えをしのぐ日本兵に対し、米軍は食糧を積んだ戦車が戦場を行き来しながら兵士に直接配り、しかもコーヒーやジュースと一緒に食べている場面をいく度も目にしていたからだ。 山口氏らはいよいよ敵方の駐屯地に目を付けた。そこにはさまざまな物資が山積みされているのだ。 「缶詰、タバコ、マッチ、パン…。段ボール箱ごと、ごっそり頂戴するのです」 衣服も靴もボロボロだった。何しろ3年以上も着たまま。いかに常夏の島とはいえ裸に裸足ではいられない。物干し場からも衣服を奪い、身にまとった。そのため、残存兵は頭からつま先までそっくり米軍仕立てに変わった。 髪も伸びればヒゲも伸びる。それは、割ったビンの薄い部分を刃にして切った。幸い兵士の中に本職の散髪屋がいた。さらに元旋盤工の海軍兵士もいたからスプリングで日本刀、あるいは米軍の小銃を改造するなどお手のものだった。 残存兵にすればゴミ捨て場も宝の山。そこには新聞や雑誌などもあった。道を歩けば投げ捨てたタバコがいたるところにある。時には口紅の付いたタバコを発見することがあった。間接キッスなどと言ってうまそうにふかすから洞窟内はたちまち大騒ぎ。何しろ彼らは20代。異性への関心が旺盛な年代だ。 「映画も見ていましたよ。週末になると彼らは野外映画を楽しむので、私らも物陰から見ていました。もちろん洋画ですけどね」 山口氏らは味方の玉砕も、まして日本の無条件降伏も知らずに、洞窟内で潜伏生活を続けた。しかし、ゴミ捨て場で拾った新聞から日本の敗戦を感じてはいた。英語に精通した大学出身の兵士もいたからだ。 敗戦を伝える米軍の説得工作も始まっていた。残存兵の行動が大胆になるにつれ、島民との遭遇が当然増す。そのため、島民から日本兵の潜伏が米軍に伝わり、説得が始まったのだ。 山口氏らは、それでも半信半疑だった。グアムの戦犯収容所で捕虜となっていた澄川道男元海軍少将(第4艦隊参謀長)が派遣され、説得に当たる。けれど、やはり応答はない。そこで窮余の策として、肉親の手紙、敗戦を認めた日本政府の公式文書などを彼らに見せる。 こうしてようやく1947年4月23日、山口、永井両氏他34名の日本軍残存兵は米軍に帰順した。 「われわれは決して捕虜じゃない。捕虜とは戦闘中に捕らわれたものをいう。私らは捕まったのではなく、説得に応じて帰順したからです」 永井氏は現在もこのように、2年半のペリリュー島潜伏から生還した元陸軍軍曹としての矜持を示すのであった。
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スポーツ 2015年04月07日 17時00分
中畑DeNAのベンチ裏 「ベテランに冷たすぎるのでは?」の声
混戦セ・リーグの仕掛け人は中畑DeNAと言っていいだろう。開幕カードの巨人戦は負け越したが、次節の緒方カープに対しては3連勝。「優勝候補の筆頭」と目されていた広島はこれで勢いを失い、「2ゲーム差以内に5チームがひしめく混戦状況となった。 「DeNA打線が好調です。筒香、梶谷、桑原、バルディリス、石川が好投手相手でもしっかりと自分の仕事をしている。近年の課題だった先発投手の人材難も解消されつつある」(プロ野球解説者) 開幕ローテーション入りしたDeNAベイスターズの投手は、久保康友(34)、山口俊(27)、三嶋一輝(24)、井納翔一(28)、モスコーソ(31)、高崎健太郎(29)の6人。中畑清監督(61)は昨季チーム最多勝の久保を早々に開幕投手に指名し、キャンプ、オープン戦の調整具合を見て、残りの5人を選択した。就任4年目にして、「戦う戦力が揃った」とも言えるが、現先発ローテーションメンバーを見て、気になる点もないわけではない。 ベイスターズの精神的支柱、三浦大輔(41)の名前がない…。 「三浦は『兼任コーチ』でもありますが、ローテーション入りはおろか、開幕は二軍スタートとなりました」(同) 三浦はキャンプ、オープン戦で怪我は負っていない。昨夏5勝するなど、復活も印象づけている。しかし、開幕ローテーションは久保、山口、井納が早々に当確となり、モスコーソ、高崎に続き、最後の6人目に指名されたのが三嶋だった。三嶋はオープン戦で出遅れ、3月16日の対楽天戦でなんとか滑り込んだ。 「三浦が指揮官の印象を悪くしたとすれば、15日の阪神戦で5回4失点と結果を出せなかったことでしょう」(他球団スコアラー) だが、ベテランは調子が悪ければ悪いなりに配球を組み立ててくる。まして、三嶋は昨季開幕投手に指名され、2回9失点と大炎上している。それに対し、三浦は今季公式戦で『1勝』した時点で、プロ野球史上3人目となる23シーズン連続勝利の快挙を達成する。そのため、最後の6人目に選ばれるのは「三嶋よりも三浦」と、他球団も見ていた。 「中畑監督は『ベテラン』を容赦なく切り捨てる一面もあります。12年オフに清水直行、13年オフにラミレス、森本稀哲、昨オフは中村ノリを…」(前出・プロ野球解説者) 三浦は将来の監督候補とも目されている。三浦を慕う中堅、若手は多く、このまま二軍で調整させるようなことになれば、チームの士気にも影響しかねない。中畑監督が“後継者・三浦”をいつ一軍登板させるのか、そのタイミングを見誤れば、求心力を失いかねないが…。
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ミステリー 2015年04月07日 15時30分
「不老不死」は夢じゃない? 256歳まで生きた人間が中国にいた?
2015年4月1日、長寿世界一の大川ミサヲさんが117歳の生涯を閉じた。日本人のなかでは1800年代最後の生き残りとされ、大阪が「大大阪時代」と呼ばれていた時代を知る数少ない人間であったといわれる。 史上最高齢記録者としてギネスに掲載されているのは120歳のジャンヌ・カルマン氏で人類初の「大還暦」を迎えた人物であるが(長寿世界一といえば泉重千代氏の120歳が有名であるが現在では出生年に疑問が残るためギネスから認定されていない)実は人類史上には120歳の倍以上、256歳まで生きていた人物が存在するという。 右の写真は中国の漢方医である李青曇(りせいどん)という男性を撮影した写真である。李青曇は1677年生まれとされ、1933年に256歳で亡くなったという。写真の撮影年数は不明だが、おそらくは晩年(?)の1900年あたりに撮影されたものと思われる。李青曇が生まれた1677年といえば日本でいえばもちろん江戸時代で徳川綱吉が将軍になろうかとする年、『忠臣蔵』や『水戸黄門』の時代である。 果たして人間にそこまでの生命力があるのかはなはだ疑問であるが、256歳はさすがに誇張だとしても当時にしてはかなり長寿だった(恐らく100歳以上の)人間であると推測されている。また、日本では250歳まで生きた「百姓の満平」などもいるが当時の書物にしか名前がないため、実際に生きていた写真の残る李青曇のほうがやや信ぴょう性はやや高い。 また、こちらは長生きの範疇とは外れるものの「不老不死」として活躍し続けた人間も少なからず確認されている。SF作品の登場人物としても知られるヨーロッパのサンジェルマン伯爵はおよそ2000年〜4000年もの長い間、世界中でその活躍が目撃されておりルイ15世やナポレオン3世など接触した著名人も多い。 李青曇やサンジェルマン伯爵は今で言えば都市伝説のような存在であるが、現在では遺伝子操作やクローン技術などによって人工的に不老不死になる研究がかなり進んでいる。夢の「不老不死」の世界は今、まさに現実になるのかもしれない。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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芸能ニュース 2015年04月07日 15時30分
先週の1位と2位が不動だった今週の映画ランキング
4月4日、5日の映画興行収入ランキング(興行通信社発表)が発表され、「映画ドラえもん」シリーズ35周年記念作品となる「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記〈スペースヒーローズ〉」が2週連続の首位を獲得した。 先週1位に返り咲いた同作は公開5週目に入ったが、4日と5日で興収約2.6億円をあげ、累計興収は34億円を突破。昨年公開された映画版の前作「新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊」の35.8億円が射程圏内に入った。 2位は先週に続いて「映画 暗殺教室」。公開3週目で累計興収20億円を突破した。主演の山田涼介が所属するジャニーズ事務所のアイドルグループ「Hey! Say! JUMP」とえいば、先日、同じ事務所の先輩グループ・V6とともに今夏の日本テレビ系「24時間テレビ」のメインパーソナリティーをつとめることが発表されたばかり。映画のさらなるヒットで山田と同グループの知名度をアップさせたいところか。 注目の初登場作品は、3位に入ったエイプリルフールの1日に公開された、戸田恵梨香、松坂桃李ら豪華キャストが出演した「エイプリーフルールズ」で2日で興収約1.6億円をあげた。松尾スズキ監督と松田龍平が10年ぶりにタッグを組んだ「ジヌよさらば かむろば村へ」は10位で興収約0.5億円をあげた。 5位は先週4位だった、福士蒼汰と有村架純のW主演で人気コミックを映画化した青春ラブストーリー「ストロボ・エッジ」。7位と8位はは先週と変わらず、7位は人気シリーズの最新作「スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号」、8位は大沢たかお主演の壮大な人間ドラマ「風に立つライオン」が入った。 「今週はトップ10のうち7作が邦画。かつては洋画ばかりがヒットして邦画が低迷し、『洋高邦低』と言われていたが今やすっかり逆転した」(映画ライター) そんな中、10日に「第87回アカデミー賞」で同年度最多タイの9部門でノミネートされ、作品賞、監督賞を含む4部門を受賞した「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が公開されるだけに、首位獲得なるか? 邦画では11日公開の、話題を呼んだ衝撃作の後編「ソロモンの偽証 後篇・裁判」がどこまで来週のランキングで上位に食い込むかが注目だ。
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その他 2015年04月07日 14時00分
徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第14回 金山の奥に隠された千両箱(前編)
1992年、群馬県内各地から高橋喜久雄のもとに寄せられたさまざまな埋蔵金情報のうち、最も信ぴょう性が高いと思われたのが、金山の廃坑跡に隠されたとみられる16個の千両箱である。高橋と筆者が協力して調査に着手して既に23年、6年前にはターゲットを手中に収める1歩手前までいったのだが、いろいろな事情があって、最終局面で足踏みをする状態が現在も続いている。 情報源は利根郡片品村に住む萩原徴(当時72歳)。若いころは炭焼きなどの山仕事に従事したり温泉を掘ったりしていたそうで、自宅にも源泉を持ち、立派なヒノキの風呂があったが、謎の部分も多い不思議な人物だった。 彼は、旧沼田街道沿いに伝わる幕末の目撃談や、隠された財宝に関する伝承、過去の探索話、徳川幕府御用金が隠された場所と思われる昔の金山跡のことなどについて語ってくれた。しかし断片的で脈絡がなく、また、人から聞いた話なのか自身の体験談なのかはっきりしない部分があった。主な内容はおおよそ次の通りだ。 ◇慶応4年(1868年)の3月、片品の中心地鎌田付近で、千両箱と思われる木の箱を2個ずつ振り分けに背負わされた牛8頭が目撃された。 ◇「おじうた向こうには宝がある。赤城財宝の一部」という言い伝えがある。「おじうた」は「宇条田峠」のことで、その向こうというと同村花咲地区か、その北方の金山跡のある場所を示すと思われる。 ◇昭和30年代に山仕事仲間が「山で大変なものを見つけた。もうすぐ大金持ちになる」と口走り、直後に病気で死去。その男は、山中で文字と記号が彫られた岩を発見したといい、その写しが残されていた。それには、「子方へ入」という文字と、三つの山と滝、鉱山記号のようなものが書かれていた。 萩原翁は、われわれにどうしても見てほしい場所があると言った。案内されたのは、400年以上前に甲斐の武田氏によって発見されたという『金井沢金山』の跡だった。 道なき道を沢沿いに約1時間半。着いたところは何もない山の斜面で、そこに金山の入り口があり、上から崩れてきた土砂でふさがれているといわれても、にわかには信じることができない。 ただ、少し離れた場所に屋根と台座が分離した石宮があり、台座には「上州金井沢金山」の名と「寛保二歳(1742年)」の年号が刻まれていたし、屋根の破風の部分に「金」の文字がくっきりと浮き彫りにされていた。 また、沢沿いに10メートル四方ほどの平坦な場所があり、石臼のかけらがいくつか散乱している様子から、鉱石を粉砕し、沢で洗って金を取り出す荒選鉱の作業場だったことは容易に想像がつく。 後に『片品村史』で知ったのだが、金井沢金山は1573年ごろ甲斐の武田氏によって発見されている。古文書も多数残されており、場所によっては粗鉱1トン中に100グラム以上の金が含まれていたとあるから、相当優秀な金山だったようだ。ただ、最も新しい記録は元文年間のもので、270年ほど前には閉山になったと思われる。となると、幕末には完全に無人化していたはずだ。 なお村史の最後にはその場所について、「恐らく今日木や草の茂るにまかせてその跡すら発見に困難であろう」と書かれている。ところが萩原翁は若いころからその場所を知っていて、かつては入り口が開いていたので中に入ることができたのだという。 坑口があるという斜面は北を向いていた。途中には女滝という滝があり、そこから三つの山が重なって見える。どうやら岩絵は、この場所を示しているようだ。 同年秋に2度現地へ足を運んだが、2度目のときはそこに金山跡があることをわれわれは確信していた。しかし、あまりにも困難なことが多かった。アクセス路の最大の難関は女滝の脇の切り立った崖で、50メートルばかりよじ登らなければならず、そのため両手をあけておく必要がある。道具を運ぶのさえままならない。それでもショベルやツルハシを背中に結わえ付けて、何とか運び上げることに成功した。 手探りの状態で斜面の掘削を試みる。時々わずかな隙間が開くものの、上方からひっきりなしに落ちてくる土砂を防ぐ方法はない。そのまま続けてもムダだと判断し、以来14年間、坑口を開けることをほとんど諦めていた。 しかし、2007年に再挑戦の機会がやってきた。その前年、萩原翁が86歳で他界したことは知っていたが、高橋のもとへ驚くべき遺言が伝えられていたのである。(続く)八重野充弘(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。