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芸能 2015年05月27日 15時30分
豪快コンビ、たけしと洋七
ビートたけしと、島田洋七。ふたりは、80年代漫才ブームをけん引した、ツービートとB&B。出会って、親友に発展してから、30年弱。その絆は、誰も立ち入ることができないほど、頑強だ。 たけしといえば現在、17本目となる監督作『龍三と七人の子分たち』が上映中。公開21日で観客動員が100万人を突破するほど、大ヒットだ。実はこのなかにも、“洋七愛”が隠されている。下條アトム演じる京浜連合のヤクザは、「徳永」。洋七の本名・徳永昭広から命名したものだ。 ふたりは、およそ7年同居していたため、女性関係も熟知。歴代の愛人をすべて言え、嫁&マスコミ対策も講じあった。90年代前半、教育とバラエティを融合させた大ヒット番組“平成教育委員会”シリーズ(フジテレビ系/91〜97年)に出演していたときも、たけしは洋七に献身的。収録後、電話をして、何が食べたいかと聞き、帰宅前、超高級車のロールスロイスで庶民派スーパーに立ち寄って、食材を調達。晩ごはんを作ってあげた。「うどんを食いたい」と言われれば、麺から打ったこともある。 男ふたり、当然エロもある。 東京・新宿で、のぞき喫茶に行ったときのこと。偶然にもその時間帯、店内には男性客はおろか、ヌードキャストもいなかった。そこで、たけしは、「おまえ、中に入れ」と、洋七をマジックミラーで覆われたヌード部屋に入れた。パンツを下げて、“御開帳”のフルサービス”をする洋七。それを、のぞき穴から鑑賞していたたけし。気づけば、その背後には、「あれ、洋七じゃないか!」と酔っ払いながら盛り上がる男性客が大勢いた。 意外にも、たけしの好みは素朴な女性。売店・キオスクの販売員と親しい間柄になったときのこと。さほど裕福ではなかったその女性のために、たけしは世田谷区にマンションを借りてあげた。ほどなく、同マンションで連続強姦が発生。偶然にも強姦魔は、その女性が入浴中、部屋に侵入。後日の警察の取り調べで、室内からたけしの指紋が山ほど検出された。逮捕歴があったたけしの指紋が、合致してしまったのだ。 これほどまでに親しければ、たけしと洋七で同じ女を取りあったことも推測されるが、意外にもそれは皆無。ただ、ホステスだった“北海道のオンナ”は、客として来店した洋七にベッタリ。「ファンなの」とボディタッチも著しかったが、遅れてたけしが入店した瞬間、「ほんとはたけちゃん」と鞍替え。以降、親しい間柄になり、ラジオ『オールナイトニッポン』に出演させたこともあった。ちなみに、そのホステスの店にたけしは、総額400万円も落としている。 ふたりが声をそろえるのは、「ほとんどがテレビでできん話ばかり」。年間億を稼いだ男同士は、すべてが豪傑なのだ。(伊藤由華)
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レジャー 2015年05月27日 15時30分
キャバ嬢が生まれる瞬間(46)〜保育士からキャバ嬢になった美樹〜
伊藤美樹(仮名・25歳) 私は高校の時から保育士になることが夢だった。なぜなら親戚の幼い子とか面倒見るのが大好きだったし、子供もすごくなついてくれたからね。だから私は一生懸命勉強して保育士の免許を取った。そしてなんとか市立保育園で働くことになったんだけど、現実はとても厳しい。もちろん子供は可愛いんだけど、お給料は低いし、親のモンスターペアレンツぶりが凄くストレスが溜まるばかり。それとなにより不安なのが出会いが少ないということ。先輩を見ると40過ぎて独身なんて人も珍しくないし。 とりあえず収入の低さから改善しようとして、浮かんだアイデアはキャバクラで働くことだった。でも市立保育園の保育士は公務員だから副業を法律で禁止されてる。だからもしバレると懲戒処分になっちゃうんだよね。とはいえ中には黙って、昼は保育士で小さい子供を見て、夜はキャバ嬢として大きな子供の面倒を見るという人はたくさんいるらしい。でも私はあまり隠れてコソコソやるのが好きじゃない。それに残業するときもある保育士と両立してキャバをやるのは体力的に絶対持たないと思った。 だから私はお金、出会い、体力、楽しさとか、色々なことを考えて私は保育士を辞める決意をした。もちろん不安もあったけど、いざ働いてみると気の合うお客さんとの会話はけっこう楽しいし、なにより保育士の時と違って残業がないのがうれしかった。その分、アフターやメールとかで時間が奪われることもあるけど、なんとか最小限に抑えてる。 あとはやっぱりお金がたくさん貰えるというのは大きい。今までずっとセーブしてきた欲しい服だったり、おいしいものをある程度は気兼ねなく手に取ることができるのはとても幸せに感じる。しばらくはこのまま働き続けて、キャバに来た社長と結婚し主婦になれればいいかなって感じ。子供への愛は、結婚して出産後、わが子に注ごうと思います。(取材/構成・篠田エレナ)
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芸能 2015年05月27日 15時00分
役者からも逆指名で引っ張りだこ 仕事を選ばない吉田羊の人気ぶり
ドラマ&映画界でもっとも売れっ子の脇役女優といわれているのは、昨年、ドラマ『HERO』(フジ)で一気に注目されブレイクした吉田羊(41)。既に1年先の出演オファーが舞い込んでいるのだ。 「いま、ドラマや映画プロデューサーが起用したい脇役女優のトップに必ず名前が挙がるのが吉田。演技が上手いし、誰よりも存在感があるんです。主演級の役者からも逆指名をよく受けます」(芸能プロ関係者) 吉田の売れっ子ぶりには目を見張るものがある。この4月からはドラマ『ドS刑事』(日テレ系)、6月には特番ドラマで『3つの街の物語』(TBS系)、さらにはバラエティー番組にも多数出演している。 「まさに金太郎飴のごとくあちこちに出まくっています。何でも彼女のモットーは、来る仕事は絶対に断らないことだといいます。彼女がブレイクしたのは40歳になってから。売れるまでは、葬式の営業や水商売、美容部員など、何でもやったそうです。そうそう、つい最近まで、数百万円の借金があったとか。だから、来る仕事は全て受けるんです」(事情通) 気になるのは吉田の出演料。果たして業界での評価はいくらなのか。 「GP帯でドラマは1本70万円〜。主役だと2倍になる。バラエティーはMCクラスなので1本90万円〜。それでもまだ、十分お得感のある女優です」(芸能プロ関係者) 吉田がテレビ界から受けている理由は、それだけではない。 「やはり潜在視聴率の高さにあるのではないでしょうか。世間に認知されてからわずか1年で8.9%もあるんです。これがCMにも抜擢される理由でもあります」(芸能関係者) 吉田を主役に抜擢したドラマが発表されるのも時間の問題のようだ。
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ミステリー 2015年05月27日 15時00分
ハロルド・ホルト豪首相失跡の謎(2)
南半球では夏真っ盛りの1967年12月、日曜の暑苦しくけだるい午後。オーストラリアのハロルド・ホルト首相(当時)が忽然と姿を消した。彼は休日に世界単独周航中のヨットを訪問した帰り、何故か不意にスキューバダイビングを楽しみたいと言い始め、友人やボディガードを砂浜に残して海へ入った直後、波間に姿を消したのである。 直ちに大規模な捜索活動が始まったものの、手がかりひとつ見つからないまま、時間が過ぎていった。首相の失踪を受け、当時の政権与党は早くも月曜から後継の人選に着手したほか、翌週には首相の「死亡推定声明」が政府から出され、政治空白を最小限に留めたのであった。 だが、後述するように当時のオーストラリアを取り巻く国際情勢は政治空白を許さない緊張関係があり、国内情勢も決して穏やかとはいえなかったと言っても、政府や与党の動きはいささか性急に過ぎるように感じた人も少なくなく、その中には「首相の失踪があらかじめ予定されていた」かのように受け止める人もいたのである。 まず、当時のオーストラリアはベトナムでの戦争に数千人規模の部隊を派遣し始めており、また北に隣接するインドネシアでは親中派政権がクーデターで倒れ、親米政権が成立するなど、重大な国際問題を抱えていた。さらに、ホルト政権は与党を巻き込んだスキャンダルも取り沙汰されており、年明けには波乱含みの政局が予想されていた。 こういった内外の状況から、ある大胆な仮説がささやかれるようになっていた。 ひとつは、ホルト首相は失跡したかのように見せかけて沖合のオーストラリア海軍潜水艦と合流し、メディアの監視が届かない場所で愛人と第二の人生を歩んでいる、あるいは政治情勢の変化を待っているという仮説であり、もうひとつはより大胆に中国の潜水艦が拉致したというものであった。 当時の中国は政権中枢から追われた毛沢東が巻き返しをはかった文化大革命と、それにともなう社会的混乱状態のただ中にあり、事実上の鎖国状態にあったばかりか、資本主義に対する過激かつ敵対的な主張を世界に広めようとしていた。そのため、中国の勢力圏を脅かすベトナムへの派兵や、インドネシアの親中派政権を倒した親米軍事政権との関係強化を図るオーストラリアに対する感情は、相当に厳しかったと想像されている。 このような背景から、ホルト首相は政治的陰謀やテロの渦中に置かれていると、そのように考えた人々も少なくなかったのである。(続く)
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スポーツ 2015年05月27日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈マービン・ハグラーvsトーマス・ハーンズ〉
世紀の一戦とうたわれたフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオの一戦は、試合後の会場にブーイングが飛び交うなど消化不良な内容となった。これまで絶対的なキャリアを築き上げてきた両者の対戦では、ともに守るものが大きいだけに、この結果も仕方のないところか。 だが、そんなもっともらしい言説も、'80年代“黄金の中量級”を知るファンには通用するまい。 アメリカのボクシングシーンに登場したキラ星のごとき天才たち。かのガッツ石松も下した“石の拳”ロベルト・デュラン。モントリオール五輪金メダリストのシュガー・レイ・レナード。強打のラッシュでデビューからKOの山を築いた“ヒットマン”トーマス・ハーンズ。そして稀代のテクニシャン“マーベラス”マービン・ハグラー。 圧倒的なパフォーマンスを誇る彼らによる戦い模様は「ボクシング界の頂点はあくまでもヘビー級」とされてきた歴史すら書き換え、米国内にとどまらず全世界を熱狂の渦に巻き込んでいった。 「当時は日本でもテレビ東京系で中継があったので、それを見たという人も多いでしょう」(ボクシング雑誌記者) デュランがレナードを下せば、次にはハーンズがデュランをKO。そのハーンズに今度はレナードが勝利するといった具合に勝者は目まぐるしく入れ替わる。 「そんな中でも最も人気が高かったのはハーンズ。長いリーチから繰り出されるフリッカージャブで相手を翻弄しながら、強打のラッシュで仕留めるファイトスタイルは見た目もハデで、さらにリングを下りてもビッグマウスでファンの関心を集めました。その一方、関係者の間で評価が高かったのはハグラーです」(同) ミドル級王座獲得はプロデビューから7年を経た54戦目と時間のかかったハグラーだが、これはあまりの強さを恐れた王者に対戦を拒否されたり、ようやくたどり着いた王座戦では泥仕合の引き分けに持ち込まれるなどがあってのこと。その当時に付けられたあだ名は“無冠の帝王”。それでもくじけず、地道なトレーニングを続けた結果の戴冠であった。 王座奪取後のハグラーは遺憾なくそのテクニシャンぶりを発揮し、デュランらの強豪を次々と退けていく。そこに挑戦者として名乗りを上げたのが、ウェルター、スーパーウェルター級王座を制覇し、三冠目のミドル級に狙いを定めたハーンズであった。 一度はレナードに敗れたハーンズだが、そこからまた連勝街道を突き進むと、'84年にはボクシング専門誌『リング』で年間最優秀選手に選ばれた('83年の最優秀選手はハグラー)。 '85年2月、2人の対戦が発表されると、全米各地の都市を巡る両者のプロモーションツアーが組まれる。試合に付けられたキャッチフレーズはシンプルに“The Fight”。余計な装飾はいらない、ボクシングの神髄がここにあるというわけだ。 そうして迎えた'85年4月15日、大歓声が包み込むラスベガスの名門ホテル、シーザーズ・パレス特設リング。運命のゴングは鳴った。 テクニックのハグラーvs強打のハーンズという前評判を覆すかのようにハグラーが開始早々からラッシュに出ると、これに気圧されて引き気味ながらハーンズも応戦。第1Rから両者の間で激しくパンチが交錯する。ハグラーは揉み合いの中で額から出血。それでも前進を止めることなくハーンズの懐に潜り込むと、ボディーを中心にパンチを放ち続ける。 第3R、コーナーを出たハグラーは、それまでのサウスポーからオーソドックスに構えをチェンジ。 「基本、試合中はサウスポーなのですが、私生活では右利きで、オーソドックススタイルもスムーズにこなす。気を付けて見ていないと構えが変わったことにも気付かないほどです」(同) そんな変調にハーンズは調子を狂わされたか、ハグラーの放った右ストレートが顔面を捉える。さらにハグラーは飛び込むようにして大振りの右ストレートを3連発。このすべてをクリーンヒットされ、ハーンズはあえなくマットに沈んだ。 ファンはおろか、専門家からも「地味」と評されたハグラーが世紀の一戦で見せた意地のハードファイトに、いつまでも歓声は鳴りやまなかった。
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社会 2015年05月27日 13時00分
お家騒動の血が騒ぐ 東芝決算延期の修羅場
大手総合電機メーカー東芝の株価暴落が止まらない。市場関係者は「修羅場の到来、待ったなしではないか」と不吉な言葉を口にする。 5月11日(月)、東芝株は取引開始直後から売り注文が殺到し、ストップ安となる前週末終値比80円安(16.56%安)の403円に張り付いたまま取引を終了した。翌12日は終値こそ前日比0.74%安の400円だったが、一時は28%安の375円まで売り込まれ、年初来安値を更新した。 発端は前週末の5月8日、連結営業利益3300億円(前期比13.5%増)、純利益1200億円(同2.4倍)などと見込んでいた今年3月期の業績予想を取り消し、決算発表を6月以降に延期する上、期末配当を見送ると発表したことだ。 これだけでも尋常ではないが、市場の不信感を煽ったのはその理由である。同社は4月初め、過去に請け負ったインフラ工事の一部で「不適切な会計処理を行った疑いがある」として室町正志会長を委員長とする特別調査委員会を設置し、1カ月程度かけて調査する旨明らかにした。ところが今度は決算発表を大幅に延期した上、「法律や会計など社外の専門家のみで構成する第三者委員会をあらためて設置し、調査を継続する」と発表したのだ。 「東証は上場会社に対し、決算期末から45日以内での情報開示を要請している。東芝は3月決算会社だから5月15日が期限になる。それを大幅に延期すること自体、タブーに踏み込む強い意思表示と理解すべきでしょう。社内中心の特別調査委員会では調査に限界があるため、外部の手を借りて一気にウミを出す作戦に他なりません」(経済記者) 東芝が調査対象にしているのは『電力システム社』『社会インフラシステム社』『コミュニティ・ソリューション社』の社内カンパニー3社。言い換えれば、この中に東芝の命運を左右しかねない“爆弾”が潜んでいる図式だ。 当然、不気味さは増す。その鍵を握るのは奥歯にモノが挟まったような「不適切な会計処理」、即ち“粉飾疑惑”の中身である。東芝ウオッチャーが解説する。 「4月に調査委員会を設置した際、東芝には長期間の工事について完成時に一括して収益を計上する会計処理だけでなく、工事の進捗状況に合わせて計上する工事進行基準で処理する制度があり、昨年3月期は工事進行基準で掛かった費用を少なく見積もったことから収益が実際よりも多く計上された可能性があると明かした。実態はもっと複雑らしく、過去数年にさかのぼって大幅修正しないとも限らない。その裏に経営トップの秘めた意図が絡んでいたら大型経済事件に発展しかねない。市場が疑心暗鬼を募らせてパニック売りに走るのは、そのニオいを敏感に嗅ぎとったからです」 東芝には、世間の耳目を集めた衝撃的な“事件”がある。2013年2月、同社は佐々木則夫社長が6月総会を機に副会長に退き、後任に田中久雄副社長が就く人事を発表した。退任が濃厚とみられた西田厚聡会長は留任したものの、3人そろって臨んだ記者会見の席で西田会長-佐々木社長コンビの確執が一気に表面化したのである。西田会長が田中新社長への期待を込めて「東芝をもう一度、成長軌道に乗せてほしい」とエールを送った途端、佐々木社長が「業績を回復し、成長軌道に乗せたことで私の役割は果たした」とかみついたのだ。前出・ウオッチャーが苦笑する。 「本来ならば現社長は会長になり、会長は相談役に退く。ところが佐々木さんの会長就任を阻止したい西田さんは彼を70年ぶりで復活する“中二階ポスト”の副会長に据え、社長候補の下馬評にも上がらなかった田中さんの後見役を自負した。揚げ句に新社長の発表会見で『佐々木社長の下で東芝の成長が止まった』とバッサリ斬り捨てた。これじゃあ佐々木さんがムッとなったのも無理はありませんでした」 これには後日談がある。前年6月の株主総会で副社長を退き、常勤顧問に退いた室町正志氏が、わずか1年で取締役に復帰、翌'14年6月の株主総会では相談役に退いた西田氏の後任会長に就任した。社長経験がなく、一度は役員から退いた人物が会長に抜擢されたのは、東芝の長い歴史の中で初めてのことだ。 実は室町会長、今でこそ東芝が外部で構成する第三者委員会に調査を委ねたとはいえ、4月に発足した特別調査委員会の委員長を務めた経歴を持つ。今回の“室町外し”は何を意味するのか。市場関係者が膝を乗り出す。 「彼は西田さんの腹心中の腹心。ということは西田社長時代にさかのぼって粉飾疑惑が解き明かされる可能性がある。社長推挙の恩を仇で…。案外、田中社長は大物かもしれませんよ」 東芝の伝統ともいうべき“お家騒動”の血がまたゾロ騒ぎそうだ。
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芸能 2015年05月27日 12時19分
爆笑問題・太田光 AKB48最新シングル出荷枚数300万枚に驚愕
26日深夜に放送されたラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」で爆笑問題の太田光が、AKB48の40作目となる最新シングル「僕たちは戦わない」の出荷枚数に驚愕した。 「第7回AKB48選抜総選挙」の投票用シリアルナンバーが封入されている「僕たちは戦わない」(20日リリース)は、過去最多の出荷枚数300万枚を突破。発売初日で147.2万枚を売り上げ、初日売り上げの歴代最高を記録。さらに発売初週に167.3枚を売り上げ、史上初20作連続で初週ミリオンを達成。前人未到の21作連続ミリオンも記録した。 同ラジオ番組では、リスナーから「第7回AKB48選抜総選挙」の速報値で11位にランクインし、AKB48ファンである小林よしのり氏も大絶賛しているSKE48・谷真理佳の話題が寄せられると、太田は「小林よしのりも何やってんだろうね。わっかんねんだよな。田原総一朗とか本気かよって思うんだけど…」とAKB48グループを応援する有名人に対して、理解出来ていない様子だった。 ただ太田は「だけどAKBの今度のシングル。300万枚…出荷枚数。客が買ったかは別として」と過去最多の出荷記録を更新したことにはビックリ。6月6日に福岡ドームで開催される総選挙について、「また凄い事なるよきっと」と期待を抱いていた。
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スポーツ 2015年05月27日 12時00分
【甦るリング】第9回 “タイガーマスクブーム”巻き起こした佐山聡の人柄
近代プロレス史において、ジャイアント馬場、アントニオ猪木は“別格”として、まさに強烈なインパクトを残したのが、初代タイガーマスク(佐山聡)だ。タイガーマスクのデビューは、そりゃもうプロレス界の常識を覆すような鮮烈なものだった。時は81年4月23日、場所は蔵前国技館。対戦相手はジュニア・ヘビー級の雄であったダイナマイト・キッド。 もちろん、タイガーの正体は不明とされていた。そこに現れた虎の覆面の男は、アニメの「タイガーマスク」をはるかに上回る四次元殺法を披露し、強豪のキッドに勝ってしまったのである。とても、常識では考えられないような空中殺法に私は魅了された。いや、多くのプロレスファンが、そのとりこになったのだ。 私的なことで恐縮だが、当時、私は大学生。飲食店でアルバイトしていたのだが、タイガー見たさもあって、新日本プロレスのテレビ中継「ワールドプロレスリング」がある金曜日は休みにしてもらったりしていた。その頃、ビデオデッキなどという高価なものを、大学生ごときが所有できるような時代ではなく、リアルタイムで見るしかなかったからだ。飲食店といえば、金曜夜は稼ぎ時で、バイト先の社長からは「忙しいのに…」と苦言を呈されたものだ。 タイガーはキッド、ブラック・タイガー(マーク・ロコ)、小林邦昭といったライバル相手に、名勝負を繰り広げたうえで、連戦連勝。WWFジュニア・ヘビー級王座、NWA世界ジュニア・ヘビー級王座に君臨。シングルマッチはおろか、タッグマッチにおいても、1度もフォールやギブアップを奪われたことはなかった。敗れたのは1試合だけで、キッド戦での反則負けだった。 当時の新日本は人気絶頂の頃。テレビ視聴率はゆうに20%を超え、どこに行っても連日超満員の観衆が集まっていた。タイガーがその新日ブームに大いに貢献したのは、いうまでもない。ところが、タイガーはあっけなく、その覆面を脱ぎ捨ててしまう。83年8月、新日本に対して、契約解除を一方的に通告し、引退を宣言した。タイガー側によると、その人気で得られた収益を、猪木が経営難の個人事業であった「アントン・ハイセル」に流用させていたとして批判。さらに、営業本部長だった新間寿氏と、タイガーの個人マネージャーが対立していたとの背景もあった。 その直後に、一部スポーツ紙が素顔の写真を掲載し、その正体が佐山であることを報じた。タイガーはテレビ出演した際にも、迷うことなく素顔を公開した。こうして、大ブームを巻き起こしたタイガーマスクは、わずか2年4カ月でリングを去った。 そして、引退したタイガーは「タイガージム」を設立し、ジム生を集めて格闘技の指導にあたる。引退から約1年後の84年7月、同年4月に旗揚げした新団体・旧UWFで復帰。もともと、格闘技志向が強かったタイガーは、従来のプロレスとは一線を画し、新たなルール作りに着手した。ところが、タイガーの方向性を疑問視する選手も多く、団体のエースであった前田日明との確執もあって、85年10月に離脱した。これ以降、タイガーはプロレス界と絶縁し、新格闘技・シューティング(後の修斗)を設立。プロレス界の暴露本を出版したこともあった。むろん、プロレス界からの反発も強く、もはや2度とプロレス復帰はあり得ないと思われた。 一から立ち上げたシューティングは徐々に普及し、日本の総合格闘技の礎となった。あの“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーを選手として、初めて招聘したのもタイガーだった。その存在がなければ、その後の日本での総合格闘技ブームはなかったわけで、その意味でも大功労者である。タイガーは96年に修斗の運営から手を引いたが、プロレス記者となった私が初めて、単独インタビューを行ったのは、まだ修斗時代。ファンだった頃、魅了された存在であり、かなり、緊張して赴いた記憶があるが、現れたタイガー、いや佐山さんはとても腰が低く、気さくで柔らかい人当たりの好人物でホッとしたのだった。とにかく、タイガーの話は面白く、その後、何度もインタビューさせていただいたが、その人当たりの良さは今でも変わらない。 94年5月には、永島勝司取締役のオファーを受け、古巣・新日本のリングに上がり、獣神サンダー・ライガーとエキシビションマッチを行い、9年ぶりにプロレス界と接点をもったタイガーは、翌95年に、まさかの復帰を果たす。プロレス界に舞い戻ったタイガーは、猪木とも和解し、98年に創設されたUFOに参画。プロレスに転向した小川直也を指導したが、猪木との方向性の違いから離脱。99年5月には、再び新たな格闘技・掣圏真陰流を設立し、桜木裕司や瓜田幸造らを育てる。その一方で、05年6月にはリアルジャパン・プロレスを旗揚げした。 全盛期はビルドアップされた体をしていたが、大の“甘党”が災いしてか、復帰後は常に体重オーバー。本人はことあるごとに、「○○キロまで減量する」と言うのだが、実現できたことはないのでは? かつては、変幻自在の空中殺法を繰り出していたが、今はキックや関節技が主体。たまに、飛ぶこともあるが、もう57歳だ。バリバリの20代の頃と比較するのは野暮ってものだ。プロレスを一度捨てていなかったら、新日本の大エースになっていたかもしれない。しかし、タイガーがプロレスを離れたからこそ、日本に総合格闘技が根付いた。いろんなことがあったタイガーだが、リングに上がっただけでも、“華”がある。“初代”タイガーマスクの名は絶対的なもので、レジェンドであることに変わりはない。 なお、リアルジャパン・プロレスでは6月11日(木)に、東京・後楽園ホール(18時半開始)で10周年記念興行を開催する。ただし、タイガーは現在、心臓疾患を抱えており、出場できるかどうかは微妙だという。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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芸能 2015年05月27日 12時00分
米倉涼子 離婚秒読みで浮上した失敗しないスペシャルドラマ
“モラハラ離婚秒読み”が有力視される米倉涼子(39)。今回の離婚騒動で“子作り”を断念したこともあって、水面下では急遽スペシャルドラマの企画が進行していることが関係者への取材で明らかになった。 「ドラマで共演した西田敏行が公の場で、離婚危機を明らかにしましたからね。離婚はもはや避けられない」(事務所関係者) 離婚危機報道から約1カ月以上が経過した5月10日、脚本家の橋田壽賀子さんの『橋田賞』に米倉主演ドラマ『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』が選ばれた。欠席した米倉に代わって、共演の西田敏行が授賞式に出席。登壇した西田は「本日は大門未知子が人生の修羅場を迎えています」と発言した。 「西田は芸能界では大先輩ですが、事務所とは無関係。その彼が米倉の離婚危機を公の場で語ったんですから、いかに深刻かですよ」(夕刊紙記者) 昨年12月26日、米倉は2歳年下のS氏と電撃入籍したことを発表したが、2月末には家を飛び出して別居していることが発覚した。 「結婚前からケンカが絶えなかったから、事務所はいつものことだとタカを括っていたんです。ところが、人前でも米倉の人格を否定する夫の“モラハラ発言”と、暴力的な言動に怯えて逃げるように出ていった。事務所サイドもそこまで酷いとは把握しておらず、いまでは修復不可能と諦めています」(女性誌記者) 4月中旬には仕事で大阪に単身赴任しているS氏に対し、弁護士を通じて離婚の意思を伝える書面を米倉は送ったというが、S氏は協議に応じる姿勢をいまだに見せていないという。 「米倉は『40歳までに子供を産みたい』と話していたんで、事務所は年内の仕事をオフ状態にしていたんです。しかし、離婚騒動で子作りなんてできっこない。いつまでもマスコミの目を避けている生活だと精神的にも追い詰められる。そこで事務所はスペシャルドラマの企画を進め出したんです。まだ正式に決まっていないようですが、去年夏にフジテレビで放送された米倉主演のスペシャルドラマの可能性が高いですよ」(ドラマ関係者) 昨年8月に放送されたスペシャルドラマとは『アウトバーン マル暴の女刑事八神瑛子』だ。 「視聴率自体は10.8%でした。米倉の主演ドラマとしては低かったんですが、米倉の高額な差し入れ効果もあってか、スタッフのほとんどがシリーズ化を強く望んでいたんです。制作するフジテレビにとっては離婚の話題性もある。乗らない手はありませんよ。米倉ファンも、早期の復帰を待ち望んでいるはず」(フジテレビ関係者) もう2度と「失敗しないので…」。
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アイドル 2015年05月27日 11時50分
ロンブー淳がAKB48総選挙でぱるるに投票へ
ロンドンブーツ1号2号の田村淳とぱるることアイドルグループ、AKB48の島崎遥香が共演する「淳・ぱるるの○○バイト!」(フジテレビ系)が26日深夜に放送され、第7回AKB48総選挙の話題となった。そこで淳は、島崎に一票投票することを公言した。 ロンドンブーツ1号2号の田村淳から、「やっぱり総選挙を迎える時は、ドキドキする?」と質問された島崎は、「いや…他のメンバーと比べたら、私、全然何も思っていない」と答えた。さらに、淳から、「順位、気にならないの?」と聞かれても、「気になるは気になりますけど…」と鈍い反応。 そんな島崎に淳は、「一票入れないとね」と自身が投票することについて、語りかけると、いつも塩対応と話題の島崎も、「え? 入れて下さるんですか? すごいうれしい」と喜びながら対応。今まで、AKB48の総選挙で投票したことがないという淳だが、スタッフ側を指さして、「みんな、それくらいするでしょう。番組に関わっている人は」とも。そんなスタッフたちを見回した島崎は、「(投票を)しなさそうな顔をしている」と笑っていた。 さらに、淳は、総選挙の雰囲気もすごいと問いかけたが、「忘れちゃいました。どんな感じだったかな」といつも通りの島崎らしいの回答が返ってきた。ただ、最後には淳にうながされる形で、島崎は、「入れて下さる方がいれば、ヨロシクです」とPRしていた。 淳は自身のツイッターで19日に、島崎とAKB48の石田晴香の総選挙用ポスターをアップして、二人に絞られたという主旨のコメントをしていたが、番組でのコメントから、島崎へ投票することに決めたと思われる。
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