小林はようやく新曲の発売が決定したこともあり、「ずっと心配してくださったファンや関係者の皆様に、何があったのかをきちんと説明すべき」という思いから同誌のインタビューを受けることにしたという。
一部週刊誌の報道により勃発した解任騒動だが、小林によると、今年2月9日に滞在先のホテルで2人で話し合い、「(元社長が)ご自分から『辞める』と言ったのは紛れもない事実」とし、1週間後に慰留したが元社長の意志は変わらず。6月に発売予定だった新曲「絆坂」の発売延期も新聞を見て初めて知り、レコード会社の担当者に電話したが、「何を話しても耳を傾けていただけなかった」。さらに、あらゆる音楽関係者が小林と関わることを拒んだため、「何が起きたのか、私には分からないことばかりでした」と振り返った。
「同誌でも触れているが、元社長の背後には芸能界の実力者がついているため、各スポーツ紙を始め、メディアは反・幸子寄り。何かあるたびに、元社長がご丁寧に取材に応じるため、幸子サイドの動きはダダ漏れで、抗議が来ないため、メディア側は幸子をいくらたたいてもどこからも抗議が来ないのでやりたい放題だった」(レコード会社関係者)
都内にある小林の自宅は連日取材攻勢にさらされ、知人に送った私的なメールの中身までがメディアで報じられたため、「正直言って、地獄のような日々でした。(中略)安定剤が手放せなくなり、大好きな歌さえも心から楽しめなくなっていた」。
それでも、小林が芸能界の「兄貴」と慕う歌手のさだまさしが“救いの手”を差し伸べ、さだが作詞・作曲を手がけた新曲の発売が決定。レコーディングのためスタジオを借りるのも一苦労だったようだが、「本当に色んなことあったけど、曲を出せない苦労というのは初めての経験だったんです。(中略)これまでは、ずっと何かを言うことも、どうすることもできなかったから…。今はただ、歌わせてください。やっぱり、歌は私の命なんです」と率直な心境を明かしている。