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旧日本軍消えた3兆円、そしてM資金

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画像はイメージです。

 終戦から62年。日本が歩んだ復興の道を多くの人は奇跡と呼び、日本人はその繁栄を享受してきた。しかし、光ある所には影あり。戦後のどさくさにまぎれて消えた旧日本軍の資金はおよそ3兆円といわれている。この消えた資金を求め多くの人間が詐欺の被害にあってきた。現在、フィリピンのマニラで暮らす、岸川伸介氏(75歳・仮名)の人生もまさにM資金詐欺に翻弄された人生。M資金詐欺は戦後日本が抱えた闇の歴史の一つである。今回NMRは終戦記念日特集として岸川氏が語るM資金詐欺を検証してみた。
 「私の父は内務省の下級役人でした、確か昭和15年に私達は満州に移り住みました」
 闇の昭和史を走り抜けた男。岸川氏はおよそ10年前バブルと心中し日本に居場所がなくなるとマニラに移住。あるお宝を探すことに余生をかけることになる。
 「父は満州で内務省管轄のアヘン工場に勤めていたんですね。当時、関東軍と日本の内務省は満州統治の資金として阿片王・里見甫を通して中国に大量のアヘンを売っていました。各工場には内務省から派遣された責任者が何人かいて父もその一人だったのです」
 満州では阿片を製造密売し莫大な資金を生み出していた。その資金の一部は希代の策略家・甘粕雅彦(国策会社満映代表)の工作資金や人体事件で有名な731部隊(石井細菌部隊)の研究資金として、そして太平洋戦争を泥沼へと引きずり込んだ東条内閣の政治資金として流用された。しかし戦中の闇を彩るアヘン・マネーの使われ方はそれだけではなかった。
 「役人はやがて横流しを始めます。そして戦局が悪くなってくると歯止めが利かなくなりました。終戦1カ月前、父は私達に沢山の貴金属を預けると消えてしまいました。お金など役に立たないことを父は知っていたのです。それから日本に帰り、母の親戚の家で暮らしました。わたしは16歳になると街の運送屋で働き始めます。その時のお客の一人が満州で私の父にアヘンを横流ししてもらっていた人物で古見と言います。古見はアヘンの横流しだけでなく終戦の情報も教えてもらい財産を丸まる日本に持って帰れたと、私の父に非常に感謝していて私を息子のように可愛がってくれました。そして私は古見のツテで街でヒロポンを売り売春宿を管理する仕事をしていました。」
 彼は年を重ねるごとにそのほかの仕事を増やし、実業家として成長していった。ある日、古見から意外な事実を耳にする。
「実は私の父は満州でも相当に有名人だったというのです。汚職官吏として。そして、父が消えたとき今のお金にすると30億円くらいの金地銀を持って逃走したといいます。人はそれを甘粕資金と呼んでいました。ある日、古見は私にある男を紹介しました。古見が紹介した男は私が父親から甘粕資金を引き継ぎ管理を古見に任せていると勝手に勘違いし。私達の借金の保証人となりました。古見は頭のいい男で昭和30年代にすでにM資金詐欺の先がけのようなことをやっていたのです」
 M資金詐欺とは巨大なお金の存在をちらつかせ、相手方からお金を引き出しそのまま消えてしまう詐欺だ。実は、戦後のどさくさや海外からの引き上げなど混乱が続いた日本ではこのM資金詐欺に引っかかる人間が思いのほか多いという。
 「私と古見は詐欺で得た金で金融屋を始めました。完全な闇金融です。それも面白いように儲かりました。しかし、あるとき古見が私の金ほとんど、今の金額にして10億円以上をお持ち逃げしたのです。私はいきなり無一文になりました。しかし、その時私を救ったのはやはりM資金詐欺でした。」
 昭和30年後半からのM資金詐欺は個人経営者を狙った小さなものでなく大企業や政治家がらみの規模の大きなものに。1回に騙す金額も1000億円以上と規模がでかくなり、あのロッキード事件の発端もM資金が絡んでいることは有名だ。
 「実際に私の父は内務省の役人だったので、信用されやすかった。3件の仕事で一生食えるだけの分のお金を稼ぐとすぐに田舎に引っ込み静かに暮らします。M資金詐欺は新しい派閥の政権ができるとき選挙資金など急な入用が生じる政治家がらみでなどで非常に盛り上がります。とくに田中角栄が福田赳夫と熾烈な総裁選を繰り広げていたときは、驚くほど詐欺がうまくいきました。やがて、時代はバブル経済時代を迎え私はその資金を株と不動産に投資します」
 しかし、バブルで増えた岸川氏の資金もある土地開発の詐欺にあいすべてを失ってしまう。

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